#2724/3137 空中分解2
★タイトル (RMC ) 93/ 1/19 12:19 (185)
海鳴りのスローバラード 05 〈トラウト〉
★内容
§
北海道の夏に、いわゆる真夏日と呼べる暑い日は、十日程しかない。
その夏を惜しむかのように、北山が比較的家から近い〈彼いわく−−秘密の川〉
に釣りをしに来ていた。
『チーチーチー』といつものように川面にはハクセキレイが波型に飛交っている。
彼は、札幌から電車で一時間程離れた恵庭(えにわ)という町に住んでいる。
自衛隊の駐屯地としても有名なところであるが、札幌市内から小一時間の割には緑
が濃い。それよりなにより、好きな釣りが出来るという事で、彼はそこを選んだの
だ。
彼の家は恵庭の市街地にあるのだが、そこから更にジープで一時間程、どこから
が山の始りなのかわからない−−つづら折りの坂を延々登っていくと〈森林公園〉
のようなものがある。もっとも公園と名前はつくが、めったに人がいた試しはない。
その公園の先には深い谷底を跨ぐように、大きな橋がかかっており、三○メータ
ー程の高さであろうか、橋から見おろすとザワッとする程の谷底に、千歳川の支流
という事だが、五mぐらいの幅の綺麗な川が流れている。
今日も彼は、いつもの駐車場所にジープを止め、橋の脇から熊笹を分けいるよう
にして渓流に降り、誰も人の入らぬ秘密のポイントというところなのか、ヤマベ−−
内地でいうヤマメとの出会いを楽しみに、そこに来て休日を過しているのだ。
あくまでひんやりとした空気の朝。当然ながら札幌とは段違いに空気が濃い。
「八月じゃ、まだ新子か」と彼は呟きながら、ベストのポケットから疑似鉤を出し
ラインに結んだ。新子とは当年生れ、まだ八センチ程の小さなヤマベだ。
彼の釣りは西洋の毛鉤釣り、つまりフライフィッシングである。その毛鉤は、鱒
類のエサであるカゲロウなどの川虫を模したものであり、暇を見ては鹿の毛やら鳥
の羽で、彼はそれを巻く。
しかし、そのカゲロウも季節や水温により、川底から離れ、泳いでいる状態(疑
似フライで言うニンフ)。水面で脱皮を行っている状態(ウエット)。脱皮を終り、
岸に向って泳いでいる状態(ドライ)とに分れる。
すなわち釣り人は、鱒がどの虫を補食し、その虫が現在どの状態にあるかを想像
し、その虫のイミテーション・フライを川に浮べ、流すのである。
今日は18番の大きさのドライを彼は選んだようだ。ジーンズの裾を濡らしなが
ら、川の瀬に立ちこみ、しばらくジッとしていたかと思うと、ヒューヒューと音を
立てながら竿を振りだした。
フライフィッシングにはおもりがない。ラインそのものがテーパーになっており、
そのラインを竿−−ロッドを振りながら徐々にくりだす。そして、あくまで虫が水
面にポッと落ちるように、そのフライを落す。
そこにヤマベがいるという事なのか、彼はラインがフライを引張らないように流
れに見合った技術−−スラックキャストを施し、若干上流の石まわりの、更に二m
程上流に、そのフライを音もなく自然に落した。
それがその岩のあたりに、あたかも虫のように流れ着いた−−と思うまもなく、
電光石火のごとくヤマベが飛出し、そのフライを加えた。
ツ!−−パシャ
当然の様にその石まわりで、彼はヤマベをつり上げ、それを放すと、もう満足し
たという事か、あたり構わずザバザバと大きな音を立てながら岸辺に戻り、傍らの
石にロッドを立てかけ、ドスンと腰を掛けた。
それまで流ればかり見つめていた彼は、そこで初めて回りの様子を見ながら、胸
のポケットからタバコをとり出し、火をつけると、更にポケットから灰皿がわりな
のかフィルムケースをとりだし、しばらくの間、烟をくゆらせながら、黙って水面
を見つめ続けていた・・・・。
彼は昨夜の電話−−親父の事でお袋が泣きだした事を思い出していたのだ。
彼の父、具合が悪いのか−−歳なのか定かではないが、あいかわらず漁には出て
いないらしい。
海に出られなくなった漁師は、誰でもそうなのだが、彼の父も例外でなく、昼間
から酒−−大して量も飲んでいないようだが、最近は弱くなったようで、心配して
酒瓶を取上げたお袋を叩いたという事だ。
北山の父はニシンの漁師。一時は大きな番屋を持つほどであったが、そのニシン
