AWC     先生の一言(一人芝居)


        
#2988/3137 空中分解2
★タイトル (KGJ     )  93/ 3/14  10:50  (200)
    先生の一言(一人芝居)
★内容
                                村 風 子

 登場人物
  杉山 剛   六十五歳

      (一)

   霧が漂いながら流れる。黄葉した大銀杏、老杉に囲まれた墓地。立派な墓石を熱
  心に洗っている杉山剛が映し出される。剛は、上着を脱ぎ、腕まくりに、手拭の鉢
  巻き姿で、バケツの水を墓石に掛けながら、せっせと磨いている。

剛 (手を休めて)先生、一息入れさせて下さい。えー、先生は菓子だったね。(と、
 傍らの包みから煎餅を取り出して、供える。次にウイスキーのボトルを提げて、墓石
 の前に胡坐をかく。栓を開いて、一口呑み)あーァ、美味い。先生も食べてください
 よ、それ、上等の煎餅なんだ。先生が食べてくれなくちゃあ。俺、呑み難いんだ。先
 生が下戸で、好物は菓子、中でも煎餅が好きってことは、良く知ってる。だから、上
 等の煎餅を買ってきたんだ。しかし、先生、それでよく、お坊様が勤まったなァ。お
 坊様って、普通は、お酒飲みだよなァ。で、先生はどちらが本職だったんだい?

   剛、ボトルに口を付け、一口呷って、頭を垂れ、肩を落とす。銀杏の黄葉が右に
  左に、滑る様に幾葉か、舞い落ち、剛の背にも舞う。暫らくして頭を上げて墓石に
  向かい、容を正して。

剛 先生、高田先生。永いこと御無沙汰して、済みません。(頭を下げる)

   再び深々と頭を下げ、暫らくそのまま。
   小鳥の鳴き声。剛、ウイスキーを呑む。

剛 先生、小学校を出てから、色々あったけど、こんな歳になってしまった。頭が白く
 なると、先が見えるようになる。不思議なもので、先が見えないあいだは我武者羅に
 動けたが、歳かねえ、気が弱くなったのか人の気持ちの動きが気になる自分に気が付
 いた。その時、ふっと先生の顔が浮かんでね。先生と俺の関係は、恩師と生徒、そん
 な立派な関係じゃあ無い。ただ先生をてこずらせた生徒だった。家の親父もお袋も、
 俺に期待を掛けていた。中学へ行かせる心算でいたのが、望み無しと先生に言われて
 願書も書いて貰えなかった、勿論、受験は出来なかった。大東亜戦争が始まつていて
 中学は内申書と、面接試験だけだった。無理もなかったかも知れない、先生は、剛は
 馬鹿じゃあ無いと思うけど、と、進学のお願いに行ったお袋に言ったんだつてなァ、
 親父とお袋が話しているのを盗み聞きしたよ。親父達は、がつかりしてその話を其の
 時していたと思うが、盗み聞きした当の俺は、お目出度かったんだよなァ、そうか俺
 も馬鹿じやあ無い、と、そう素直に受け取ったんだもの。
  そして俺は高等科へ進んだ。新しい先生に代わって、俺も馬鹿じゃあ無いと言われ
 たから、少し真面目に勉強をした。

