#2784/3137 空中分解2
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Yの殺人 10 平野年男
★内容
そういうわけだから、両親とも情緒的に食い違うのか、体育大学卒業と同時
に独立−−しっかりと恵美から資産をおすそわけしてもらいながら−−し、結
婚も電撃的にやってのけた。ただ、電撃的というのは、両親からみた場合であ
ろう。孝亮としては、自然の成行きとして、昌枝夫人と結婚したに違いない。
以来、孝亮と洋二とは疎遠になっていた。どちらかと言えば、洋二の方が一
方的に遠ざけていたのだが。
「はは。相変わらず、嫌っているみたいだな」
「いや、許すかもしれない」
「どういう風の吹き回しだい?」
「……孫ができるらしいんだ」
「と言うと……昌枝さんがおめでたか?」
「らしいねえ。はっきりと言っては来ないんだが」
「そいつはやっぱり、めでたいな。おじいさんになるわけか」
「そうさ。だから、ここらで許す度量があっていいんじゃないかと思ってな」
「そりゃ、いいと思うけど。息子夫婦とどうこう言う前に、奥さんの方を何と
かしろよ。独り者の俺だって、気にならあ」
それからしばらく、同じ内容のことをしゃべってから、鳥部は帰った。
洋二は友人を見送る−−隣に住んでいるのだが−−と、カップにわずかに残
っていたコーヒーを飲み干し、自ら研究室と呼んでいる書斎に入った。やりか
けの心理学研究の計画書類を眺めたが、何かもやもやした物があり、集中でき
ない。
「何とかしろ、か……」
洋二は、自分に向けてその言葉を吐いた。
その時、表で騒がしい車の音がした。神尾友康が畑恵美を連れて戻ってきた
のだ。
「お帰り」
そう努力しているのか、洋二は恵美に無表情に言った。
「神尾さん、娘さんは先に帰りましたよ。電車だと思います」
「……そいつはどうも。では、ここいらで帰らせてもらいますか」
神尾友康は、64という年齢に似合わない、若い声で応えた。白髪やしわは
目立つものの、肌の張り自体は衰えている様子はなく、男前の面影も残してい
る。
「来週も、ですか」
「どうだろう。そうだね、いいかもしれないな」
そして恵美に眼で合図を送るような仕草を見せ、神尾は帰って行った。
後に残ったのは、気まずさも薄らいだ日常的な風景であった。夫婦は無言で
すれ違うと、一人は台所に、一人は書斎に足を向けた。
「もう、孝亮達を許してはどうかな」
皿をかちゃかちゃさせていた手を止め、洋二が言った。
この突然の夫の言葉を、恵美は訝しく思った。夕食時に夫婦で会話を交わす
など、久しぶりであった。
「どういうことかしら?」
「どういうって、別に何もないよ。ただ、孫もできることだし、これを潮に、
元通りに」
「私は構いません。元々、そんなに孝亮とはどうということでなかったのです
から」
「じゃあ、パーティを開こう。孫の誕生の後がいい」
「パーティ? あなたからそんな言葉が出るとは思ってもみなかったわ」
「そうかな。それで家族だけでなく、親しい人にも来てもらおう。迷惑になら
ない人、そうだ、僕は鳥部君だな、やっぱり。君は誰がいる?」
「……そうねえ……。友康さんね」
言い終わると同時に、恵美は洋二の顔を見た。反応をうかがっているのだ。
恵美の予想に反し、洋二は、あっさりと受け止めた。
「いいね。それなら、留依お嬢さんもだね」
「……そうね」
「うん、楽しみだ。やっぱり、料理が大変だろう。君にも頑張ってもらわない
とね。アメリカなんかだと、簡単でいいんだけど、日本人というのは、パーテ
ィと聞くと、豪勢な料理しか思い浮かべないから」
いつになく饒舌な夫を、妻はますます訝しげに見つめた。
「研究の方は、いいの?」
「そりゃあ、何とでもなる。君がいつも言っているように、クダラナイ研究だ
からな」
「ふうん……。じゃ、やりましょ」
