#2620/5495 長編
★タイトル (EXM ) 94/ 5/23 9:47 (198)
私の願望 たっちゃん
★内容
「私の願望」(1)
「ウチの息子がもうヨメさんを連れてくるとは・・・・・・ 俺たちも歳とった
もんだな」
山村博司のコップからアルコールが次第に消えていく。俺の減り具合より
も更に激しく。
山村は俺と同期だ。俺は営業二課の課長で山村は三課の課長の職に在る。
山村は新卒でいきなり姉さん女房、それも当時の社のマドンナ様を頂いた。
息子と娘が一人、娘は国立大の三回生、息子は何故か父親のライバル社に入
社したが、父親の見立てによれば、十年で課長まで行けるだろうと。
俺は何度か、彼の息子殿の面倒を見たことがある。父親に似て、将来有望
だ。本当のエリートとはこういうものかなと頷くしかない。
その山村の息子が一ヵ月後、大学の同級生と入籍し、式をあげるというの
だ。山村とも何度も面識がある、父親の本人も乗り気の娘のようだ。
「俺も、来年ごろにはおじいちゃんかな。椎名、お前にとっちゃ複雑かも
しれんが」
「言葉に表せないくらい嬉しいってんだろ。祝福するよ、しますよ」
心から祝福したい気持ちが四割、あとの六割はごまかす。
「それにしても和則君、順調だな。来年、孫を見せてくれる計画まで、き
ちんと実行してくれるんじゃねぇの? 」
「女の子だったら、「おじいちゃーん」ってな具合に可愛がってもらえる
からいいがな」
「そうだよな・・・・・・ 、可愛いよな。女の子はな」
コップの中の酒を一気に飲み干して、小鉢のあえ物にがっついた。
チェーン店の広い店舗の居酒屋には多数の顔がある。半数は大学生のコン
パで、もう半分が我々の『同胞』である。ここに来ると皆、口の元栓が緩く
なって、チラリとだが本音の部分がかいまみれる。いつもはスパルタ課長を
演ずる山村が顔を崩して息子の話をするくらいだ。
俺は本音を言わない。長年の付き合いである山村に対してもそうだ。
先程の山村との受け答えにしても、酒に呑まれて危うく本音が出るのを抑
え込んだ。俺だけが此処で嘘をついている。
他人の息子の結婚話なんて表面的には好ましいもんだが、奥底では嫌悪の
対象になっているのかもしれない。
「おじいちゃんと呼ばれるようになったら、老け込むぞ」
「そ、そりゃあ、かなわんなぁ」
山村の笑みが憎らしい。しかし正当な道を辿ってこの幸せをつかんだわけ
だ。所詮は俺の僻みだ。
幸せな家庭と金銭的余裕が山村にこの様な笑顔を与えるのだろう。
「キンピラ一つ」
「あいよっ! 」
キンピラゴボウを一つ注文して、これで二千と五百円程度。だが、やるせ
ない気持ちが消え去らないとしたら高い酒代だ。
おおおおおっ!
