#2425/3137 空中分解2
★タイトル (HBJ ) 92/12/ 1 7:29 (132)
「モニタする少年」(再UP)巻の終り<コウ
★内容
ルノアールには、約束の時間より、30分、遅刻して着いた。俺は、ジャン
パーのポケットに手を突っ込んだまま、カヨの向い側に座った。カヨは、腕組
をして、俺をにらんでいた。俺も、カヨをにらんでいた。俺とカヨは、五分ぐ
らい話さないでいた。俺にとっては、不思議な事なのだが、話さないでいても
、苦しくなかった。何故か、俺は、俺からは口を開くまい、と思った。
「何とか言ったら」とカヨの方から、口を利いてきた。「どうしたの?」
「別に」と俺が言った。
「別に、って、何処に行ってたの?」
「葬式」と俺が言った。
「お葬式?」と言ってから、カヨは、口の端に笑みを浮かべた。「随分、あり
ふれているわねェ」
「何が?」
「もう100人も、親戚を殺してるんじゃないの?」
「別に信じてくれなくってもいいよ」
俺は、ポケットからタバコを出して、火をつけた。
「ねェ」とカヨが言った。「本当の事を、聞かせてちょうだいよ」
「葬式の話?」と俺が言った。「本当に葬式だったんだぜ」
「その事は、もういいわよ。そんな事より」とカヨが言った。「何で、あの晩
、帰っちゃったの?」
俺は、少し考えてから「君の電話番号、教えてよ」と言った。「そうしたら、
留守番電話に入れておくから」
「あなた、面と向かったら、何にも言えないの?」
「そんな事ないよ」
「あるじゃない」
「ないよ」
「いいじゃない」とカヨが言った。「私達、2度と会わない事だって出来るん
だから」
俺は、新しいタバコを出した。今、吸っていたタバコから、直接、火を移す。
息が、臭くなる事は、気にならなかった。
「あなた、どんな事したか、分かっているの?」とカヨが言った。「あなた、
女に、恥をかかせたのよ! すごく失礼な事なのよ!」
俺は、ふてくされた様に、タバコをふかしていた。
「ねェ、教えてちょうだいよ」とカヨが言った。「私って、魅力なし?」
「そんな事、ないよ」
「じゃあ、何で駄目だったの?」
「多分」と俺は言った。「多分、君が生きているからだよ」
「何よ、それ。どういうこと?」
「言うよ、言う。どうせもう終わりだからな、教えてあげるよ」と俺は言った
。「俺はねェ、君を抱いていて、君が汗を掻いたり、君のお腹にウンチが詰ま
っていたり、そんなの俺は白けるんだよ」
「だって、汗を掻かない人なんているの?」とカヨは、驚いて、言った。
「いるよ」
「何処に?」
「ブラウン管の中さ!」
カヨは、外人みたいな肩をすくめるジェスチャーを見せて、呆れていた。
それから、腕を組んで、窓の外を、見ていた。しばらくの間、俺とカヨは、沈
黙していた。
その内、「あなたって」とカヨが言った。「嘘つきね。本当は、逆でしょう」
「逆って?」
「本当は、あなたの方が、生きている自分を見られたくないんでしょう」
俺は、少し考えてから「両方だな」と言った。
「両方?」
「俺は、見られたくないし、見たくもない」
「あなた、人が、恐いの?」とカヨが言った。
「傷つけたくないだけさ。傷つけられたくないし」
「でも、傷つかないと、人の痛みなんて分からないわ」
「誰に聞いたの? そんな事」俺は言った。「聞いた事あるな。そんな台詞、
腐っているよ。そんな事、言わないでよ。道徳の先生みたい」
「あなた、寂しくないの?」
「寂しくない事もないけど、だけれど、そんなにでもない」
<<<<<ラスト1>>>>>
時刻は、午後の二時。俺とカヨは、渋谷の、スクランブル交差点で、信号待
ち。四月の初めだというのに、ほとんど、夏の暑さだった。腋の下に、汗がに
じんでいる。
「暑いわね」とカヨが言った。「もうすぐ、夏ね。暑いのって、嫌いよ。いや
んなっちゃう。早く、冬になんないかなァ」
俺は、今、思い付いたのだが、結局、俺は、今ではない何時かを、求めてい
るのではないか? 今ではない何時かを。ここではない何処かを。君ではない
誰かを。それは、つまり、俺の接していない何か、だ。しかし、俺は、冬の寒
さを、知っている。俺は、ハワイの不快も知っている。カヨの不気味さも知っ
