#2653/5495 長編
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ヴェーゼ 第2章 狩人たち、集う 8 リーベルG
★内容
8
長い間、テロ・ネットワーク、あるいはシンジケートと呼ばれる、固有名詞を持た
ない組織に、事実上の幹部というものは存在しなかった。もともと、シンジケートは
一つの巨大な集団ではなく、複数のグループまたは組織が、互いの利益のために主義
主張を越えて結束した複合体に過ぎない。長い年月が、多くのピース間の結合力を高
め、パズルから一枚の絵画へと変貌しつつあったが、それでも何かのキッカケで分裂
してしまっても不思議ではない。そして、その要素として多分に暴力的な成分を内包
しているシンジケートは、常に崩壊の危険性を孕んでいた。従って、統合政府直属の
治安警察CT(カウンターテロ)部門も、正面切っての戦いを挑むよりも、静観して
自然崩壊を待つ姿勢を崩さなかった。
ところが、NWC67年、事態は一変する。専門家からみれば、お粗末な児戯にも
等しかったシンジケートのテロ活動が、突如として狡猾で抜け目のない方向へと修正
され始めたのである。ばらばらで乱雑だったテロリストたちの行動は、考え抜かれ、
秩序だった戦略的な活動へと一転した。NWC67年から68年にかけて、テロ容疑
によって検挙された件数はゼロだったのだ。
治安警察CT部門は、軍のCTSSや情報部と協力態勢を取り、シンジケートの内
情を調査した。以前ならば、内通者を見つけ出したり、また送り込んだりするのに苦
労することはなかったのだが、ある時期からそれが急に困難になったため、調査は難
航した。だが、根気よく手を尽くすことによって、ようやくある程度の内情が明らか
になった。
シンジケート内部に強力な魔法を持った指導者が出現した……
それが情報部の導き出した答えだった。
時を前後して、ある政府高官を狙ったテロ事件が発生した。場所はシティ・タカチ
ホの第8レベル。結婚パーティに出席していた高官は、対人地雷による爆発と、続い
て発生した汚染物質の侵入によって命を絶たれた。
公式には、このテロルでは犯行声明は出されなかったことになっている。だが、実
際には、事件の直後、政府宛にメッセージが届いていた。
『ここに我々は腐敗した統合政府を打倒し、真に民主的な政体を樹立する日まで戦
い続けることを宣言する。マクベス』
このマクベスというのが、シンジケートの指導者であることを、関係者はほどなく
知ることになった。無論、当局は必死になってマクベスなる人間の正体を究明しよう
と試みたが、正体どころか、ホロ画像ひとつ手に入れることができなかった。
「そういうわけだ。<ヴェーゼ>のことは理解したかね?B・V」赤いカーテンの
向こうから、人を落ち着かせる響きを持った声が確認した。シンジケート有数の暗殺
者である、ブルー・ヴェルヴェット、通称B・Vは声を出さずに頷いた。
「つまり、君の任務は状況によって2通りの道に分かれるわけだよ、B・V」姿な
き声の主は、友人の名のような気軽さでB・Vの名を呼んだ。「その分かれ目を見極
めるのは、他でもない、君の状況判断に全て委ねられるということなんだ」
B・Vが緊張したとしても、表に出しては微かに広い肩の線が揺れたに過ぎなかっ
た。軽く頭を下げた無表情で鋭角的な表情はピクリとも動かない。この会見の初めか
ら浮かんでいる畏怖の表情は、相手がシンジケートの指導者、偉大なるマクベスその
人であることを考えれば至極当然と言えた。
「今さら言うまでもなく、君には分かっていることとおもうが」マクベスは年齢を
全く推測させない穏やかな声で続けた。「政府が、逃亡したリエ・ナガセの身体を確
保すれば、我々の勝利はほとんど夢物語になってしまう。この際、理念だの理想だの
は無力だ。数年を待たずして、強力な魔法を持った人間が続々と誕生し、レヴュー9
への移住が正式に、しかも大規模に開始されるだろう。そうなれば、腐敗した統合政
府の権力は強大なものとなってしまう」