どよめきがきこえる。店内のテレビは松井のスリーランホームランの模様
を映し出していた。
巨人ファンの自分にとっては好都合だ。
「松井って、本当にココってとこで打ってくれるなぁ」
「たまらんな・・・・・・ 野村サンはな」
「これで、夏場になったら落合が打つぜ! 斉藤が今日は調子良さそうだ
からよ、ヤクルトは点とれねぇぜ」
巨人が勝つことに対しては実に過敏であった。俺の幸せはブラウン管の中
のささやかなものであるように思える。
だけど、所詮は三時間そこらの幸せというわけで・・・・・・ 。
家に帰れば一人、である。
★
「ねぇねぇ、聞いてぇ!」
「なんだなんだぁ」
ウチのお茶汲み担当の信楽友恵が同僚や後輩達に向かって手招きする。
信楽君は、最近化粧が上手になったようだ。それに香水も、以前のけばけ
ばしいものから、清涼感漂う鼻につかないものに変わっている。
「信楽さん、どうかしたんですかぁ? たのしそうですよ」
信楽君は堪えきれない笑みを周囲にまき散らし、年配の女子社員がうんざ
りとするくらいに陽気なノリを見せる。
「じっつはねぇ・・・・・・ 」
集まってきた数人の社員が彼女の言葉に耳を傾ける。
私は過去の経験から、三つのオチを頭に描いた。彼女のこの顔からしたら、
私は最高級の賛辞を送ることになるだろう。
彼女の口から、予想どおりの吉報が飛び出した。
「わたし、入籍しちゃって、来週結婚式なんですぅ」
周囲から「待ってました」のノリでの歓声が沸き上がる。
「おめでとー、メグトモぉ」
「よかったっすねぇ、信楽先輩」
とっくに始業を告げる鐘は鳴っていたが、これでは仕事を始められる状態
ではない。
「おめでとう、信楽君。ついに君も、奥様か」
ここは場を仕切って、仕事を始める環境を作ろうとした。
「それにしても、私は心配したぞ。このまま君にヨメのもらい手が無かっ
たら、私は部下の管理不行き届きで、上の方から責任を問われるところだっ
たよ」
「ご心配ありがとうございます。けど、あたしは会社やめませんよ。生涯
課長のお茶汲みとして社に奉仕したいと思っています」
俺が女に仕事させないのは有名だ。結婚を口実にして彼女たちをお払い箱
にする事は常だし。けど信楽君の皮肉が聞けないのも淋しいかなと内心では
思う。
「それに、仕事はヤメたらダメだって、王女様もアドバイスしてくれまし
たから」
「王女様? 」
耳慣れない単語である。信楽君に聞き直した。「へえ、王女様って何者?」
「知らないんですか? 課長ぉ、王女様っていえば、この辺の女の子は皆
知ってる名前ですよぉ」
ウチのコピー担当の矢萩君や島村君にも、彼女の事について聞いてみた。
「毎週水曜日、駅前で占いやってる人の事だよね、島村ぁ」
「百発百中当たるって評判ですよぉ。テレビにも出たんだけどなぁ」
男子社員数名にも「王女様」について聞いてみた。なるほど、みんな知っ
ている「常識」であったわけだ。第一俺は流行り廃れには興味なんて無い。
俺に直接関係ないことなんて、俺の知識には無かった。
しかし意外なところからも、「王女様」という言葉を聞いた。
「知らないんですか? 椎名課長。僕もねぇ、彼女に占って貰ってね、な
んと当てちゃっんですよ。一万円の宝クジ! 」
一課課長・柳田も、彼女と縁があるみたいだ。
「椎名課長も彼女に占ってもらったらどうですかな? 」
「俺は、別に困ってる事なんてないぞ」
しかし、隣の課長の椅子の山村は言う。
「椎名ぁ、占ってもらったら麻雀に勝てるかもしれんぞ。噂によると可愛
い子ちゃんみたいだからよ」
山村にはマイナス百十七点負けている。
「今度、行ってやるわい! さっ、仕事仕事! 」
内容が不謹慎な方面に流れていきそうなので、綱紀を正す事にした。
・・・・・・・けど、興味はあるな・・・・・・・・・
明日が水曜日だ。別に接待の用事も無い。女王様という言葉には馴染みは
あるが、王女とは。よっぽど風変わりな娘っ子であることは確かだ。多分、
頭に冠を頂いて奇妙な舞いでも見せるのだろうか。
「明美の事でも聞いてみるか・・・・・・ 」
★
俺の自宅は、下町に在る。
自宅に帰るためには一度、JRの駅前ターミナル行きで駅の方に向かって
いく必要がある。そしてそこから19号系統のバスで鍛冶場二丁目へと戻る
道のりだ。
今日は別に残業する予定もなく、真っ直ぐ家に戻るつもりであった。
「間もなく、木槌、木槌です。市民図書館は此処で御降りくださいませ」