も今ではまったく姿をけした。ニシンをとれなくなった漁師たちは、殆どがホッケ
漁に鞍替えをしたのだが、彼の父は浜で一の漁師という自負があったのか、それを
きっかけに、数少ない本マグロのみを追う漁師となった。
それは季節が暖かいうちに限られる漁で、夏場のマグロは一本百万円程。晩秋に
なり、そのマグロに脂が乗り始めると、それはなんと三○○万程に跳ね上がる。
そして、冬になるとマグロは暖かい海に去り、漁は終りを告げるのだ。
漁のなかった漁師は、冬場には出稼ぎに出かけ、女房は浜でホッケ漁師の網を繕
いながら、子供とともに夫の帰りを待つ。
ホッケ漁よりもスピードを要する高価なマグロ船。そのマグロ船が天売には十隻
程あったが、それは考える以上に燃料を消費し、たとえ週に一匹あげたとしても、
なかなか思うようには利益があがらないものだ。
しかしそれこそが〈男の仕事〉という事なのか、家族が半分諦める中で、そのま
ぐろ船をあやつる男達は、日々目を血ばしらせ一攫千金の夢を見つづけるのである。
北山が初めてマグロ船に乗ったのは一三の時だった。
いつも家では酒びたりで無口な親父だが、三○○キロに及ぶマグロとテグス一本
で戦う親父の本当の姿を、彼はその歳になって初めて見、尊敬する事ができた、誇
りに思った。
それからの彼は夢中である。早朝、学校に行くと母に伝え、親父より早く家を出
ると、真っ先に港へ向い、親父の船の船室の脇に隠れては、親父がやってきて船を
出すのを待った。−−そんな彼を見つけても親父は怒らずに、何もいわず、船を出
したものだ。
彼がそんな親父に『漁師になりたい』と言ったのは二度程だった。一度目は中学
を卒業する時、『高校に行かずに船に乗る』と伝えた。親父はたいそう喜んだのだ
が『俺はまだひとりでやれる、お前は高校ぐらい出ておけ』と言われた。
二度目が、その高校を出た時である。漁師しかなかった彼の胸に、思いがけず親
父の返事は『やめとけ』という事であった。
一時は日に十二本ものマグロを上げた親父ではあるが、その時にはすでにマグロ
漁に悲観的だったのであろう。しかし親父は無口すぎた。つまり、彼にはその思い
が通じなかったのだ。
どうにでもなれと家出をするように、彼は札幌に出て、好きであった音楽をやろ
うとしてみた−−しかし、それも成れる訳もなく、回り回って現在の彼がいる。
『また今夜でも電話して見るか』
−−ジェー ジェー ジェー ジェー
その声に、彼が我に返って見上げると、頭上の木立ちにミヤマカケスがやってき
ていた。全体が茶色で、雀よりも二回り程大きい。翼の付け根に青・緑・白の斑の
美しい模様を持った鳥だ。
しばらくそれを見つめていると、彼の足元にその斑な羽の一部が舞い落ちてきた。
カケスのそれはお守りのようなものであるらしい。拾っておいてブローチにでも
するつもりなのか、彼はそのミヤマカケスの羽を大事そうにポケットにしまいこむ
と、また熊笹の急斜面をかきわけるように登り、クルマに戻っていった。
シマキンがデスクにいる彼女を呼んだ。
彼女が立上がりシマキンの前に立つと、彼は「『演歌でGO!GO!』だけどね、
そろそろ一年以上たつか?どうだね」と話しを切りだした。
また文句を言出すのかと、彼女はしぶしぶ言葉を待った。
「面白いかね、やってて」
「はい、勉強させて貰ってます」と彼女は答えた。
そう聞かれてもやはり面白いとはいえないのだ。
「聴取率調査が出たんだよ、昨日」
聴取率調査?彼女が黙っていると「ひどく悪いな騅としかめ面をしチ5てシマキンが続
けた。
「0.2%だ」
「・・・・すいません」
「でも番組対象年齢からいうとAそこに集中してるんだな」
『・・・・って言うと?』
「局を聴いている中年から老年層が全部、君の番組を聴いてるという事になる」
「え、他は全然?」
「ないだろ?」
考えてみれば歌謡曲の番組は、後にも先にもあれだけなのである。
「ま、君の情熱のおかげだ」
「誉められてるんですか?」なんだかよくわからない。
「誉めてるんだよ」シマキンが声を高くしトた。
なんだトゥヘンな気持ちだ。「・・・・有難う御座います」
「立派な演歌番組という事だ・・・・ところで、誉めておいてわるいんだが・・・・その、
君、番組に情熱あるかね?」
「はい!」これもないとは言える筈がない、しかし情熱があるとすればどうしよう
というのか?
