#2742/5495 長編
★タイトル (EXM ) 94/ 8/14 13: 9 ( 70)
「救い、求めれば」(1) たっちゃん
★内容
明美は気づかぬうちに腹をさすっていた。
「それにしても、質素な部屋」
疑問であった。
これほどの有名人なら、お布施だけでも有り余っているだろうにと明美は思う。
名声からすれば実に質素な教会の応接間であった。うすよごれた『最後の晩餐』の
贋作が壁にかかっている程度である。
そんな部屋の質素さの中に明美の姿は浮き上がっていた。
服装こそはこざっぱりしているものの、和服が似合いそうなその躯からは天竺系
の香の香りが浮かび上がり、窓の近くにある湖畔から流れる風によって舞い上がる。
その表情はメンソールの香りに似た香の味覚によって強調される。
「神父さんはまだかしら」
明美をこの部屋に案内してくれたシスターが煎れてくれたコーヒーを少し口に含
んで、彼が来るのを待っていた。
少し苦いと明美は感じた。
もう、手はつけなかった。
また明美は、腹のあたりに手をやった。
頬杖をつくその瞳は、目の前の壁に掛けられている『最後の晩餐』の主イエス・
キリストの方をじっと凝視していた。
時計の時間は、ティータイム以後を指している。
ギィィッ
たてつけの悪い扉が音をたてて開いた。
「ようこそ、我が教会へ」
「えっ」
明美は言葉を失った。
「綺麗……… 」
明美は思わずあふれる言葉に両手で蓋をして、神父から視線をそらした。
「綺麗って、あの壺ですか? あれは、応接間にもいろどりが欲しいかなと思い
まして、蚤の市で二束三文四千円で買ってきたものですけど、こんなものでよろし
ければさしあげましょうか?」
目を細めつつ、神父は言った。
「ですから、神父様が……… 」
明美は本音を言った。
それに対して、神父が咳払いをした。
「私が、綺麗ですって? それは私が身にまとっている法衣のおかげでしょう」
由緒正しき神の使途なら法衣をまとわずとも人々を救いたまうことができるもの
です、そう神父は付け加えた。
しかしこの神父、明美を動揺させるだけのものはあった。
「こんな山奥まで、さぞかし歩き疲れたことでしょう」
神父は椅子に腰かけ、目線を誤差十センチ、明美と同じ位置に置いた。御影石の
色をした瞳であった。
「それにしても、暑いですね。雨があまり降らないもので、湖の水もよどんでし
まいました」
「そうですね」
明美は他に言うべき言葉がない。
彼の容姿には言葉以上の説得力があった。身の丈が六尺程度あると思われる体躯
は柳のようであったが、貧相さは感じさせず、風のなかに身を置けば舞い上がるよ
うな、少し蒼にも見える髪とつりあいがとれていた。鼻のかたちは少しユダヤ人の
ようにも見えたが、他は申し分無い顔の容に程よい癖をあたえていた。
明美の悩みは、ここで解決してしまったほうがよかったのかもしれない。
今度は心臓のあたりを押さえた。
「具合でも悪いのですか?」
「いえ」
「なら、よかった」
明美は表情を押し殺し、そして思い出したのか先程の重い表情へと戻っていった。
神父が立ち上がった。時計をちらりと見た。
「では、礼拝堂へと参りましょうか」
「はい」
神父が前髪を視線から外す仕種をした。
明美はゆっくりと立ち上がり、そして神父のなすがままに従った。
神父の表情が少し変わった。
「あなたを、必ずお救いします」
神父の御影石の目が少しだけ強い光を放ったように思われた。
明美は脳裏にこびりついた言葉に影響されたのか足取りが重い。少し難儀そうに
体を動かして、神父のあとをついていった。
礼拝堂への扉が開いた。
明美の歩調はさらに半歩分づつ、歩みを遅めた。