バスがゆるりと停車した。
木槌には文化施設関係の建物が多数在る。俺がガキの頃から図書館は此処
にある。かつてはここに大工衆の集落があったのでこの地名が付いたという
わけだ。
図書館も二代目である。白亜の三回建ての建物は5年前に建てられたもの
でLL教育施設も完備されているという。俺はたまに、カーネギーの自伝を
読みに行くことがある。
沢山の学生がここでお金を払う。自習室に向かうのだ。
料金箱の機械音と運転手の「有り難うございました」の声が社内で交錯す
る。バスはどうも嫌いだ。かつて此処には市電が走っていたが、オイルショッ
ク以前に廃止の憂き目に遇ったのだ。ワンマンカーではない。未だ若々しい
車掌が切符を切っていた。
最後の乗客が降車し、出発しようとしたとき、
バスが発車した。少しのゆれの後に、足元にあるものを拾った。
「そそっかしい子だな」
俺の手元にはパスケースがあった。此処のバスの定期券もある。定期券と
勘違いして何かを見せたのだろう。車掌もいちいち確かめるのが面倒な様だ。
「何が入ってるんだろか」
テレビで見たのだが、コギャルと呼ばれる最近の女子高生の必需品の一つ
にコンドームがあるという。俺も高校時代に、オカモトのそれを定期入れに
忍ばせていた奴を知っている。
興味半分で、彼女「岩波恵子」のパスケースを物色することにした。分厚
いパスケースの中身を開く。
しかしがっかりした。健全な女の子の持ち物である。
まず眼科の診療券。木槌眼科の印字が入っている。四度ばかり通っている
ようだ。
ロッテリアのスタンプカードとアニメイトカード、チケットぴあのジュニ
アメンバーズカードが入っている。結構活発な子であることは確かだ。
学生証を発見した。
・・・・・・ ほぉ、なかなか ・・・・・・
学生証は私立希望丘女子学園のもので、黄色い定期券大のものだ。写真の
女の子が岩波恵子である。きりりと引き締まった顔の、ストレートヘアの女
の子だ。これが結構可愛い。希望丘は昔から名門校で美人が多い事がウリだっ
たが、結構上のランクに入るのではと思う。
次の停留所は車庫前だ。これは、電鉄バスに遺失物として届けることにし
た。会ってみたい気もするが、第三者に預けたほうが面倒が無い。
「車庫前、車庫前です。つり銭のないよう御支度願います」
180円を支払って、電鉄バスの支局へと向かうことにした。
★
鍛冶場の水路脇に、俺の寝床はある。カジバコーポという家賃5万の賃貸
マンションである。
俺は、独身だ。幸せな家庭を築いた山村とは表裏の人生を歩んできただろ
う。
といっても、結婚話が無かったわけではない。2LDKの奥の部屋に、そ
の名残はあった。
机の上にある写真立ては、輝いていた時代の名残であった。
「美登里、お帰り」と写真に向かって言う。美登里は「おかえり」と、俺
にだけ聞こえる声で微笑んでくれる。写真のなかに住む12歳の女の子は、
かつて元気な声で俺の事を出迎えてくれた。
焼香の匂いが染みついたこの部屋の中に、俺は未だに美登里を閉じ込めて
いる。俺には二人を愛していた時代がある。自分なりに幸せに生きてきたつ
もりではあった。
しかし、俺が前を向いて歩いていた矢先、俺は美登里を失ってしまった。
この支えが失われたときから、俺の人生は惰性のままになったのである。
ただ、悔やまれるのは、もしこのまま大きくなってくれさえすれば、今頃
は・・・・・・と。
電話が鳴り響いた。
「はい、椎名です」
「もしもし椎名さんですかぁ。わたし、希望丘女子の三年生、岩波恵子と
いいます。」
初々しい声が受話器から飛び出した。「私の定期券を拾って頂いて有り難
うございます。取られたらどうしようって思ってたんで、本当に感謝してま
す」
「あれ? どうして俺が拾ったって判ったの? 」
俺は尋ねた。届けはしたが、お礼なんて面倒なことは避けてしまいたかっ
たので、住所氏名電話番号は一切記入せずに届けていたのだ。
岩波恵子はそれにこたえた。
しかしこの答えは、俺の記憶の最新情報の欄に書き込まれたばかりの印象
深いものと一致していたのだ。
こういう奇遇は、運命的な出会いを伴う。そう覚悟した。
「ひろって頂いた定期券を摩って、椎名さんの電話番号を知る事が出来た
んです。今日、お伺いして宜しいでしょうか」
岩波恵子は早口でまくし立てる。
「改めて紹介します。私は、アルバイトで王女様って事やってる、岩波恵
子っていいます! 」
つづく