AWC お題>「指輪を飲み込んだヤモリの憂鬱」椿 美枝子


        
#2788/3137 空中分解2
★タイトル (RMM     )  93/ 2/ 1  23:53  ( 79)
お題>「指輪を飲み込んだヤモリの憂鬱」椿 美枝子
★内容
「これ、やっぱりお受け取りできません。」
 私の前には婚約者、テーブルの小箱は誕生石の指輪。そしてここは古ぼけた喫
茶店、婚約者が未だただの恋人だった頃、二人でよく来た店。
「ふうん。どうして。」
 意外にも落ちついた声で婚約者は指輪の箱を開けアクアマリンを眺め自らの薬
指にはめてみている。何を考えているんだろう。この人はいつもこうだ、間が抜
けている。
「結婚、出来ません。」
 はっきり言った方がいい。その方がいいんだ。二人の為だ。
「ふうん、どうして。」
 さほど表情を変えずに婚約者は今度は指輪を小指にはめてみている。信じられ
ない。我慢できなくなって、声を荒げた。
「あなたが私の何を知っているというの。」
 声を荒げる時があればそれはいつも私の方。
「知らない。教えて。」
 ようやく指輪を箱に納め突然私の眼を見て、微笑。嫌な奴。私はため息をつい
て話し始める。
「それなら、お姫様の話。聞きたい?」
「うん。聞かせて。」
 幸せそうな顔をした。私より端正なその顔を歪ませてやる。
「むかし、顔はきれいでも口汚いお姫様がいました。話す度、口からカエルやヤ
モリが飛び出してくるの。忘れちゃったけれどそういうお話。童話だったと思う。
今から私が話すこの先は童話じゃないからね。そのお姫様はやがて、正真正銘カ
エルかヤモリになっちゃうの。どっちでもいい。でも、私はカエルは嫌いだから
ヤモリにしておく。そしてね、もうお姫様はヤモリなんだって事を知らない婚約
者がアクアマリンの指輪を持って婚約しようっていうの。ヤモリになったお姫様
は、指輪のサイズが合わないし指輪を返すの。そして婚約者にさようならを言う
の。」
「そうか、それが、僕だね。」
 嬉しそうな顔の婚約者。何が嬉しいんだろう、この人は。
「そうよ、それが、あなたよ。」
 会見はこれで終わった。言うんだ、席を立って、さようなら、と。それで全て
が終わるんだ。式に伴う煩雑な事を、もう考えなくていい。この人の事を、もう
考えなくていい。
「それなら、僕は知ってるよ。」
 婚約者は相変わらず落ちついた口調。
「何を。」
 苛立つ私。
「君がたまには口汚い事も、君の指輪のサイズも。」
 そう言って私の手をとって、左手の薬指に指輪をはめた。
 違う。それだけじゃない、私は醜い。
 例えば、あなたの端正な顔を憎む。あなたの優しい性格を憎む。あなたの優秀
な頭を憎む。それらは私より優れているから。あなたの全てが。だから、私は、
醜い。
 言ってしまおうか。それができれば苦労はしない。そしてわたしは今日も言葉
を飲み込んだ。おそらくもうすぐ二人が一つの家に住む。



 また機嫌損ねたみたいだ。大体、彼女の口がやけにしおらしく丁寧になる時は
危ないんだ。ほら、滅多にしないくせに指輪なんか持ってきて。それにしても、
細い指してるな。あ、指の細さじゃないんだ、関節の細さなんだ。俺のは出っ張っ
てるからな。薬指じゃ第二関節の手前で止まる。小指で挑戦。ああ、結婚できな
い、って、彼女のこういうのはまともに取り合ってはいけない。小指だと丁度い
いな。いかん、少し興奮している。こういう時はストレスの種を取り除いてやる
しかない。どうぞ話して下さいな。お姫様の話? また訳のわからん事を。なん
だって。あ、口汚いって? いや、それほどでもないと思うけれど、そう言うと
逆効果だし。でも素直に肯定すると怒るんだよね、私やっぱりそんなに口汚いの
ね、とか言ってさ。半分ぐらい否定しなくては。それにしても青白い肌だな、ア
クアマリンがよく映える。ヤモリって、こんな色じゃないよな。彼女がヤモリな
ら、俺は何だっていうんだろう。
 全く、一体、いつになったら気付いてくれるかな。例えば、弛緩させると怒っ
た表情になってしまう俺のこの顔に。裏表があって底意地が悪く歪んだ俺のこの
性格に。独創性のかけらもない俺のこの頭に。ようやく気付いてくれた頃には、
けれども、もう遅い。二人は一つの家に住む。俺の事を嫌いにならないといいけ
れど。まだ、本当の姿は、さらせない。俺は彼女の事を、好きなんだから。俺こ
そヤモリだとしても、気付かせる訳にはいかない。



 ヤモリが指輪を呑み込む、そしてそれは吐き出されない。
 例えば吐き出されたとしても、それは今ではない。


                       1993.2.1.23:25

                  終

          楽理という仇名 こと 椿 美枝子




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