#2877/5495 長編
★タイトル (AZA ) 94/11/30 21:53 (200)
空からの告発 9 平野年男
★内容
「何でしょう?」
「確認したいのは二点です。どのようなアリバイが中川氏に成立したのか?
中川氏は釈放されているのか? この二つを」
「はい、分かりました。アリバイはですね、全く関係ない第三者によってもた
らされたんです」
有園刑事は書類を取り出し、そこにある文面を暗記するかのような仕種を見
せた。
「えーっと、北島謙介さん。この人、カメラマンでして、事件があった日、東
京でべたべたと写真を撮りまくっておったそうです。その写真の中に、中川氏
の写った物があったんです。昨日、中川氏逮捕のニュースが流れ、それで顔を
知った訳ですな。すぐに北島さんは名乗り出たのです。写真を調べ、北島さん
の身元を調べ、このアリバイに怪しい点はしみ一つないと結論するに至ったの
です」
「分かりました。それならば、もちろん……」
「ええ、釈放したと申し上げたいのですが……。警察はお役所です。責任の所
在が問題になります。特に、今回のように県警と警視庁が一緒になってやって
いた場合は。そのせいで、まだ……。本当に申し訳ない」
「なるほど、そちらにも事情がおありでしょう。しかし、可能な限り早い釈放
を望みます。遅れれば遅れるほど警察の失態は大きくなりますよ。まさか小さ
な罪を捜し出して、中川氏逮捕を正当化しようとしているんじゃないでしょう
ね」
「そんなことないと、私は信じとります」
毅然とした態度で、有園刑事は言い切った。
「信じましょう、有園刑事。では、具体的かつ率直にお聞きします。久海寛氏
のアリバイとは、どういうものですか?」
流の質問に、刑事は言葉と書類の両方で、じっくりと答えてくれた。
「これが崩れないのですか?」
流の口調は取りようによっては、久海寛をすでに犯人扱いしていた。無論、
久海寛のアリバイがどれほどの物かを確かめたいだけなのだろう。
「いかにも造り物めいたアリバイって気もしますが」
私も言い添えた。
有園刑事は頭を軽くかいて、象か鯨を思わせる悠々たる様子で口を開いた。
「時刻表によるアリバイなんて、慣れていないから断言はしませんが、調べた
限り、寛氏のアリバイは完全ではないかと」
「いや、かなり怪しいですよ。そうですね、特に博多に十二時半頃到着してお
きながら、西鹿児島行きの特急に乗ったのが十五時十八分とは不自然だ。こう
いう場合、十二時二十七分には博多に着いていなかったということがあり得ま
す」
「何ですと?」
さすがに気色ばむ有園刑事。自身の信じる物を根底から覆された気分なので
あろう。
「寛氏は博多着が十二時二十七分の新幹線に乗ったのは間違いないのです」
「より客観的に物事をとらえましょう。いいですか? 寛氏は名古屋駅を通過
した辺りで書証に食って掛かるようなことをした。そのおかげで印象に残り、
ひかり三一号に乗っていたというアリバイが成立した。そうですね?」
「そうです」
極力言葉を控える刑事。とにもかくにも、流の意見を聞こうという態度だ。
「でも、もう一度見直すと、こうとも考えられませんか? 久海寛は東京駅か
ら名古屋駅までは乗っていたが、名古屋駅より先の駅で降りたかもしれない。
そう、例えば新大阪で」
「……なるほど」
「大阪には空港がある。鹿児島空港行きが何便あるかまでは知りませんが、ま
ずは便利な空港であるには違いない。飛行機を使い鹿児島空港に到着、その近
くのホテルで久海峻を殺して戻る芸当は可能かもしれない」
「なるほど」
同じ単語を繰り返してから、有園刑事は棚から時刻表を抜き取った。どしん
とテーブルの中央に起き、新幹線の時刻表があるページを開く。
「ひかり三一号は大阪に……九時十分に着きますね。そこから飛行場まで」
と、今度は後ろの方のページを開ける。慌ただしい手つきで何枚もめくって
いき、各地の空港までの連絡が載ったページを見つけた。
「これだと四十分あれば着きますね」
流は素早く判断を下した。所要時間が二十五分に待ち時間が最大で十二分と
ある。合計三十七分、約四十分を見ておけば間違いないだろう。
