AWC 『Angel & Geart Tale』(2) スティール


        
#2127/5495 長編
★タイトル (RJM     )  93/ 6/16   0:49  ( 98)
『Angel & Geart Tale』(2) スティール
★内容

          『漆黒の闇』 第二章

 次の日の朝、私は、香港のビクトリア・パークにいた。演説をするために。

『みなさん、とうとう、今日限りで、香港は、英国の手を離れ、中華人民共和国に
返還されることになりました。このことは、香港の終わりだけを意味するのではな
く、新しい旅立ちをも、意味しています。ここ数週間か、あるいは、数年間のあい
だに、多くの香港人が、香港を離れました。しかし、中華人民共和国に併合された
あとも、香港の状況に、変わりがなければ、きっと、彼らは帰ってくるでしょう。

 いま、大切なことは、過去を忘れ、未来と向き合うことです。過去を振り返るか、
否かは、個々人の自由だとしても、我々は、常に未来と、向き合わねばなりません。

 過ぎ去った過去は、いつもおぼろげで、果たして本当にあったのかどうか、怪し
いものです。過去の重大なことは覚えていても、昨日の三食のメニュー、どこをど
う歩いたか、などは、多くの人は、そのうち、いずれ、忘れてしまいます。
 しかし、未来は、どの人にも、これから、訪れるものです。未来といっても、決
して、おおげさなものだけとは、限りません。このあとの食事は、どうするのかと
いうのも、未来の問題です。はたして、どこで食事をし、また、どのようなものを
食べるのか。いつ食べるのか、独りで食べるのか、それとも、複数でか。何度も言
うようですが、未来は、誰にでも、訪れます。それが不幸であろうが、奇跡であろ
うが。


 この場で、私が言いたいのは、国家のイデオロギーに対することではなく、もっ
と、パーソナルな、個人的なことです。
 精神的な豊かさこそ、いまや、すべてを救う唯一の手段です。物質的な豊かさに
対する問題は、今日までの、人類の恒久の努力により、ある程度、研究され、改善
されつつあります。それに対し、精神的な問題については、学術的な研究の面はと
もかくとしても、我々の生活レベルにおいては、個人の努力によるもの以外では、
まったく改善されていないといっていいでしょう。
  しかも、個人的な努力と言っても、その方法や目標はまったく、抽象的な指標の
ない、いいかげんなものです。例えば、いま『世間の親が、子供のためと称して、
しつけをすれば』、どのような、いいかげんな方法でも、いいことになっています。



 私は、いま、ここで、地球上のすべての人々へ、精神的恐怖からの解放を宣言し
ます。これは、あたらしい問題提起であり、あたらしい提言と、言っていいでしょ
う。この宣言は、香港の返還という、香港の現在の現実の状況とは、直接的な関連
はありません。しかし、1997年の、いま、ここで、この香港で、この宣言を述
べることは、世界にとって、そして、香港や中国にとっても、包括的に意味のある
ことだと、信じます。会場のみなさんに、お願いします。どうか、私の話に、耳を
傾けてください。

 さて、いったい、何から、話したらわかりやすいのでしょうか? まず、私が言っ
ている、精神的という言葉の意味から、説明しましょう。精神と、一言でいっても、
いろいろな解釈があります。私が、ここで言う、精神とは、大きく、三つの部分に
分けられます。

 まず、一つ目の部分は、【本能】です。本能と言っても、いろいろ考えられます
が、私がここで言う、本能とは、人間が生まれついた時から持っている先天的なも
のを指します。自己防衛、種族保存、自己保存などの、欲求、衝動などを指します。
細かい点で、異論のある方もいるかもしれませんが、ここでは、とりあえず、先に
進みます。

 二つ目の部分は、【自己の理想と自己の現実とのギャップ】です。自己の現実は、
本人の認識能力により、ある程度左右されますが、本人の現在の状態への、認識な
いし解釈のことです。この場合は、世間的な客観的な解釈や、本人の現実の状態は、
関係ありません。自己の現実とは、あくまでも、本人の認識です。

 次に説明しなければならないのが、【理想の自己】です。この理想というのも、
本人の知覚によって認識される状態です。他人の目や、世間の尺度は関係ありませ
ん。この理想の自己というものが、どのように、形成されるのかは、あとで考える
ことにしましょう。

 ある人間なり動物なりが、自己の意志により、行動するのは、現実の自己を理想
の自己に近づけるためです。ここで言う行動とは、反射的、本能的なものではあり
ません。厳密に言えば、本能も深い関連があるのですが、ここで、それに触れると
長くなるので、ここでは、そういうことにします。反射的というのは、膝をたたく
と、足が上がるというような反応を指します。このようなものは、この場合の行動
から、除外します。

 また、人は誰しも、ドアに手が挟まれて、痛いと、手を引っ込めます。しかし、
いま、ここで、みなさんに、このケースを想定されると、わかりにくくなるので、
考えないでください。要するに、ある物事に、みんなが同じような反応を示すとい
うようなケースでは、各人ごとの差があまり出ないので、いまは、問題にしても、
ほとんど意味がないということです。そうすれば、少なくとも、本能的なものや反
射的なものを、考えなくても、済むわけです。

 いま、自分自身の願望について、考えてみてください。たいていの人は、何かを
欲しいと思っているでしょう。おもちゃとか、金とか、それとも、形のない名誉と
か愛のようなものを。それは、そのもの自体が欲しいというよりも、そのものを手
にした自分の状態を欲していると思われます。通常、物を手に入れたり、使用する
ことによって、食欲、名誉欲、独占欲などの、欲望を満たすのですから。

 世の中には、様々なケースがあり、一見すると、当てはまらないと思えるケース
もあります。例えば、中世の日本のサムライは、自己の名誉のために、ハラキリを
しました。これは、理想の自己が死であった、稀なケースであったと、言えるでしょ
う。通常は、苦しみから逃れるために、自己の命を絶つのですが、ハラキリの場合
は、自己の名誉を守るのが目的だったようです」










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