B・Vは賛意も同意も示さずに聞き入っている。マクベスは聞き手の反応がないこ
とに失望した様子もなかった。
「結局、政府は地球と同じ愚を、アンストゥル・セヴァルティでも犯すに違いない。
科学技術を持ち込み、機械工業を植え付ける。軍研究部と魔法研究委員会が共同で開
発中の『対魔法シールド』が実用化すれば、MIに代表されるエレクトロニクスまで
持ち込むだろう。そんなことを許せば、アンストゥル・セヴァルティを地球と同じ未
来へと導いてしまう。
決してそんなことを許すわけにはいかない。分かるね、B・V?アンストゥル・セ
ヴァルティへの植民は、慎重に選ばれた人間のみが許されるべきだ。腐敗した政府の
植民団などではなく、我々が選んだ、頭脳的にも肉体的にも厳選された少数の人々だ
けが、汚染した地球を離れ、素晴らしい生活を享受できるんだ」
熱い言葉は、しかし、なだらかな落ち着いた口調で語られた。B・Vが未だに、そ
の姿を目にしていない指導者の、強靭な精神力の一端をかいま見せる事実だった。
「政府の犬どもより先に、リエ・ナガセを確保するんだ。そして、身体の必要な部
分のサンプルを手に入れ、できるならば生かしたまま地球に連れ帰る。これはさっき
説明した通りだ。だが、もし、それがかなわない場合は、リエ・ナガセの身体を跡形
もなく消してしまわなければならない。理由は分かるね、B・V?」
「リエ・ナガセが政府の手に落ちるぐらいなら……」ぼそりとB・Vは口を開いた。
ホロ・アクターが恋を語っているような渋みのある魅力的な声だったが、それを聞か
れるのを恐れるかのように後半は省略された。
「そう、そのとおり」マクベスの言葉に満足そうな響きが混じった。「消すという
のは、文字通りの意味だよ。細胞の一片でも、政府の手に残るようなことがあっては
いけない」
B・Vは頷いた。もっとも本人は頷いたつもりでも、傍目には黒髪が揺れただけに
しか見えなかった。
「よろしい。準備をしなさい、B・V」会見の終わりを告げるマクベスの言葉に、
B・Vは顔を上げた。「必要なものがあれば、何でも要求して構わない。もっとも、
レヴュー9で使える火器は限られたものになるんだが。でも、君ならきっと素手でも
任務を達成するんだろうね、B・V」
「それじゃあ、もういくわ」ドナはフラットのドアに手をかけたまま、なおも心配
そうな顔を崩そうとはしなかった。「ホントに一人で大丈夫ね?」
「大丈夫だったら」セーラは半分呆れたように笑った。「子供じゃないんだから」
「わかってるけど……」
「大丈夫よ。3日に一度はリチャードとデートだし、一日2回はコールしてくれる
ことになってるんだから。姉さんもリチャードと会ったじゃない」
確かにリチャードは、こうした時に妹を託すに足りる男だと分かっていた。最初、
セーラから恥ずかしそうにリチャード・ランサムを紹介されたとき、ドナは喜びと驚
きが同時に押し寄せてくるのを感じ、しばらく口が開けなかったものだ。リチャード
はセーラより恥ずかしそうな顔で、ジャケットの飾りボタンをいじっていた。
「ごめんなさい、リチャード」ようやく口がきけるようになって、ドナは謝った。
「でもセーラがボーイフレンドを紹介してくれるなんて久しぶりだったから」
「じゃあ、ぼくは幸運だったんですね」少し打ち解けた様子でリチャードは答えた。
「セーラを、いえ、こんな素敵な妹さんを放っておくなんて、シティ・ブリスベーン
の男性も目がないですね」
「やあねえ、リチャードったら」セーラは照れたように笑った。
ここ数日、セーラはとても幸せそうで健康そうに見えた。恋は最高の美容促進剤、
というポピュラーソングの通り、ドナもセーラが綺麗に見えることは否定できなかっ
た。
フラットでセーラの料理を食べながら、3人はいろんな話をした。ほとんどの話は
当然のようにリチャードの身上についてだった。ドナの(表向きの)仕事は機密が多
かったし、セーラの身体のことは食卓にふさわしい話題とは言えなかったからである。
もっともドナが巧妙に誘導したためでもある。
リチャードの両親はシティ・バルセロナで、汚染事故のため他界していた。この時