「では、九時五十分頃に大阪空港に立てますな。そこから鹿児島行きの便は何
時のがあるか、ですな、問題は」
またページの移動。今度は飛行機の時刻表だ。
「二十分前に搭乗手続きをしなければならないから、十時十分以降の便になり
ますね」
流は目を走らせながら、そうつぶやく。彼はすぐに、
「これだな、十時二十五分発がある」
と、指差した。その鹿児島空港到着時刻は十一時四十分となっている。
「これで犯行時刻の午後二時、つまり十四時より前にホテルに行けることは確
実になりましたよ」
「いや、参りました。なるほど、こういうたどり方ができるんですなあ」
「それよりも、有園さん。当日、久海峻氏が乗った飛行機は何でしたか?」
鋭い声を飛ばす流。ここにいたって、ようやく本来の流に戻ったらしい。彼
の名誉のためにも記しておくが、今回の依頼が殺人事件に関係していると分か
ったからではない。純粋に、バイオリズムの問題である。
「はい、全日空の六二三です。東京を九時三十分に発ち、十一時二十分に鹿児
島空港に着く」
「じゃあ、寛が峻を追う形になるのか。二十分の差……。もし寛が犯人だとす
れば、峻の行き先を知っていなければなりません」
「どうですかな? そこまでは聞いていなかった。ただ鹿児島に出張するとだ
け聞いていたような素振りを見せてましたね、寛氏は」
「分からないなあ、それだけじゃ。……待てよ」
流がぶつぶつ独り言を始めようとしていたとき、部屋の扉が音を立てた。
「今村です」
大きな声がした。どうやら、日野圭三の事件を扱っている刑事が来たようだ。
有園刑事は立ち上がり、扉を開けて声の主を招き入れた。
「こちら、日野圭三さんらしき溺死体に関して捜査している、今村さん。久海
峻殺しの捜査資料にも目を通してもらっています」
有園は簡単にそれだけ言って、我々に紹介してくれた。
いかにも大学でのキャリア組という風体の今村刑事は、軽く頭を下げ、すぐ
また上げた。
「今村です。最初に言っておきましょう」
前髪を指でかき上げてから、彼は言った。
「私立探偵が刑事事件に介入という異例、私個人としては認めない。それだけ
です」
「そりゃどうも」
流を首をすくめて、私の方を見た。
「ならば、警察のお手並みを拝見いたします。日野圭三について。彼が殺され
るような動機は見つかりましたか?」
「……まだだ」
今村刑事は苦々しそうに言った。
「昨日の今日で、そう簡単に物事が運ぶものか」
「僕はある程度、仕入れています」
流は半ばブラフをかますように言った。
「彼の母親の話、あるいは友人数名の言葉から日野圭三の人物像を形成してみ
ると……勉強するときは勉強し、遊ぶときは遊び、働くときは働く。そういう
タイプだったようです」
「珍しくもない」
切って捨てるように今村刑事。
「そんな学生、いくらでもあふれている。だいたい、動機の有無と無関係だ」
「さらに言えるのは、それだけありふれた学生で、比較的真面目な性格だった。
そんな男を誰が殺すというのでしょう?」
「何が言いたいのか分からないな」
「簡単明瞭、日野圭三自身に殺される動機はない。そう言いたいのです」
流の断定的な言い方に、今村は小さな苦笑を浮かべた。
「現に彼は殺されている。動機がないのはおかしい」
「彼自身に原因はなかったのではないかと推測を述べたまでですよ、刑事さん。
一方的に犯人が日野圭三を邪魔に思い、殺したくなる場合を想定しなきゃなら
ない。例えば逆恨みとか」
「なるほどね。で、そういうケースはあったのかな? そうだな、日野圭三に
女をとられた学生が殺したとか?」
どこまで本気なのか、今村は挑むような口ぶりだ。
「真面目な学生が他人の恋人を横取りしますかね? 僕が言っているのはそう
いう場合でもなく、日野圭三が全く何もしていないのに、犯人にとって邪魔に
なったという状況です」
「そんなことが……あるか?」
ここで、沈黙を通していた有園刑事が割って入ってきた。
「何かの犯罪を目撃した。だから、犯人は日野さんも殺したとか」
「それも一つです。でも、我々は現在、久海峻殺害事件と日野圭三殺害事件を
