AWC 一遍房智真 魔退治遊行 出家    西方 狗梓


        
#2391/5495 長編
★タイトル (ZBF     )  93/11/25   4:21  (124)
一遍房智真 魔退治遊行 出家    西方 狗梓
★内容

一遍房智真 魔退治遊行−出家−  西方 狗梓:Q-Saku/Mode of Fantasy

 先刻、通尚を送り出した通有は、気が気ではなかった。敵地に一人で乗り込む
とは、正気の沙汰ではない。通尚の真意が測りかねた。そんな心中を知ってか知
らずか台与が、あどけない顔を見せ、通有の膝で眠っている。
「台与、台与、おいで」与の声が奥から聞こえる。台与は円らな目をパッチリと
開け起き上がると、パタパタと駆けて行った。
 一人、縁側に残された通有は、尚も思い沈む。通尚は殺されるだろう。そうな
れば、一族に連なる者として通尚の仇を討たねばならない。それは、いい。しか
し、与を如何するか、台与を如何するか。通尚には男児がない。親族の者が、妻
や娘を相続するのが世の習いだ。本家の自分が引き取ることになるだろう。そこ
まで考え、通有は顔を赤らめた。
 通有は与に惹かれていた。足繁く通尚の館を訪れるのは、台与と遊ぶためだけ
ではない。通有は、与を愛していた。凌辱したいと望んでいるわけでは決してな
い。包まれたかった。与に、抱かれたかった。胸に顔を埋め、胎内に潜り込みた
かった。しかし、通尚のことも愛していた。父に対する以上に、敬愛を感じてい
た。男児のいない通尚も通有を可愛がり、武芸を仕込み学を教えた。通有は、与
への欲望を意識する度に、己を愧じた。胸を掻き毟り、叫びたい気持ちになった。
台与を可愛がるのも、台与に与の影を見ていたからだ。台与になら、愛を注いで
も許される。そう、思っていた。欺瞞だとは解っていた。しかし通有は、それ以
外に己の愛の逃げ場を知らなかった。通有は、台与が女の歳になれば、妻にしよ
うと決めていた。通尚も反対しないだろう。
 突然、通有は叫びそうになった。自分は通尚の死を望んでいたのではないか?
この考えは、通尚が館を出た時から、ずっと心の底に澱んでいた。そんな筈はな
い、と考えたかった。信じたかった。しかし、疑念は否定する毎に強く大きく膨
らんできた。無性に喉が乾いた。傾きかけた陽光が、妙に眩しかった。心が掻き
回される。底に澱んでいた疑念が、全体へと拡がり、濁らせる。通尚が死ねば。
通尚さえ死ねば……。

「ああああああっっっ」通有が叫ぶ。
「何を驚いているのです」いつの間にか、与と台与が目の前に立っていた。
「ど、如何されたのですっ、その姿は……」通有は驚きのため絶句した。与と台
与が尼姿となっている。剃髪さえしている。
「旅に出るのです」与の声は、常時の通り穏やかだ。
「そ、そんな、余りにも気が早い。菩提は弔わねばなりません。ですが、七郎様
 が死んだと、いまだ決まったわけではありません。きっと、きっと七郎様は御
 無事で戻ってこられます」自分でも信じていないことを、通有は早口に言い募
る。与は怪訝な顔をつくって、
「ええ、お館様は元気に戻ってきますよ。そして、妾どもと旅に出るのです」
「そんな、与殿、お気を確かに」
「今夜、お館様が戻られたら発ちます。六郎様、家のことはお願い致します」
「家のことは安心してください。出ていくことはないのです。家に留まって菩提
 を弔えばよろしいではありませんか。お二人は、私が、私がお世話致します」
通有は与の決意を変えたかった。
「誰の菩提を弔えと仰せですか」与は軽い笑みを浮かべ、問い返す。
「そ、それは……」言い澱む通有。
「お館様は元気で戻ってこられます。そして妾たちは旅に出るのです」
「そ、そんな」愛する人を一時に、三人も失うと思うと通有は泣きそうな顔にな
った。いくら逞しくても、十八歳の少年だ。
「それは既に定まっていることなのです。お館様が生まれた時から。いえ、生ま
 れる前から」夕陽を受けた与の顔は、冴え渡っている。
「…………」通有には既に、言葉はなかった。