   剛、ボトルを片手に立ち上がり、墓石の前を俯き気味の姿勢で、ゆっくりと、行
  き来する。

剛 一学期が終り掛けた時、先生がお袋に聞いたとゆう、剛の小学校の成績は付け違っ
 ていないか、と。それ程に新しい先生は、俺の通信簿を付けるに困ったんだつて、そ
 んなに急に、勉強ができる様になる筈が無いと言うんだ、そんなこと言われたって俺
 は困るよな。それで、喜んだり慌てたりしたのは、親父とお袋さ、先生の話で、家に
 もとうとうとう馬鹿な奴が生まれたかと、すっかり俺のことは諦めて、百姓をさせる
 きり手は無いが、それでも、農学校ぐらいは出したいと祈る気持ちでいた処だったか
 らなァ。そこで、また俺は親父とお袋の話しているのを耳にしたんだ。小学校の先生
 はあんなことを言ってたが、剛も本当の馬鹿じゃあなさそうだ、いやそうじやあ無い
 剛の能力を引き出せなかったんだ。違った先生に教わって良かった。しかし、いま少
 し早く、先生さえ代わっていたらなァ。小学校の二年から六年まで、同じ先生なんて
 ことは、長過ぎた。馬鹿じゃあ無いと思うが? と、云う言い方は、世間一般には、
 馬鹿と言う遠回しの言い方だから。と、それを聞いて俺は、カット来てしまった。
  先生は俺のことを馬鹿っ て言ったんだから。馬鹿ってなァ。

   剛、墓石を睨む。が、またすぐにさらりと温和な容になって。

剛 ア、いけない。俺こんな事を言う為に、今日先生を訪ねて、五十年ぶりに来たんじ
 ゃあなかった。先生、すみません。人生の陽が西に大きく傾くと、世の中が、その西
 日に映えて眼に写る。不思議なもので、五十年余は、永いような短いようなで、過ぎ
 てしまつた。学校を出てから、同級会にもあまり出なくて、たまに気が向いて出席し
 ても、先生の顔も見えなかった。すぐに戦争が始まって、日本軍の破竹の勢いも、初
 めだけで、本土空襲、そして終戦。でも先生、先生のことを今日まで忘れていたわけ
 じゃあ無い、俺のことを馬鹿って言った先生のことを、いくら終戦後の混乱のなかで
 も、忘れるわけがないよ。いや、先生に馬鹿って言われたおかげで、今日、こんな気
 持ちで先生のお墓の掃除をさせて貰えるんだ。それにしても先生ひどいよ、黙って先
 に逝ちやうなんて、俺の言い分を聞かなんで。でも俺もこの歳、そんな無理を言って
 も、先生、待ちきれなかったかい。

   剛、無言でウイスキーのボトルを片付ける。
   銀杏の黄葉が滑るがに、次々に舞い落ちる。

剛 あァーァ、せつかくきれいに掃除したのに、また、こんなに散らかして、この銀杏
 の木。(梢を見上げ、再び足許に視線を落として見廻す)だが、綺麗に掃除した黒い
 土の上に、新しい銀杏の落葉の模様、いいねえ、先生のお墓を飾ってくれた。

   剛、梢をじっと見上げる。銀杏の黄葉が舞い落ちる。
   剛、幼年唱歌「木の葉」吉丸一昌作詞 梁田 貞作曲 を唄いだす。
     しゃがれ声で、たどたどしく下手である。

   散るよ 散るよ 木の葉が散るよ 風も吹かぬに 木の葉が散るよ
   ちら ちら ちら ちら ちいら ちら

剛 (暫らく無言)しかし、先生。先生は先生らしく無かった。かと言って、和尚らし
 くも無かった。先生の目が一番光って、張り切っていた授業は、俺が一番嫌いで苦手
 の唱歌の時間だった。先生は、黒豹がでんと踏張ったかに見える、黒光りのピアノの
 前に立つと、眼を輝かせて、片手に指揮棒、そしてもう片方の手を鷲の脚のように、
 カット開いて、ピアノのキーを三個同時に、ガーンと叩く、はい、これは何の音?
 こうくる。

