#3109/3137 空中分解2
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「僕と天使」 悠歩≠
★内容
「僕と天使」
悠歩
五時三十分、仕事が終わると僕はますっぐに家路につく。
たまにお酒に誘われる事もあるけど、僕は行かないよ。お酒なんて飲んでも気持ち
悪いだけだし、第一仕事が終わってまで会社の奴らといっしょになんていたくないも
の。
ぼくは知っているんだ。みんなが僕をばかにしていることを。
みんなは僕がのろまで、暗いって言うけどそうじゃない。僕は気の狂った連中とは
合わないだけなんだ。
僕は毎日、マンションの近くのコンビニエンス・ストアーで夕食を買って帰る。
面倒くさいけどしょうがない。僕は一人暮らしだから。父さんも母さんも、僕が一
人暮らしをすることに反対したけど無視したよ。
だってこのまま家にいたら、僕は殺されていたもの。知っているんだ、父さんも母
さんも僕を憎んでいることを。
どうして僕を憎んでいるかって? そんなこと知らないよ。どうでもいいもの。今
僕はこうして一人暮らしをしているから、父さんや母さんに殺される可能性は少なく
なっているし。
今日の夕食は、チキンラーメンと鮭と梅干しのおにぎりに決めた。奮発してデザー
トにババロアをつけよう。
「いらっしゃいませ」
愛想よく、レジの女の子が声を掛けてきた。本当は僕は人と話をするのは嫌いだけ
ど、この娘だけは別なんだ。
高校生のアルバイトかな。なんだか幼く見える。
長くてさらさらな髪。一度触ってみたいな。
くりくりっとした、かわいい目。すうっと通った鼻筋。小さな唇。白い肌。
そして天使のように、透き通った声で僕に言うんだ。
「お仕事の帰りですか、大変ですね」
てね。
「………うん……」
もっと話をしたいと思ったけど、言葉が出ない。仕方無いから、ポケットから丸め
た一万円札を出して会計を済ます。
「ありがとうございました」
天使の声を背中に受けながら、僕は店を出る。これだけで僕はまた、悪魔共のなか
で生きて行く勇気が沸き上がってくるんだ。
僕は思う。
彼女は本当に天使に違いないと。
この世は悪魔に支配されつつある。僕の父さんも母さんも悪魔の下僕と化している。
会社の連中もそうだ。それだけじゃない、僕の見るところマンションの住人もほとん
どが、悪魔に乗っ取られている。
僕の知るかぎり、悪魔の力に支配されていないのは僕と彼女だけだ。
そうだ!! 彼女こそ一人で悪魔と戦う僕のために神の遣わした天使に違いない。
きっと彼女だけがこの世でただ一人、僕と同じ神の一族なんだ。
彼女は僕に気付いているのだろうか。いや、心配は無用だろう。僕が彼女に気付い
た様に、神の一族は特殊な絆で結ばれている。彼女もすでに僕のことを感じているは
ずだ。
そうか……、彼女があのコンビニエンス・ストアーにいたのも偶然ではない。神か
らの使命を受けて僕を待っていたのだ。
よし明日、思い切って声を掛けよう。彼女の存在を悪魔共に知られる前に。
どうした事だ!
本当はいやで仕方がなかったが、どうしても仕事から抜け出せないで僕がコンビニ
エンス・ストアーに着いたのは、いつもより三十分ほど遅れてのことだった。
ところが、そこで僕を笑顔で向かえるはずの天使の姿が見当たらない。僕を待つ天
使がいるべき場所には、あきらかに悪魔の使いという風貌の若い男だった。
もしや!!