「そうか・・・・忍びないんだが」
「ご遠慮なく、なんでも仰って下さい」
「昨日役員会議があって、演歌はもう対象からはずそうという事になってな」
・・・・ノースFMは中・老年層をターゲットからはずす?
「番組を・・・・切るんですか?」
「君が情熱を持ってる番組だからね、私はそれはないと反対したんがだ、どうも。
申し訳ないが、そういう事なんだよ・・・・やっと調子に乗ってきたのにね」
「そ、そうですかぁ、残念です部長」
彼女が一応悲しそうにいうと、シマキンは「ああ悪かったね、力が及ばなくて」
と妙にしおらしく詫びた。
試聴室でそれを聞いた横田が大笑いだ「あっはっはっは、そうか、良かったなぁ」
「やっと私も恐怖の番組から卒業よ」
彼女にとっては奴隷から解放されたぐらいの気持ちなのである。
「聴取率悪いって言うんで、一瞬しょげちゃった私」
「はは、みなみよく我慢してやってたよ、お前のせいじゃない。それで何やるんだ、
今度は?」
「一生懸命やってくれたからシマキンが一ケ月ぐらい休めって。今2つぐらい考え
てるんだけど、とりあえず北山さんが、自分の番組−−アレやらないかって」
「北さん、辞めるの・・・・忙しいのか?」
横田にとっては北山が辞めるという事の方が驚きであったようだ。
「ううん。忙しくないけど、やる気なくなったって言ってたわ」
「もう管理側に回る人だもんな、番組なんかやんなくなっていんだよ」
「うん、でも現場が好きで、ズッと役職を断ってた人でしょ」
「そうだよな、歳で感性にぶっちゃったのかな」
「なに言ってんのよ、そんな事ないわ。またどうせ大晦日の特番でドカン!と行く
んじゃないの?」
彼の大晦日特番はノースFM名物なのだ。
「なんだろう、今度?」
「富良野の作家先生の特集かな?」
「ああ、最近よく一緒にいるの見かけるけどね、喧嘩したって噂だよ」
「喧嘩?」
「ああ、北さんがテメエなんか最近北海道に来たクセして、でけえツラすんなって
言ったんだって」
みなみが目を回るくして言った「えっ、あの先生に?いいんだろか」
「北さんの心臓どうなってんだろね」
「ほんとに、有名人でもなんでも〈お前〉でしょ、対等なのよね」
「まあ、そうしなけりゃいけないってとこも、あるけどな」
「うん、わかるわかる、私にも。ゲストの大御所呼んだ時にね、自分から『たかが
ローカル局のディレターで御座います』って思って、へりくだってしまうとダメな
のよね。『札幌全市民を代表しております私』って思う事にしてるわ、いつも」
「はーっ、みなみの心臓も毛が生えてるんだよ。最初から北さん、そういう所を見
抜いてたんだと思うけど」
「ふふ、そうかな。でも私、おんなじぐらいの実力のディレクターと並んだら、絶
対負けないって思うわ」
「おお凄え、僕はとっくに負けております」横田があきれかえり、自分の頭をこづ
いた。彼女は言いすぎだと思い、あわてて「そんな事ないわ、北山さんと横チンに
は一生アタマ上がらないわよ」と言葉をつけ加えた。
「ところで、あの北さんの番組、知ってるか?この前・・・・」
大物スターを捕まえて、北山が突然イカ釣り船に乗りましょうと持ちかけたのだ。
「・・・・会ったトタンにだもんね」
「でもな、あんなやり方、ゲストの性格も知らないで、下手したらたいへんな事に
なるよ、少なくとも僕には出来ない」
「ふふ、やっちゃおうかな私」みなみが目を輝かせた