   剛、指揮棒を片手に、ピアノのキーを叩く先生の仕草、続いて、それに答える生
    徒の仕草と、代わる代わる続ける。

剛 俺の耳には、ただガーンと響くだけ。処がいけない、ハァーイ、と手を挙げる奴が
 いて、エー ゲー ツェー 。次に、ガーン。はい。エー エフ ゲー。答えるんだ
 な、手におえん、先生は得意満面に尚も続ける。先生いくら得意になったって、クリ
 クリ坊主のテカテカ頭。ベートーベンだつてモーツァルトだって、音楽家の誰の写真
 を見たって髪の毛は長いのに、テカテカ頭の得意顔、それを見ているだけで、それが
 楽しくてピアノの音を聞き分けようなんて神経の集中は、吹き飛ばされる。他の組は
 ドレミなのに、なんで、俺達の組だけが、ツェー デー エー なのか、その訳も解
 らなかった。これが終わると次に発声練習。だが、その前に先生は必ず指揮棒を逆さ
 に持ちかえて、両手の、親指と人差し指でズボンをバンドの上から摘んで、教壇の上
 から俺達生徒を一回り見回してから、背伸びするかに、ピョンと爪先立ちしてズボン
 を引き上げる。先生、先生が、そのヅボンを吊り揚げる格好を高田踊りと言って、皆
 で真似をしていたこと、知ってたかい。

   剛、指揮棒を持ち替え、ズボンを両手で摘み、爪先立ちして引き上げる仕草後、
    得意顔で辺りを見回してから、指揮棒を持ち直して振り上げ、指揮棒を揮る仕
    草を続けながら。

剛 そして先生は、指揮棒を振りながら、ハイ。 アー アー アー アー
 また、だめだ。と、指揮棒を頭の上で、左右に強く振りながら、教壇から飛び降りる
 なり、剛。棒をつないだみたいな出鱈目の声を出すでない。と、先生は俺の頭を指揮
 棒で叩く、続いて、お前もお前も、お前もだ。と、三、四人が続けざまに叩かれる。
 だが、何時も決まって叩かれるのは俺と敏之だ。ほかは入れ替わる。この三十六人の
 声が、本当に聞き分けられたのか、と、不思議だ。しかし俺は無神経に声だけ出した
 ことは間違い無かった。こうした後、先生は俺達生徒に唄わせる。