楽しみだわという顔をしてみせ、恵美は笑った。
孝亮と昌枝の子供、恵美や洋二にとっての孫が生まれたのは、そんな話をし
てから丁度一週間目のことであった。
事前に連絡をしておいたので、パーティの日もスムースに決まり、赤ん坊の
誕生から一ヶ月目の最初の日曜となった。
朝からパーティの準備で、畑家の調理場はてんてこまいの状態であった。普
段は滅多にキッチンに立たない恵美も、今日ばかりはお手伝いと共に働いてい
る。
「あ、神尾さんが来たみたいだ。恵美、出るの?」
「今、手が放せないの。上がってもらってて頂戴」
「分かった」
洋二が玄関まで出て行くと、神尾友康と留依が車から降りてきたところだっ
た。
格好つけたがりなのか、友康は羽織袴という出で立ちだ。背筋をしゃんと伸
ばして無理をしているようだ。
留依は普段の地味な格好に比べると、幾分派手な、うすい桃色のドレスを着
ている。化粧もしているらしく、いつもとは格段に美しさが違う。大きな目と
釣合が取れるよう、口や鼻といった点を強調させると、こうも変わるのか。
「や、洋二さん。お孫さんの誕生ですな。おめでとう」
「いやあ、あなたより早くおじいさんになるとは思ってもいませんでしたよ」
「確かに、留依も早くいい人を見つけて、結婚して、赤ん坊の一人や二人、こしらえて
もらいたいね」
「お父さんっ」
留依は恥ずかしげに言った。年齢から言うと、そんな恥ずかしいとかいうも
のではないのに、顔を赤らめてさえいる。
「いや、理想が高いのもよいが、ここは一つ、早く結婚するべきだよ」
洋二は軽く笑いながら、留依に話しかける。
「いい人、いるのでしょう」
「そんな……。私、何も取柄ないし」
「何を言うかと思えば。磨きをかけたら、この通り、留依さんはきれいなもん
だ。まずはその美しさで男を引き付けなさいな」
「そんな……」
同じ台詞を繰り返そうとした留依。
それではきりがないと思ったのかどうか、洋二は二人を邸内へ招き入れた。
恵美という女の元の夫と現在の夫の話にしては、随分と明るい話題で話が弾ん
だと言えた。
そこへやって来たのは、鳥部竜雄。彼は神尾親娘に軽く挨拶をすると、洋二
に向き直った。神尾親娘は場を離れ、奥に行く。
「いよいよじいさんか。まずはおめでとう、ははは!」
鳥部の言葉に、洋二は苦笑い。
「本当に許すことにしたんだな、孝亮君らを。まあ、それで正常、普通の親子
だ。時に、孫の名前は誰がつけるんだい?」
「一応、孝亮に昌枝さん、それに私ら夫婦の意見もいれて、となってるね。だ
が、やはり、親が命名するものだろう」
「はあん。そういや、赤ん坊って男か女か聞いてなかったな。どっちだ?」
「男の子さ。1度、病院に見に行ったんだが、そりゃかわいいね」
「何を言ってやがる。赤ん坊の頃なんてのはなあ、誰だって一緒、猿といい勝
負に決まってる」
「そりゃ確かにそうだ」
こうして大笑いしていると、また玄関からお呼びがかかった。
「おっと、ついに主役の到着だな」
そう言って、元気よく立ち上がった洋二は、鳥部を残して玄関に向かった。
ドアを開けると、赤ん坊を腕に抱えた、髪をまとめた女と、その肩に軽く手
をかけた男が立っていた。
「よく来たね、孝亮、昌枝さん。本日はあなた達二人、いやいや、赤ん坊もい
れて三人が主役だ」
「どうも、わざわざ、こんな事までしていただいて、ありがとうございます」
昌枝は赤ん坊を抱いたまま、身体を二つに折った。
「久しぶりですよね、お父さん」
孝亮の方は、少し照れ笑いらしきものを顔面に浮かべつつ、洋二に話しかけ
た。
「何が久しぶりだ、こいつ。この前、病院で会ったぞ」
「いや、この家で会うのが久しぶりだってことで」
「それもそうだな」
「ところで……、神尾さんが来ているそうですが、お母さんとは、どうなって
いるんです?」
孝亮の質問に、洋二は顔をしかめた。
「おまえ達は、そんなつまらんことに心配をかけんでいいから。さ、とにかく
入りなさい」
そう答えておいて、洋二は二人を促した。
「みんな、だいたい、食べ終わったようですね?」
興奮しているためか、うわずった調子で、洋二はそう言い、テーブルを見回
した。
「最初にも言いましたが、本日はご出席、ありがとうございます。えっと、二
人に聞いたところ、名前が決まったということで、ここで発表してもらいます」
「それでは……」
促された孝亮は、懐に入れていた和紙のような物を取り出し、ひろげた。『
譲次』とある。
「命名、じょうじ。譲るに次ぐと書きます」
「ふうん。いい名じゃないか。なあ、譲次ちゃん?」
ややおどけ加減に鳥部が言うと、母親に抱かれた赤ん坊は、「ABAB」と
意味不明の反応をした。
「いや、結構結構。うーむ、留依が生まれたときのことを思い出すなあ」
分かっていて言っているのか、神尾友康はそう言い放って、手を叩き始めた。
それを感じ取ったか、洋二の妻・恵美も口元に笑いを浮かべている。畑の娘二
人は、呆れてしまっていた。神尾留依が父親を止めようとするのだが、友康は
構わないでいる。
場を取り繕うように、洋二は大きな声で言った。
「では、最後にこの子に祝福する意味で、乾杯といきましょう。恵美に菊子、
百合子。運んで来ておくれ」
素直に席を立った娘二人と違い、妻は主導権を握っている洋二を気に入らな
いらしく、じらすようにゆっくりと行動をとった。それでも、奥から娘達の呼
ぶ声がすると、さっさと動き出す。
「おお、来た来た」
菊子が運んで来たお盆からグラスを一つずつ取り、洋二は招待客に回して行
った。赤い液体の入った小さなグラスが、全員の手に行き渡る。
「それでは、
あらすじ
第1の犠牲者、神尾友康。パーティの席上での毒殺が望ましいが、毒の混入
方法を思い付かない。毒自体は大学から洋二が盗んだものとすればよいが。毒
を捨てて、パーティの帰り、刃物で襲うか?
第2の犠牲者、畑恵美。洋二の最大目的。■器で殴り殺すのがいい。最も恐
怖を感じさせる殺害方法だと考える。
ここまでで、当然ながら、疑われるのは洋二。証拠はないものの、警察の追
及は急。これをたえる様子を書く。読者にも洋二がえんざいだと思わせる風に。
第3の犠牲者、畑昌枝。容疑を他に向けるため。女なら、老いた洋二にも締
め殺せようから、絞殺とする。
第4の犠牲者、畑孝亮。服毒自殺に見せかける。遺書を書かせる方法に難。
ワードプロセッサーですませるか。孝亮を犯人のように見せかけ、事件は一応
の幕となる。
最後の章で真犯人・洋二の告白となる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これが全てである。お分かりのように、まだ何も起こらないところでぷつん
と切れていて、あらすじが継ぎ足されてあった。学者にしてはよく書いている
方だと思うが、漢字の使い方がやや変わっている。ワープロの変換に任せたよ
うなところがある。あらすじの一部がかすれている(注:■器)のは、印刷の
ときに失敗したのだろう。
途中で終わっているのは、気力が続かなかったこと、研究が忙しかったこと、
毒殺トリックを思い付かなかったこと等が考えられる。
「実名を使っているのは、本気で恵美を殺すことを考えていたからかね」
「しかし、神尾友康が健在な点や、神尾留依がまずまず普通の女性として描か
れている点が、完全な虚構と感じさせるな。時代も数年前のようだし」
「ふむ。愛する孫に捧げるとは、どういう意味なんだろうな。作中に譲次は赤
ん坊として登場してるが」
そんな問答を流と交わした。この時点で警察の調べはすんでおり、原稿から
は畑洋二の指紋だけが検出されていた。
「畑洋二が実は生きていて、殺人計画を実行に移しているなんてことはないよ
な」
事務所で私は、流に聞いた。足を組み直してから、彼は答える。
−続く