ている。俺がある限り、俺は不快は続くのではないか?と、俺は思った。俺が
いたいのは、多分、俺のいない何処か、だ。俺は、ふと、死について、考えた
。
交差点の向こうには、無数の匿名が見える。奴らから見れば、俺も又、匿名
の一粒にすぎないだろう。それこそが、俺の救いかも知れない。
<<<<<ラスト2>>>>>
誰もいない、日曜日だった。暖かい日で、気分が悪かった。暖かいと、憂う
つになる。俺は部屋にいて、氷の沢山入ったウーロン茶の、汗を掻いたグラス
を、肋骨の下の辺りにあてて、ジッとしていた。前に、学校図書の医学書で読
んだ事があるが、内臓の何処か、多分、肝臓の近くに、黒胆汁という塊があっ
て、夏になると、それが溶け出して、人を憂うつにするらしい。今、俺の体内
には、黒胆汁が溶け出していて、どんどん俺を憂うつにしている感じだ。俺の
毛穴は、セメンダインが詰まっているみたいな感じで、うまい具合いに黒胆汁
を排出できないでいる。汗に混じった黒胆汁が逆流して、体がむず痒い感じだ
。
俺は、J−WAVEを聴く気も、パソコン通信をする気も、伝言ダイヤルの
メッセージを聞く気もしないで、ジッとしていた。俺は、机の上のエアコンの
リモコン送信機を見つめている。父親はりんしょくだ。4月にクーラーなんて
入れたら怒られるかも知れない。でも、俺は、天井を仰いで、15秒ぐらい考
えてから、リモコンに手を伸ばした。室温調節のメモリを18度に合わせると
、運転のボタンを押した。初め、ほこりっぽい臭いがして、それからカビ臭い
臭いがした。懐かしい臭いだった。何の臭いだろう?と俺は考えた。そうだ、
映画館の臭いだ。中学生の時、俺がまだ元気だった時代に、新宿や渋谷の映画
館で嗅いだ臭いだ。
俺は、何回か、鼻で深く息を吸っていたが、その内、古いビデオ映画を観よ
う、と思った。疲れた時や滅入った時に、古いCD、ドゥービーやイーグルス
を聴くと、少し元気になる。そんなカンフル剤でも駄目な時には、古い映画を
観ると、俺は元気になるのだ。
パソコンラックの横に、俺の背の高さぐらいに、VHSが積んである。俺は
『フラッシュ・ダンス』か『フットルース』を見たくって、捜した。しかし、
それらは、見失われて、発見出来なかった。代わりに、俺は、『イカ天』や『
ねるとん紅鯨団』に紛れてあった、懐かしいVHSを発見した。黄色く色あせ
たラベルには『昭和63年夏/甲府の山にて』と書いてある。
再生すると、すぐに、おばあちゃんが現れた。ブラウン管の中のおばあちゃ
んは、レースの日傘をさして、グレーのワンピースを着ていた。おばあちゃん
は、元気で、カメラに微笑してから、山道を登って行った。このビデオの中に
いるのが本当のおばあちゃんだ、と俺は、一瞬、思った。それから、すぐに、
そんな事は嘘だな、と思った。そういう事ではないのだ。
元気なおばあちゃんの後に登場したのは、疲れ果てている俺だった。俺はラ
ンニングシャツを着て、麦藁帽子を被っていた。あの時の俺は、蚊に喰われて
、痒くて痒くて仕方がなかったに違いない。俺は、痒いし暑いしで、不快な顔
をカメラに向けている。でも、今、エアコンの利いたこの部屋にいる俺よりも
、ブラウン管の中の俺の方が元気な感じがする。何故だろう?と俺は考えた。
簡単な事だ。今にしてみれば・・・、という事だ。今にしてみれば、甲府の太
陽も暑くはないし、夏山の蚊も痒くはない。
「古傷を自慢する男の話を知っているか? その男はこう言った。『死ぬ程の
怪我でないなら、大きな怪我の方がいいぜ。だって、後で自慢出来るからな。
自慢する時にはもう傷は痛まないよ』」
実際、ブラウン管の中の俺を見ていると、彼の元気が、今の俺にフィードバ
ックするみたいで、俺は憂うつから解放されそうな気分になる。もう少し、見
続けていれば、何かをする気分になるかもしれない。しかし、一体、何をした
いって言うんだろう? 伝言ダイヤルで、新しい連絡番号の新しい暗唱番号の
新しいカヨを捜して、もう一度挑戦してみようか? それもいいかも知れない
な、と俺は思った。しかし、その為には、もう少しの元気が必要だろう。
俺は、元気を得る為に、繰り返し繰り返し、VHSを再生していた。俺は、
いつまでも、ブラウン管の中の俺をモニタしていた。