   剛、暫らく間を於いて唄いだす。小学唱歌 動物園 井上赳作詞 作曲者不詳

   動物園ののどかな午後は 孔雀がすっかり得意になって
   うち中一ぱいひろげて見せる 金ぴか模様の晴れ着の衣装

   剛、二番を替歌にして唄う。

   ライオンも 虎も 眠っているが  高田は のんきなとぼけた顔で
   煎餅たべては けろりとしてる  故郷のお寺も忘れたように

剛 先生、俺達がこんな替歌を歌っていたことを、知ってたですか。知らない様な顔を
 していても、先生は知ってたよね。俺達わざと先生に聞こえる様な処で、聞こえる様
 な声で唄ったんだから、でも先生は、唄っている事について一言も触れなかった。だ
 から俺達。いや、俺は意地になって、音痴な俺が、無理して下手な唱歌を唄った。
  それには訳があったんだ。先生は忘れているでしょうが、音楽会の前日、全校の総
 練習の時、俺達の組が舞台に整列して、先生のピアノの伴奏で合唱が始まって間もな
 くだ、先生は癇癪を起こして、ピアノを、ガアーン、ガアーン、と二回叩くと指揮棒
 を片手に俺達の前に飛び出して、お前とお前。俺と敏之の頭を指揮棒で叩くと、変な
 声を出すじやあない。お前等二人は声を出すな。と、怒鳴つて、初めから。ところが
 また、た先生は癇癪を起こして飛び出た。俺と敏之の頭をポンポンと指揮棒で叩き、
 口をふさいでいろと誰が言った。声を出すなと言ったのが解らんか、口だけはちゃん
 と合わせて動すんだ。全校生徒、そして父兄がお前等の唄うのを見ているんだぞ。と
 きた、あれには参ったな。先生の怒った顔を、今でもよく覚えている。でも俺はその
 時感心した。やはり先生は、先生だけのことはある、と。
  三十六人の声を聞き分けながら、口の動きまで見ていた。先生でなくちゃあ出来な
 いことだ。俺もどうしたらそんなふうになれるかなァ、と、思った。でもね、先生。
 その時からだ、唱歌を唄っている時、ふと自分の声が聞こえてきて、おやっと思った
 とたんに、調子が狂っちやうんだ、それが人前だと一層激しく成つて、音痴の上に重
 なつたから、とうとう人前で一人では唄えなくなっちやつた。それが今だに続いてい
 る。六十を超しても治らない。先生、今は、猫も杓子もカラオケ、カラオケ、一杯呑
 んで二次会は決まってカラオケバーかスナック、演歌一つ、唄えない者の惨めさは、
 宴会の度、飲み会の度に身に沁みて、先生の顔が眼に浮かぶ。でもね、先生。俺は演
 歌が大好きで、一人で唄つて居るんです、一人なら楽に唄えて、調子も狂わないんで
 す。可笑しいんだ、人前で唄い出すと先生の声が聞こえてくる、「変な声を出すじゃ
 あない」それで総てが狂い出す。俺は先生の声に追われて生きてきた。
  先生の声は、それだけじゃあ無い、「剛は馬鹿じゃあないと思うが」の声だ、この
 声は、躓いた時に聞こえてくる。小学校の六年生までの勉強を怠けて遊び惚けた俺は
 社会に出て躓きばかり、先ず字が下手、漢字を知らない、そうなると、人前で字を書
 くのが恐ろしくなる、そのうえ漢字を知らないんだから、漢字が読めない、これだけ
 揃うと、もう社会では誰も一人前の扱いをしてくれない、処がそんな俺が、曲がりな
 りにも周囲の人達に用いられて今の地位を、与えられて仕事を続けてこの歳まで来ら
 れたのは、先生の言われた通り「俺は馬鹿じゃあ無い」と思うようになれたからだ。
 そんな自信を持てたのは、俺のことを、何時か周囲で、奴は不断はふざけて居るのか
 と恍けて居るのか、分からん程に、と恍けた奴だが、いざ、ここが肝心要となると、
 いやに落ち着き、急に頭の回転が良くなる。と言われた。俺は何も不断と恍けている
 んじゃあ無い、世間一般の人の様な気働きが無いんだ。それに上司に取り入ることも
 好きじゃあ無い、また時の勢力に尻尾を振るのも嫌い、派閥に属して身の安全を考え
 る器用さも無い。そんなだから、不断は失敗と躓きばかり、でも、高度成長の変革の
 激しい世の中を、上手に泳いで出世を図ろうと考えている奴、一つここを上手に立ち
 回って一儲けしょうと企む奴らが、慌てるような場面に出くわすと、俺は慌てなくて
 も良いから、頭がすっきりして、そんな人達の醜い心の動きが見え、思ったことが、
 つい口から出てしまって、そんなこんなで、つい実力以上に買われて、買われて困っ
 て勉強をし、失敗したり躓いて恥をかいて勉強をし、この歳になってしまった。

   剛 傍らに置いてあった生花の包みを開けて、墓石の前に供えて飾りながら。

剛 先生、俺の一生はまあまあだった、と、そう思えるそれだけで、それだけで、何も
 言う事はない。百姓の長男に生まれた、其の年は世界大恐慌。ニューヨーク株式大暴
 落、暗黒の木曜日。海の向こうでの出来事と言っても、それは、その日をきっかけに
 して世界に広まった。日本でも、昭和五年三月二日には、株式・商品市場で価格が暴
 落。生糸の受けた打撃は大きくて、失業者は増える。都会も農村も、特に農村の出稼
 ぎは前借金をしなければ食え無いなかで、若い婦女子の出稼ぎ先の製糸、紡績工場の
 操短、廃業で百姓の生活は圧迫されて、借金が膨らむばかり、そんな中でおおきく成
 った、だから、親も苦労した。苦労しながら親は子に望みを掛けた。その子が先生に
 「馬鹿じゃあないと思うが?」なんて言われたら、先生判るでしょう。
  でも、先生、先生のお墓をこうして花で飾れるなんて、俺は幸せものと言えるか、
 俺は学校も先生も嫌いだけど、先生にわ感謝しているよ。

   剛 先生のお墓を生花で飾り、菓子など供え、線香をあげながら、口ずさむ。
    小学唱歌 木の葉 動物園

      (二)









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