#2580/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 4/ 3 11:54 (200)
幻都放浪(27) 青木無常
★内容
「<邯鄲>を覚えているか?」
俺に問いかける。
おお、と目をむきながらうなずくとさらに、
「では奴が言っていた言葉も忘れてはいまい。なぜおまえを<宮殿>に招いては
いけないのか、との問いに、喰らう、と答えた奴の言葉を」
「よく覚えてるとも」と俺は深くうなずいた。「失礼な!」
くっ、くっ、と虎法師は喉の奥を震わせて笑う。
「それは少しちがう。おまえは、自分には妹のような特殊な力はないと思ってい
るようだが、実はそうではないことをあの<邯鄲>が見ぬいた、というわけさ」
あん? と俺は目をむいた。
「どういうこった?」
「つまり、おまえはよ」と、虎法師は俺の鼻先にぐいと指をつきつけながら言っ
た。「妖力を吸い取る力を持っておるのさ」
「?」
声もなく間抜けな顔をする俺を見て、法師はもう一度短く笑い、
「つまり、よ。妖力をもっておまえに危害を加えたり、わしのように妖力でおま
えの魂を遠隔地に誘導したり、という風に、おまえに対して力を用いるとそれを吸
われてしまい、へたをすれば二度と力をふるうことはできなくなってしまう、とい
うことなのさ」
「なんと!」とすっとんきょうな声をあげたのはアブーカジェリフだ。「師よ、
わしはさっきこの男を運んで空を飛んでしまいましたぞ」
「それはかまわん。というのは、察するところおまえの浮遊能力は自分の肉体に
対しては使えまい。それだけでなく、生きものに対してはほとんど無効なのではな
いか?」
ぎょっとアブーカジェリフは目をむく。
「師よ、なぜそれをご存じで」
「ばかものめが。闘いかたを見ていればわかるわ。人に対してあの力をふるえる
のならば、もうすこしべつのやり様もあろうがよ」
ふうむ、と太った魔法使いはうなりをあげる。
「それにいつも絨毯にのっているのも、単なる伊達でもあるまい。それがなけれ
ば、おまえは宙に浮けぬことの証左よ。まあ、そういうわけで、おまえがふるった
魔力は、この男に対してではなく絨毯に対してのものだったわけだから、心配しな
くともよろしい」
虎法師がそう保証すると、アブーカジェリフは納得したのか心底から安心したよ
うににっかりと微笑んだ。
「ふん、しかしわしをちょいと焦がすことができたからといって、いい気になる
なよアブーカジェリフ。おまえの魔力など、はっきりいって致命傷にはほど遠い中
途半端なシロモノよ。フム、しかし……」
虎法師はぎょろりと目をむいてアブーカジェリフの胸を見た。
「そのジャケットには何が入っている?」
透視でもするようにしばししげしげと魔法使いのたるんだ胸のあたりを眺めまわ
したあげく、法師はそう問うた。
「は、ここにはわが家宝たるヒンジャルをおさめておりますイマーム」
と、例の魔法の短剣を自慢げに出して見せる。
「イマームではないというのに、記憶力がないのかおまえは」
もはやあきらめた、という口調で言いながら法師はさし出された短剣を手にとっ
て、ひっくりかえしたり鞘を抜き差ししたりしながら、隅から隅まであますところ
なく検分を加えたあげく、
「これは神宝ぞ。せいぜい大事にするがいいさ。なくしたりなどせんようにな」
は、とうなずきつつ受けとりながら、アブーカジェリフはまるで息子が誉められ
た父親のようにうれしそうだった。
「もう、決して、手放したりはしませんとも」
幾度もうなずきながら、まったく似合っていないジャケットの懐に大事そうにし
まいこむ。
へ。
「よしわかった」俺は宣言して立ちあがった。「つまり俺に対しては、魔力を失
う危険なしにそれをふるうことができないと、ここの連中は知っているわけだな?