ひとまとめに考えているのです。となると、有園さんの説にはおかしな点があ
る。二つの殺人の時間関係は、日野の方が先でした。いったい、犯人は何を目
撃されたのでしょう?」
「そうか……。久海峻殺しが先なら、まだ分かる。峻を殺したのをたまたま日
野さんに見られて、彼をも殺害したのなら……」
有園は頭を振った。今村刑事の方は、いらいらを隠さずに大声を張り上げた。
「では、どんな状況があると言うんだ!」
「これは、先ほどからアリバイ等を考え続けた結果、閃いたものです。あまり
に探偵小説的でお好みでないでしょうが……双子の入れ替わりですよ」
「峻と寛が入れ替わったと言うのか、は!」
一笑に付す今村刑事。
「いや、非現実的ではないんですよ、これが。一卵性双生児ならばDNA鑑定
されても、全く同じだから区別できない。指紋は峻が気を付けさせすればどう
にかできます。加えて、久海寛氏は鹿児島で昆虫の研究という、一般から見れ
ば隠遁生活のような暮らしぶり。峻が寛氏を殺し、入れ替わるのに物理的障害
はない」
「動機は」
間髪入れず、今村刑事。
「峻が双子の弟を殺す理由、さらに入れ替わらなきゃならん理由だよ」
「自己抹殺の動機は色々あります。が、そのほとんどはつまるところ、現在の
己の境遇から脱したいという根っこにつながっている。久海峻の場合、どんな
ことがあるか? 社長の椅子が約束され、多忙な身ではあるが、何の不自由も
ない暮らしだ。ふっと厭世的になり、寛氏の気ままな研究者暮らしに憧れを抱
いたか? それも変だ。峻は仕事の虫で、好んで親の後を継いだらしいですか
らね」
「その通りです。峻氏が自分の地位をなげうつ理由は見当たりませんよ」
有園刑事がうなずきながら言い添えた。
「だが、ここで立ち止まって考えましょう。一つだけ、僕の頭に引っかかって
いる事実があります。ヒサミ物産の金が一部、消えているそうですね。かなり
大量に」
「はい。重役クラスでないと手の着けようがない金も含まれているらしく、と
ても経理課の一社員だけがいじれるものではないそうです。ヒサミ物産のお偉
方も慌てていた」
「金を着服していたのが久海峻だとしたら? 次期社長が社の金に手を着け、
穴を空けたままとなれば一大スキャンダル。峻個人はもちろん、企業も大打撃
を受け、混乱するでしょう」
「そうか。それなら、峻が寛の立場になりたがっても不思議じゃない。全ての
罪から逃れられるんだから」
私は感心して言った。
「証拠がない」
相変わらず、次々と声を飛ばしてくるのは今村刑事である。あら探しをして
いるだけという観、なきにしもあらずだ。
「少なくとも、峻が金を横領する理由がないと、話にならん」
「そりゃそうです。だから、そこのところを調べてもらえませんか。何も出て
こなければそれでいい。僕が謝ってもいい。とにかく調べてもらいたい」
「何か……確信があるようですな?」
有園刑事は、穏やかな口調で尋ねてきた。流は目でうなずく。
「僕の想像が当たっていれば、今、鹿児島に住んでいる寛こそ、久海峻です。
昨日、彼の自宅を訪ねた際、一本の電話があった。当然ながら内容までは分か
りませんが、どうも怪しい点が見受けられました」
それから流は、例の電話の件を手短に話した。
「……女か?」
今村刑事が、初めて積極的な意見を展開した。彼は続けた。
「あんたの話を聞く限り、女からの電話という感触がするな。……だが、それ
だけじゃあ意味がない。昆虫学者が女と電話していかんという法はないからな」
「まだありますよ、今村刑事。あの家には昆虫の標本が、あふれんばかりに飾
ってあった。そのほとんどは自分で採集した物に違いない。それなのに、あの
寛の肌はほとんど日焼けしていなかった。おかしくありませんかね」
「ふん」
一つ鼻を鳴らし、考え込む様子の今村刑事。有園刑事も同様だ。
「改めてお願いします。双子入れ替わりの可能性を追及してもらえませんか?
まずは、そうですね、久海峻のスケジュール調べ。日野圭三が殺されたと思わ
れる日、峻はどうしていたかを調べてください」
丁寧な言い方であったが、流の声は自信に満ちていた。
−−続く