          ●

 通尚は、ほうほうの態で館に戻ってきた。館に戻ると、すぐさま与と台与に連
れ出された。ワケも解らぬ侭、二人に付いていく。闇の中を無言で進む二つの白
い影を前に見つめながら通尚は、状況を把握しようと、考えていた。「何故、二
人は尼姿なのか」「何故、館を出ていくのか」「何処に行こうとしているのか」。
 いつの間にか写愚の寺の門前に来ていた。山門は閉じられている。与がソッと
門扉に手を翳す。ギギィと重たい音を立て、ゆっくりと開く。開いた所に一本の
棒が立っている。見る間に横に拡がり、人の形となる。杖を持った写愚だった。
「お待ちしておりました」老僧の声は、深く静か。
「それでは早速」与が初めて口を開く。
「さ、七郎殿、こちらへ」写愚は軽く会釈をすると袈裟を翻し、本堂へと向かう。
通尚には抗うことも疑問を呈することも許されてはいなかった。従わねばならな
い、という気持ちに支配されていた。見えない何者かのために。

 与と台与が本尊を背に、並び座る。通尚が対面して座す。写愚が背後に膝立ち
し、恭しく通尚の烏帽子を取る。与と台与は、まるで連動した操り人形のように
同時に、スッと掌を合わせ、静かに目を閉じる。天井から、床から、壁から、圧
倒的な音量の読経が沸き起こる。何千、いや何万人もの声が、一つの律に従い、
統合され、流れ込んでくる。通尚の意識は散っていき、空白となる。感覚は既に
ない。

 通尚は、光に包まれていた。影が前に立っていた。形ははっきりとしているが、
何かは判然としない。母にも見え、与にも見えた。しかし、通尚は、それが阿弥
陀仏だと、漠然と思った。影から柔らかく断固とした声が湧く。
「通尚よ。旅に出るのです。そして、魔と闘うのです」
「魔、魔とは何です。闘うとは」すべてが理解不能だった。
「龍神・三島明神の末裔・通尚よ、時は満ちたのです」
「時が満ちた……」謎に満ちた影の声を通尚は、ボンヤリと繰り返す。
「そうです。あなたは魔と闘うために武芸を修め、浄土の教えを学び、真言の秘
 法を身に付けたのです」
「い、一体、何が、何が如何だと言うのです。私には、さっぱり……」
「解らなくともよい。それは既に定まったこと。与と台与も私の意思で尼となり
 ました。あなたは何も考えなくともよいのです。魔と闘えばよい。与と台与が、
 いや、超一と超二が、あなたを助けてくれます。闘いなさい。そして名号の札
 を配りなさい。人々に魔を寄せ付けぬようにするのです。それが、あなたの務
 めなのです」
「名号の札?」名号の札とは阿弥陀仏を讃える「南無阿弥陀仏」を刷り込んだ紙
の札だ。この時代、寺に属さず地方を行脚した僧・聖(ひじり)が民衆教化のた
めに配って歩いていた。
「そうです。まず高野山に赴き、版木を受け取りなさい。私が空海に命じて彫ら
 せたものです」
「弘法大師が彫った版木……」弘法大師・空海は四国・讃岐国出身の古代僧侶で、
伊予にも縁の寺が多い。通尚が尊敬する先達の一人である。日本に真言密教を伝
えた高僧でもある。
「そうです。名号の版木は誰が彫ってもよいものではありません。強い法力を身
 に付けた者が彫らねば意味がないのです。魔は、心弱き者に取り付き支配し、
 世を混沌に帰そうとしているのです」
「あなたは何者なのですか」問いかける声は、叫びになった。
「……解っている筈です」静かな声が湧き、影は薄れ、消える。

 正気に戻った通尚の前では相変わらず与と台与、超一と超二が静かに合掌して
いる。読経の声は、聞こえず、堂内は静まり返っている。背後から写愚が、
「さ、通尚殿、いや智真殿」と、手鏡を差し出す。受け取った通尚は恐る恐る覗
き込む。そこには戸惑った顔の智真がいた。
「これを」写愚が、見事な黄金造りの太刀を手渡してくる。
「これは……」掠れた声で通尚・智真は問う。答えは解っていた。
「ご存じの筈。河野家に伝わる竜王の太刀、則ち破魔の太刀です。さ、受け取り
 なされ」智真は受け取った太刀を、ボンヤリと見つめる。スィと超一と超二が
立ち上がる。
「智真様、参りましょう」超二が幼い声を張り上げ、呼ばわる。ハッと気が付く
智真、太刀を握りしめると帯に差し込む。スックと立ち上がる。超一が微笑む。
写愚が威儀を正し、通尚に向かって合掌する。
「写愚殿、参ります」智真の声に、既に悩みはない。目を閉じた侭、写愚は頷き、
読経を始める。智真は、堂の扉を開け放つ。一陣の風が舞い込んでくる。袈裟を
翻し、静かに、しかし決然と足を踏み出す智真。超一と超二が軽やかな足取りで
従う。三つの影が山門を潜り、夜の闇へと溶け込んでいく。

(つづく)
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