虎法師」
うむ、と法師はしかつめらしくうなずいてみせる。
ふふんと俺は笑い、
「いいのかよ、敵にそんな情報もらしちまってよ」
と言うと法師は静かに笑った。
「じつはな。もう敵ではない」
何? と気色ばむ俺を手で制し、ちがうちがうそういう意味ではない、と法師は
言った。
「おまえなどとるにたりぬ、というのではなく、このわしがもう<混沌>の一員
ではない、と、そういう意味よ」
ん、なぜだ? とききかけて、俺は黙りこんだ。
妖力とやらを喪失したからなのだろう。
ふんわかったか、とでも言いたげな顔で法師はうなずく。
「そういうわけでな。ちょいとおまえさんと、不肖のもと弟子の決意を試させて
もらったがな。いたずらはあれで終わりだ。もう邪魔はせんよ。ただし、見物くら
いはさせてもらおうかい」
言いつつ、ぬう、と立ちあがる。すくなくとも俺より頭ひとつぶんはでかい。老
いぼれのくせに巨大な図体してやがる。その上、力も強いし喧嘩も得意、ときた。
はっきりいって、妖力がなくなったんだか何だか知らないがそれだけで手放してし
まうなど、かなりもったいないことを<混沌>はするもんだ。
そうして、俺たちは二重螺旋の階段をのぼり始めた。
光の渦のなかへと入りこむにつれ、周囲に立ちならんでいた奇怪な模様を刻んだ
列柱は見えなくなり、かわって蜘蛛の巣のように縦横無尽に奔る光の糸が、無数に
まわりをとりかこみ始めた。
「意念の糸だ」と虎法師が、問わず語りに説きはじめる。「ケイオスをはじめと
して、多くの力もつ者たちが協力して、この糸を織りなしているのだ。はり巡らせ
た糸は塔を外敵から護る結界であるとともに、<宮殿>をささえる基部でもあり、
さらには天へと挑みかかる巨大な武器の構成要素でもある」
「天へと挑みかかるだ?」眉根をよせつつ俺はあきれたように言った。「おまえ
ら、そんなこと考えて人さらいしてやがったのか? とんでもないバカどもだな」
すると虎法師は、天然記念物でも見やるような表情でぽかんと俺を見つめ――つ
いで、腹を抱えて笑い出した。
何がおかしいんだこの野郎、とすごんでみせても法師は笑いやむどころかゆるや
かに回転する階段のスペースを目いっぱい使用して苦しげに腹を抱えながらころげ
まわるばかりだ。
それに、法師がなぜ笑っているのかも俺にはわかっていた。
「きさまの口からそんなセリフが出てくるとは、まったく腹がよじれるわい。う
わははは、死にそうだ。いや、はっきりいってこの攻撃は強烈だぞ! はははは、
わしにとっては致命的だ! いや、すごい。かなわんわい」
さんざん笑いころげたあげく、なおも腹をかかえながら俺の肩や背を荒々しくど
やしつけ、そして先をうながした。
「わしらはなあ」やがて、まだしつこくくつくつと思い出し笑いを残しつつ、法
師は口にした。「世界を、こんな形に変えてしまった、あの得体のしれない連中を
相手にしておるのさ。あの、世界中の都市の頭上を無言でおおいつくして爆発した
あげく、文明とわしらの築きあげてきたもの根こそぎ奪いとっていった不逞の輩を、
よ」
「なるほど」と俺はうなずいた。「それが、天か」
「おおよ」と獰猛に笑いながらうなずく。「最初にわしらを組織したのが、あの
邯鄲よ。そして今でも、あれの言葉が<混沌>の行動の指針でもあるのさ。あれは、
おまえが出会うたときのとおりの臆病者よ。だがな、世界を変貌させた巨大な存在
に、最初に反抗しようと決めたのもあの男なのだ。だから、<混沌>の統率者はケ
イオスだが、それを選んだのはあの邯鄲なのさ」
け、と俺は唇を歪めた。
どうもあの能面野郎は好かねえ。俺のことをゴキブリみたいに毛嫌いしてやがっ
たからな。
「あやつはな、いつもいつも、時間がないと口にしておる。一刻も早く力持つ者
を集め、戦端なりとも開かねば、わしらをこんな世界に放りこんだ者どもを叩きつ
ぶすのは不可能になる、とな。今はまだ、連中のいる次元とわしらの次元とはかろ
うじて重なりあっているらしいが、いずれそれは完全に閉じてしまうだろう、とあ
れは言うのさ。だから、必要な能力者の居場所をあれが指定しても、これこれこう
いうわけなので協力してくれと悠長な説明を加えて納得を得るヒマなどない、とい
うわけさ。それでわしらは必要な人材を有無をいわさず<宮殿>へと拉致し、しか
る後に事情を説明しつつその力を発揮してもらう、と、そういう形をとってきたわ
けだ」
けっと、俺は吐き捨てた。
「そういう事情だったのかい。なんでえ、それならそうと言ってくれりゃあ――」
「すんなり、妹をゆずってくれたか? ん?」