僕の心の中をとてつもない不安が駆け回る。
悪魔が彼女に気付いて、その存在を抹殺すべく手を回したのか? 充分有りうるこ
とだ。あれだけ眩い光を放つ天使だ。やつらに気付かれない訳がない。むしろ、いま
までやつらが何もしてこなかった事のほうが不思議なくらいだったのだ。
畜生! 僕がもっと早く、彼女に打ち明けていたらこんな事には。
僕はコンビニエンス・ストアーを飛び出し、天使の姿を求めて夜の街をあてもなく
駆け回った。
「そんな馬鹿な……」
僕は我が目を疑った。こんな事が有りうる訳がない。
二時間ほど街をさ迷った僕は、その甲斐あって天使の姿を見つけることが出来た。
後ろ姿ではあったが、僕にはそれが彼女であることが一目で分かった。
同じ神に属する者のみが成しうる奇跡である。
彼女の姿を確認したとき、僕は心から神に感謝をした。ところが……。
彼女の肩に手を掛ける悪魔があった。若くて整った顔立ちをしている男ではあった
が、その本性は醜く薄汚い悪魔であることは僕にはすぐに分かった。
当然、彼女は抵抗を示すはずだ。彼女は僕と共に悪魔と戦うべく使命を帯びて、神
がつかわした天使なのだから。
僕は彼女を悪魔の手から救うために拳を握り、男に飛び掛かろうと身構えた。それ
なのに……。
横に並んだ悪魔の方を彼女が向いたとき、その表情が後ろにいた僕にも見えた。脅
えながらも毅然とした態度で悪魔を拒む天使の姿。それが僕の見るべきはずの、彼女
の顔だ。
ところが驚くべきことに、彼女は悪魔に対して微笑んで見せた。いや、それだけな
らまだ、彼女が悪魔に哀れみを見せたのだとも思える。しかし彼女は悪魔の肩へ凭れ
掛かり、二人でホテルへと入って行った。
天使は悪魔の手に落ちた。
「これだけ言ってもだめみたいだね」
僕の最後の問い掛けにも、彼女はただ脅えたような視線を返すだけだった。騙され
てはいけない。あの目は悪魔の目だ。脅えたふりをして僕が隙を見せるのを狙ってい
る。あの愛しい天使は身も心も悪魔に成り下がっている。
それが証拠に、ホテルから出てきた男をせっかく角材で殴り殺してやったのに彼女
は僕に感謝するどころか、悲鳴を上げて助けを呼ぼうとした。仕方がないからこうし
て僕のマンションに連れてきてなんとか改心させようと説得を試みたけど、駄目だっ
た。
懸命に説得を続ける僕に彼女が言った言葉は一つだけ。
「あなたは狂ってる」
だってさ。これで分かったよ、もはや彼女を本来の使命に目覚めさせるのは、僕の
力じゃ叶わないって事が。
こうなったら一刻も早く、そして速やかに彼女の魂を神の元に返してやるしかない
だろう。ただし、悪魔に乗っ取られた体からその魂を開放してやるのは容易なことで
はないけれど。
はははっ、面白い。彼女の顔ってきたら。そんなに引きつった表情で目を大きく見
開いて、せっかくのかわいい顔が台無しだ。あんまり大声を出すものだから、タオル
で口を塞いでやる。
え? 何を言っているのか分からないよ。もごもごと。
そんなに怖がらなくてもいいのに。これが済めば君の魂は救われる。きっと僕に感
謝するよ。
うわっ、人の腕って結構固いものなんだな、包丁じゃ切れないや。チェーンソーな
んて持ってないし……。ああ、そうだ鋸ならあったな、ちょっと待ってね。
あったあった、ほら続きだ。だめだよ、暴れちゃあ。うまく切れないじゃないか。
あ痛。彼女の左手が僕の頬を打つ。
うっかりしてた。彼女の両手は後ろ手に縛り上げていたんだけど、右手を切り落と
したもんだから左手が自由になってしまった。ほら、暴れないで! 君の血で絨毯が
汚れてしまったじゃないか。先に足を切れば良かったかな。
もう、暴れるなって。これは君のためでもあるのに。しょうがないなあ。
僕は椅子を振り上げて、彼女の左の肩を力一杯叩く。
グシャっと鈍い音がした。鎖骨の砕けた音だろう。これで後からの仕事が楽になる。
想像以上に彼女の生命力はしぶとかった。結局、両手両足を切り落としても生きて
いて、魂が開放されたのは鋸が首に半分以上入ってからだもの。
「ふーっ」
全身を返り血で汚しながらも、僕は自分のした善行に大きく満足感を覚えていた。
これで神の元に召された彼女の魂は、本来の使命に目覚めて再び僕の前に現れるだろ
う。
「それまでしばらくのお別れだね」
絨毯の上に転がった彼女の頭を両手でそっと抱え上げ、僕は優しく言った。気のせ
いか、彼女の頭も僕に微笑んでくれたようだった。
見つけた! 間違い無い。あれはまさしく天使だ。彼女はやっぱり使命に目覚め、
僕のところに帰ってきた。
僕のよく行く喫茶店。新しいウェイトレス。
彼女は以前の記憶を失っているのか、僕の顔を見ても何も思い出さない様子だった
けど、周りの悪魔の目を気にしての事かも知れない。
なあに、たとえ忘れていたとしたって同じ神の加護を受ける者同志。僕が必ず思い
出させてやるさ………。
(終)