代、死亡原因のナンバーワンは汚染死なので珍しい話ではないが、セーラは同情の声
を上げた。リチャードはハイスクール卒業後、地元の水耕プラントセンターにエンジ
ニアとして就職したが、医学の勉強を独学で続け、ランセン・ユニバーシティの入学
許可を得て、2週間前にシティ・ブリスベーンに到着したばかりだった。
「どちらにお住まいなの?ドナは訊いた。
「ランセン構内の学生アパルトマンです」リチャードはセーラお得意のミモザ・サ
ラダに舌鼓をうちながら答えた。「このフラットほど綺麗じゃないし、広くもないで
すが、清潔なだけが取り柄ってとこです」
コーヒーの後、リチャードが食事の礼を言って帰ると、ドナは少し後ろめたく思い
ながら、さりけなく訊いたリチャードのIDについて詳細な情報を要求した。アンソ
ーヤのセクレタリとして、ドナには事実上無制限のシグ・アクセス権限を保有してい
る。数分の検索の結果、リチャードの話した内容は、ほとんどデータと一致していた。
細部で2、3異なる点もあったが、主に少年時代の固有名詞に関することで、不審を
抱くほどのことではなかった。むしろ、全てが完璧であったら、かえって疑惑を感じ
てしまうだろう。
「いい人みたいね」ドナはセーラに向かって微笑んだ。
「そうでしょ?」セーラは世界で一番信頼する姉に、そう言われて嬉しそうだった。
「欲しくなったでしょう。でも、ダメよ。リチャードはあたしのものだからね」
「あら、残念」ドナはセーラの髪をくしゃくしゃとかき回した。
「ね、ね」セーラは声をひそめた。「彼、チェリーボーイだと思う?」
「さあ、どうかしら。私が調べてあげようか?」ドナは悪戯っぽい表情を作った。
「ダメよ!あたしヴァージン上げるなら、彼にって決めてるんだから!」セーラは
真面目なのか、冗談なのか判別し難い顔で叫んだ。「あたしが楽しんだ後だったら、
1回ぐらい貸して上げてもいいわよ」
「そんな悪女を気取るのは10年早いわよ」ドナはセーラの額をちょんとつついて
それからそっと抱きしめた。「よかったわね。いい友達ができて」
「うん」セーラもドナの背中に細い腕を回した。「ありがとう、姉さん」
ドナがアンソーヤについて<ムーンゲート>を通過するのは4月24日だったが、
作戦前のブリーフィングが、シグでなく口答で行われるため、22日に集合が定めら
れていた。もちろん、ブリーフィング終了後は、外部との接触は禁じられる。
今、ドナは準備を整えたバッグを持って、フラットの全てのシステムが順調に作動
していることを確かめたところだった。もう出なければならない時間だった。
「じゃ……行くわ」ドナはこれで10回ぐらい、同じセリフを口にしていたが、身
体の方は、一向に進んでいなかった。「できるだけ早く帰って来るから」
「大丈夫だってば。信用ないなあ」セーラはわざと憤慨したように装った。「ほら、
早く行きなさいってば」
以前にも数日の単位ではあったが、ドナがフラットに戻れない時が何度かあった。
セーラは時には、姉に泣きついて出発を引き止めたこともあったのだ。だが、今日の
セーラは確かに淋しそうではあるが、以前ほど脅えた様子はない。リチャードが心の
半分を占めているに違いない。そう思うと、ドナは妹のために喜ぶと同時に、わずか
に嫉妬を感じた。
「じゃあ、今度こそ行くわ」ようやく心を決めて、ドナはフラットのドアを開けた。
「リチャードによろしく」
「行ってらっしゃい」セーラはムービングチェアの上から勢いよく手を振った。「
おみやげ楽しみにしてるからねえ!」
歩き始めたドナが一度だけ振り返ると、セーラはまだ手を振っていた。
NWC72年4月24日、様々な利害と思惑とを従えた人々が、リエ・ナガセを追
って地球を後にした。アンソーヤ、ドナ、ギブスン大佐、一個小隊12名の特殊部隊、
その中に紛れ込んだシンジケートの暗殺者B・V。2度と戻れる保証もなければ、命
の保証もない。保証されているのは予測し難い危険と、魅惑と闇に満ちた魔法の世界。
どのような道(あえて運命とは言うまい)が、15人の男女を待ち受けているのか。
<神々>は黙して語らない。