意地悪げに法師に問われ、俺は、ぐ、と黙りこんだ。
「まして、邯鄲の言によれば、おのれだけは<宮殿>に迎え入れてはならぬ相手、
とくる。妹の方はともかくとして、おまえの方がまずは納得すまいが。ん?」
くそ、と吐き捨てて俺はむっつりと口を閉ざした。
「まあもっとも、あれだけの目にあわされていながら、このとんでもないバカは
<宮殿>のこんな奥深くにまで入りこんできたのだからな。こうなると知っていれ
ば、邯鄲も最初から事情を話して説得した方が早かったと、さぞや悔やんでいるこ
とだろう」
「けっ。存分に悔やむがいいや」
「まあ、そういうな。あれはあれで、世界をわしらの手にとり戻そうと必死なの
だよ」
ふんと鼻をならし、そして俺は憎まれ口をたたく。
「しかしまあ、てめえらもまあ、よくもまあ姿さえ見えない奴ら相手に戦をしか
ける気になったもんだよなあ。あきれっちまうぜまったく」
「まるっきり姿が見えぬ、というわけでもないさ。時おり、とてつもなく大きい
おぼろな影が夜空に浮かんで、わしら地上にはいつくばる者どもを眺め下ろしてい
ることがあるからの。ほ。見たことがあるようだな」
法師は俺の表情の一瞬の変化をすばやく見てとったか、感心したようにのぞきこ
みながら言った。
「うるせえ」
吐き捨てながら俺は、ひそかに背筋をふるわせていた。
ケイオスが<恐怖>の象徴なら、あの、俺たちを睥睨していた巨大な影は<絶望>
そのものだ。
ケイオスを前にしたとき俺は、あまりの恐ろしさに内臓がしぼりつくされそうな
ほどの苦痛を味わった。
が、あの影と対峙したときは、いっさいの力がぬけていくのを感じていた。
底なしの無気力と脱力感に、全身を支配されたのだ。
あれを相手に喧嘩を売ろうなど、ここの連中はどうやら俺など足もとにも及ばぬ
狂人ぞろいらしい。
いやになってくるぜ。
無意識にため息でもついていたのだろう。くくく、と虎法師が笑った。
「なんでえ」
仏頂面で抗議をするが、どうも迫力がわかない。かえってはははと哄笑されただ
けだった。
「もっとも」と、ふいに声のトーンを落として法師は言った。「わしはもう、そ
の一員ではないわけだがな」
「隆二たちみたいに、物理的な護衛でもできるだろうが」どういうわけか、この
巨体の老人がどうも気の毒に思えてきた。「ああいう連中も、必要として食わせて
るんじゃねえのかよ、<混沌>は」
「むろん、な」と法師は俺とは目をあわさないまま無表情に答えた。「だが、あ
あいう者らも、さらには食料や必要な物資の調達などをしてくる者どもも含めて、
どのような者が必要でどのような者が不必要、あるいは、そう、おまえのように邪
魔か、ということはすべて、邯鄲めが決めていることよ。そして<混沌>の成立そ
のものが邯鄲の託宣に負うている以上、あれに不要とさだめられた者が残るわけに
もいかぬ」
「気にくわねえ」俺は唇をへの字に歪めた。「ちくしょう、あの邯鄲の野郎めが、
どこにいやがるんだ。ぶん殴ってやる」
ははは、と虎法師は短く笑い、
「おまえが侵入してきたからには、今ごろはどこぞに震えながら隠れているだろ
うな。まあ、まず見つかりはすまいさ。それに」と、ウインクしてみせる。「もう
すでに、このわし自身の手で、思いきりぶん殴っておいたわ」
俺は老人をあきれたように見やりながら、吹き出していた。そして笑いながらも、
邯鄲にすこし同情してしまった。
そうしてのぼりつづけているうち、無数に織り成された光の糸はその密度をいよ
いよ濃密にしていき、ついには上等の絹織物のように淡く白く、そして神々しく、
周囲一面をおおいつくしていた。
そのあまりの濃密さに、一メートルも離れれば互いの姿が見えなくなるほどだっ
た。
俺たちはなるべく間をあけぬようにしながらのぼりつづけ、そして――
「ここが、おまえの目的地だな」
ふいに虎法師が、静かに宣言した。
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螺旋を描く階段は塵と化すようにして先細りに消え失せ、氾濫する光の布は、広
大な平原のように足もとに広がっている。
そして周囲には、霧とも、氷の粒ともつかぬ白いものがおぼろに、さらさらと音
を立てながら降りそそぎ、頭上には、かつて都市の空が喪失したはずの、降るよう
な星空が。
「氷の王国だな……」
イルアーナの魔法使いが、およそその風体には似合わない比喩を口にした。
異存はなかった。
冷たく凍てついた、静寂と孤独の王国だ。
そしてその美の荒野にぽつりと、ケイオスと、そして泡幻童子は、静かにたたず