AWC 「よく・ある・話」−舟−   写愚


        
#2795/3137 空中分解2
★タイトル (ZBF     )  93/ 2/ 2  18:36  ( 85)
「よく・ある・話」−舟−   写愚
★内容


              ステブネ
      打ち上げられし 廃舟に 北風の吹く


    空腹だった。垢に塗れたセエタアを冬の風は素通りする。寒い。もう
   一日、何も食っていない。河口の工場からはドス黒い煙がたち上ってい
   る。人けのない川端の道。ガアドレエルから見下ろすと、河原に廃舟が
   打ち上げられている。どこをどう彷徨ったのか。水苔とカキで覆われた
   側面が寂しくトゲトゲしい。水を吸い乾きボロボロに朽ちた体は、不思
   議に原形をとどめている。
    アイツに捨てられた。新しい男が出来たのだと言う。予感はしていた。
   アイツは軽い気持ちで俺と付き合っていた。俺は本気だった。あれから
   俺はコンビニをハシゴして夜を過ごした。自分の部屋に帰る気はしなか
   った。アソコにはアイツの存在が染みついているような気がして。「寒
   いから気を付けてね じゃっ さよならぁ」。自分の部屋から俺を送り
   出すアイツの声は、いつものように明るく屈託がなかった。
    河原に降りて舟を見つめた。妙に気を引く舟だった。俺は友達に会っ
   たように明るい気持ちになった。乗ってみた。木の体は湿っていたが、
   柔らかい感触だった。座ってさっき買ったワン・カップの焼酎を開ける。
   甘いアルコオルの臭いが鼻をくすぐる。ひと口飲むと、胸の辺りに温か
   さが広がった。手で口を拭う。無精髭がザラつく。ふた口目で酒を飲ん
   でいる気になってきた。
    空はピンクに輝きだしている。正面の海に、赤く真ん丸い太陽が、沈
   もうとしている。すごくイイ気分だった。何がドウでもヨクなっていた。
   舟の中で横になった。少し寒かったが、一度横になると何をするのも億
   劫で、そのまま体を丸め眠りに落ちていった。
    咳込んで、目が覚めた。いつのまにか舟は半ば沈んでいた。潮が満ち
   てきたらしい。俺の体も半ば水につかっている。体を起こそうとしたが
   足の感覚がない。それならそれでイイや。もう何をするのも面倒だ。真
   上には奇麗な星たちが輝いている。舟はユックリ沈んでいく。顔が水面
   から出ているだけの格好になった。舟は沈むのを止めた。ちょうど力が
   釣り合ったのだろう。眠たくなってきた。まぶたを閉じると、アイツの
   顔が浮かんできた。ニッコリと笑っている。「寒いから気を付けてね」
   か・・・。ワケもなく笑いが込み上げてきた。
    ウトウトしているとゴツンと衝撃があった。反射的に目を開けると、
   ガアドレイルが目の前にあった。頭の中が空白になった。俺は最後の力
   を振り絞って腕を伸ばし、道路の端に手をかけた。




    「ねえ 今日が何の日か覚えてる」
    「んー ええと 結婚記念日じゃないし 誕生日でもないし・・・
     何の日だったかなぁ」
    「忘れたのぉ ほら あの日 ビショ濡れになったアナタが
     アタシの部屋に来て・・・」
    「あ ああ そんなコトもあったね」
    「あったね じゃないわよ
     ビショ濡れになって部屋に入ってきて
     いきなりアタシを抱きしめて・・・」
    「い いいじゃないか 昔のコトだろ」
    「ふふふ そして 『俺を捨てないでくれ』って言って失神したのよ
     覚えてるでしょ」
    「あ ああ・・・」
    「あれから アタシ お風呂沸かして温めて 大変だったんだからね」
    「ん んん」
    「あれで アタシ 思ったの
     この人にはアタシが付いてなきゃ ダメだって ねえ 聞いてる」
    「あ ああ」
    「もお 新聞なんかで顔を隠して・・・」
    「いってきまぁす」
    「あ 勇太くん いってらっしゃい 車に気を付けるのよ」
    「あ 俺も そろそろ会社に・・・」

    俺は妻の想い出話から逃れるために、いつもより十分早く家を出た。
   団地の階段を駆け降り、息子の勇太に追い着いた。
    「勇太 お父さんが車で幼稚園まで連れてってやる」
    「本当っ わあい」
    勇太をチャイルド・シートに乗せて車を出した。暫く通らなかった河
   端の道。干潮のようだ。広い河川敷には殆ど水がない。勇太は熱心に外
   を見つめている。
    「ああー ボロっちい舟ぇ」
    勇太の悪態に視線を河原に向けると、あの舟が十年前の姿のままに打
   ち上げられていた。俺は何というコトもなく勇太に話しかけた。
    「お母さん 今はデブリングだけど十年前は奇麗だったんだぞぉ」
    勇太はキョトンとコチラを向いた。
    「ふうん・・・・・・ お父さん お母さんのコト好き?」
    「ああ 大好きさ」
    俺は躊躇なく答えた。
    「よかったぁ」
    俺と勇太はスッキリとした冬の朝日の中、顔を見合わすと、腹の底か
   ら笑いあった。
                                                        (お粗末)




前のメッセージ 次のメッセージ 
「空中分解2」一覧 久作の作品 久作のホームページ
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE