#2777/3137 空中分解2
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Yの殺人 3 平野年男
★内容
「こちらです」
顔は見えないが、聞き覚えのある声がした。そちらへ行くと、記憶にある若
い警官が立っていた。畑洋二の墜落死事件を処理する際に、見た顔だった。
「ご苦労」
それだけ言って、吉田は、所在なさげに立っている青年に目を向けた。パジ
ャマのような上着に、ジャージを履いていた。靴はサンダルのようで、いかに
も、ちょっと出かけただけで、巻き込まれてしまったという容貌。
「寒くないかね? 今まで車の中で待ってもらっていたようだが」
「まあ、大丈夫……」
もごもごと口を動かす青年。
相手はそう答えたものの、吉田はやはり気の毒だと思い、パトカーの中に青
年を招き入れた。吉田自身は一端、出て、自動販売機を捜したが、冷たい飲物
ばかり売っていたので、結局、手ぶらで車内に戻った。
青年は、近所の木造アパートに住む大学生で、あまり有名でない私大に通っ
ていた。前もって浜本から聞いていたように、青年はアパートで簡単な夕食を
取った後、丁度、雨が上がりかけていたので、ビールと煙草を買いに出たとの
ことであった。傘をさす必要はないぐらいだったから、持って出たのは金だけ
だったと言う。
「何時ぐらいだったんだね、アパートを出たのは?」
「うんと……」
青年は不精髭を気にしているのか、しきりに手を顎にやりながら、もごもご
と答えた。
「さっきも聞かれたんだけどぉ、はっきりしないんすよ。何となく、窓見たら、
雨上がってらって感じ」
「テレビか何か見てなかったのかね? この番組が終わった頃だったから、何
時ぐらいだっていう風にだ」
「野球がないって分かったから、ぼーっとしか見てなかったなあ」
青年の様子を見て、吉田はあきらめ加減になった。通報時刻から考える方が、
早そうである。
「じゃあ、話を換えよう。いいかね、君は空き地に遺体を見つけた後、すぐに
通報したのかい?」
「……いや。ひょこひょこって、側までよって、じぃっと見ちまったから、結
構、時間、食ったかもしんないっす」
「何分間ぐらいだね、それは」
「……十分……かなあ。色々、考えたし」
「考えた? 何をだ?」
「面倒に巻き込まれるのって、面倒だなあってさ。で、電話しようかどうしよ
うか、迷って、結局、友達に自慢できるなって思って、したんで」
青年は、変な言い回しをだらだらと続けそうだった。だから、吉田はここで、
完全にあきらめた。死亡推定時刻を少しでも縮められないかと願ったが、この
線では無理のようだ。
「ああ、分かった分かった。長い間、引き留めて悪かったね。もう、帰ってい
いよ」
青年は、黙ってドアを開け、外に出た。
(今年は、昭和で言えば何年だったかな)
とぼとぼと歩いて行く青年の後ろ姿を見送りながら、吉田はそんなことを考
えていた。青年の学生証を、頭に思い浮かべながら。
(あいつ、二十歳になってるのかね。ま、ごたごた言ってもきりがないが、せ
めて、警察の前では考えろよな)
「では、亡くなった小室さんは、当日、こちらを訪ねられていないんですな?」
吉田は、再び訪れた畑邸にて、今や未亡人となった畑恵美に聞いていた。小
室の遺体が発見された空き地が、畑の家に程近かったことがなくても、吉田は
聞き込みに来ていただろう。小室が一人暮しで、ふた親とも一昨年に亡くして
いたせいもある。
偶然にも、またも日曜日に重なっていたので、場には、畑屋敷にいる全員が
集まっていた。ただし、女主人の孫である譲次は遊びに出していたし、例の弁
護士、日熊もいなかった。
「はい。間違いありません」
恵美は、さほど感情を感じさせぬ、抑揚のない言い方をした。
代わって、畑昌枝が応対を始める。
「あの日、小室さんは、私達と夕食をご一緒することになっていました。です
から、時間を見計らって、こちらに来ることにはなっていたんですが……」
「正確には、時間を決めてなかったんですね?」
「その通りです」
「で、小室さんが現れないのを、どう感じましたか、あなた方は?」
「最初は、遅れているな、ぐらいにしか考えていませんでした。でも、午後八
時を回った時点で、これはあんまりだと思いまして、電話を入れました。でも、
出られなくて、お仕事で忙しくて来れなくなったのだろうと思いまして、私達
だけで食事をいただきました」
「ふむ。電話は、小室さんの自宅に入れられた?」
「そうです」
「小室さんの方から、電話が入ったなんてことも、なかったんですな?」
「ありませんでした」
単調に答えていく昌枝。身内の者が亡くなったのと違い、落ち着いた答え方
だ。と言うよりも、むしろ、突き放して喋っているように見受けられる。
「家族の皆さんの他には、食事に行かれたのはいませんね?」
「いいえ。朝原さんがいます。この娘だって、立派な家族ですから」
今度は恵美が言った。朝原が聞いていたら恐縮し切ってしまうだろう。
「それに譲次の先生も。何と言ったかしら」
「いやね、お母さん。淵英造さんよ。あの日、七時からいたじゃない」
名前を忘れてしまったらしい女主人に代わって、長女の菊子が答えた。
「ほう。朝原さんはともかく、淵さんまでとは」
「それが淵さんも畑の人間になるかもしれないのよ、刑事さん」
少しばかりふざけた口ぶりで、次女の百合子が言った。
「と言うと?」
「お婿さんとして入って来る訳。相手は姉さんなのよ」
「何をペラペラ喋るの、百合子」
怒ったような声を出した菊子は、それから顔を赤らめた。
「本当ですか?」
吉田は百合子の方に視線を投げかけた。ついでそれは菊子に戻る。
「お付き合いをしているのは確かですが、まだ結婚するだの何だのという話に
はなっていません。あの方、父が亡くなってから特に優しくしてくれますし…
…。あ、これは余計なことでしたわ」
口元を押さえた菊子。割合に本気だなと吉田は感じた。
「分かりました。では、これは皆さんにお聞きしたいんですが、小室さんを恨
んだり妬んだり、つまるところ、彼を殺すような人がいましたか?」
吉田は、個別にしてもよい質問を、敢えて全員のいる場所で行った。何故な
ら、職場で聞き込んだ小室の評判も、一つに集中していたからだ。
「小室は、そこそこに陽気で、そこそこに控え目で、人当たりのいい奴だった。
あいつを殺そうなんて考える人物が、いるはずがない」
これが、最大公約数的なものだった。そして、これは畑屋敷内でも同じであ
った。
「恨むなんてなあ」
一通り、同じ様な答が出揃ったところで、畑孝亮が、改めて口を開いた。
「有り得ない。あったとしたら、そいつは逆恨みってもんですよ。あまりに人
当たりのいい小室を羨ましく思って……」
「そんな理由で、人を殺すような方をご存知でしたら、教えていただきたいで
すがね」
吉田は、やや皮肉っぽく言った。そうして、続ける。
「それから……。小室さんの遺体には、少しばかりおかしな状況があったんで
すが、泥がね。泥が、彼の背中一面に塗りたくられていた」
「『どろ』と言いますと、あの土をこねた」
「そうです。何かお心当たり、ありますか?」
だが、返答は沈黙だけだった。最初から明確な解答を期待していた訳ではな
いが。
「では、これは小室さんの職場でも聞いたことなんですが、彼に特定の相手は
いましたか?」
「いやあ、見たことありませんね。どうもあいつ、非婚主義だったみたいで」
「結婚するしないと、女性の有無は関係ないと思いますが、孝亮さん?」
「言われてみりゃそうですけど、見たことないものはないんです」
すねたような物言いをする畑孝亮を見て、吉田はこの線も駄目かと思った。
「そもそも、小室さんとはどういう関係で知り合ったんですか?」
小室と畑家のつながりは、孝亮が友人だということが主であるから、自然と
質問は畑孝亮に向けられる。
「簡単です。大学時代の友人てやつで、卒業以来何年間か会っていなかったの
が、ええっと六年前でしたか、ばったりと再会しまして。親交の復活となった
んです。うちの譲次はその頃からよくなつきましてね。小室も玩具メーカー勤
めだけあって、嫌な顔一つせず……」
「では、小室さんとは同じ大学の出身ですか?」
「ああっ、いいえ。言い方がまずかったな。大学時代、知り合っただけで、大
学そのものは別です。僕は体育大学、彼は理工系の大学でした」
さすがに懐かしむ口調の畑孝亮。
「その頃の友人なんかで、今も付き合いのあるような人もいませんかね?」
「いないでしょう。少なくとも、僕の方にはいませんから、小室にもなかった
んじゃないですか」
「そうですか」
もう質問することもなくなったので、吉田はとりあえず辞去することにした。
小室二郎殺しの鑑識結果が出たにも関わらず、捜査の方は容疑者さえも浮か
ばない有様だった。
死亡推定時刻は当初の午後四時から午後七時半までが、午後五時から午後七
時までに絞り込めた。が、目撃者の方は事件当時の雨のためか皆無であった。
凶器は未発見のまま。恐らく、カッターナイフ状の鋭い刃物で、背後から切
られたと思われる。犯人は被害者の背後に立っていた可能性が強いため、返り
血はほとんど浴びなかったと考えられる。また、犯人の身長は被害者より高い
か、低くても同じぐらいはあっただろうと推定された。
ここまで分かっていながら、被害者に殺される動機がないため、容疑者がま
るでリストアップできない。故に、アリバイ調べも身長の調査もできないこと
になる。
人違い殺人や巻き込まれ殺人の可能性が指摘された。
「どういうことだ? 言ってみろ」
薄々言いたいことは感じていたが、吉田は浜本を促した。
「人違い殺人は文字通り、別の人と勘違いされて殺されてしまった場合です。
雨と暗さで間違えたと……」
「しかし、小室は歩いて畑家に向かっていた状況だぞ。その遺体が空き地にあ
るってことは、犯人が空き地に被害者を呼び込んだんだろうよ。だったら、人
違いなんて起こるはずないと思うが」
「そうでした。では、巻き込まれ型です。何か見られては困る場面を目撃され
た犯人が、被害者を殺した場合となります」
「割といいかもしれんが、ならば聞こう。現場周辺で別の事件が起こってもお
かしくないな、その状況なら。だが、別の事件の通報はなかったぞ」
「……例えばですね、自分の車の中で男が女を無理矢理犯そうとします。その
場面を通りかかった小室が見てしまった。見られたことを知った男は逆上し、
車を出て小室を追っかけて殺した」
「ふむ。有り得んとは言わん。しかし、逃げる者が袋小路の空き地に入るかな。
すぐ側には知合いの家、畑屋敷があるんだ。そちらへ走るのが自然だと思う」
「では、警部の意見は?」
「やはり……畑の人間が絡んでいるんだと思う。あれだけ近くにいたんだ。本
当はあの日、訪ねて来た小室を何かのトラブルで殺してしまい、それを隠すた
めに空き地に放ったとか、そんなとこを考えている」
方針が決まった。とにかく、畑家の人間全員のアリバイと身長を調べ上げ、
検討すること。自殺したとされる畑洋二の死について、何もないか調べ直す。
この二点である。
−続く