AWC 希望の果てに……(1)      悠歩


        
#2405/3137 空中分解2
★タイトル (RAD     )  92/11/27   0: 1  (187)
希望の果てに……(1)      悠歩
★内容


 「希望の果てに……」
                         悠歩

 ようやく、係の人からノートとボールペンを貰うことができたので、ここにこれを
書き記すことにする。
 私の国ではこんな物でもなかなか手に入らない高価なものだ。着の身着のままだっ
た私は彼にどうお礼をしていいのか分からず、そのことを彼に話したところ「役所か
ら貰ったものだから、礼はいい。第一、買ったところでいくらでもないのだから」と
言った。ここは何と豊かな国なのだろう!
 彼はこうも言った。
「ただ、さすがに他の者達に、いちいちこういった望みを聞いてやる訳にも行かない。
このことは他の者達には秘密にしておいてくれ」と。
 ”秘密にしてくれ”と言われたところで、この狭い部屋のなかで何十人もの人間が
生活しているのである。それは無理というものだ。
 もっと私のほかに筆記用具を必要とする者など、いないだろう。ほとんどのものが
文盲であったし、皆の関心はここでの食事と、これから行われる国連難民高等弁務所
(UNHCR)での面接のことだ。これによって私たちが難民かどうか決定されるら
しい。
 施設から出ることは許されていないが、窓から外を見ていると私の国ではまず見る
ことの出来ないような、奇麗な車が何台も何台も、見事に舗装された道路を通り過ぎ
て行く。
 私は今、長崎県の大村というところにいる。夢にまで見た黄金の国、ニッポンの地
を踏むことができたのだ。
 私の国で見かける、テレビも、ラジオも、車も、その他様々な製品の優れたもの全
ては日本製だった。私の様な食うや食わずの生活を送っていた農民には、とても手の
出る品ではなかったが、それらの品を見ているうちに私の中にニッポンに対する強い
憧れが育っていた。
 ニッポンに行けば……
 これだけのすばらしい品々を作る国である。この国で一生懸命働けばきっと、妻や
娘達にいい暮らしをさせてやる事ができる。教育を受けさせてやることも出来るだろ
う。
 その思いだけで私は祖国ベトナムを後にした。そして、希望通りこうしてニッポン
に辿り着いた。
 しかし私の気持ちは重い。それはこれから待ち受けている国連難民高等弁務所の面
接いかんでは偽装難民として、本国に送還される可能性があるからと言う事のせいで
はない。
 たしかにあんな事がなければ、本国への送還という恐怖が私の全てを支配していだ
ろう。だが、そんな事はもう、どうでも良かった。
 私は妻に会うのが怖かった。娘達に会うのが怖かった。
 妻や娘達は私を許してくれるだろうか? いや、仮に彼女達が許してくれたとして
も、私の心は永遠に私を許しはしないだろう。
 何度、自らの生命を断ってしまおうと思ったことだろうか。だが私には死を選ぶ勇
気などあるはずがない。そんな勇気があれば、決してあんなことにはならなかったの
だから……

 昨夜、夢を見た。私は広い海の上でたった一人、私達をここまで運んだ木造船に乗っ
ていた。
 何処からか女の子の泣き声が聞こえてくる。
「誰かいるのか?」
 私は恐る恐る、泣き声の主に声を掛けてみる。返事はない。
泣き声は続いていた。
 ふと気付くと私の目の前に、薄汚れたシャツを着たおかっぱ頭の十歳くらいの少女
がこちらに背を向け、屈み込んで泣いていた。
『まさか…この子は!?』
 いや、そんなはずはない。私はそっと少女に声を掛けてみる。
「お嬢ちゃん、何を泣いているんだい?」
「……ないの……」
「ないって、何が?」
「手が…ないの」
 立ち上がり振り返った少女の姿を見て私は絶句した。少女には両手の手首がなかっ
たのだ。引きちぎられたような手の傷口から鮮血を滴らせ、少女は恨めしげな目で私
の顔を見上げている。
「…リン………」
 私の乾いた唇から絞り出すように少女の名がこぼれた。
 そう、私はその少女を知っていた。
「おじちゃんでしょ? あたしの手をとったの…。返してちょうだい。これじゃ、お
人形さんが抱けないわ」
「違う!! 私は…、私は…」
 私は恐怖に引きつった。
 少女−−リンは両手の傷口を私に見せながら、じりじりと歩み寄ってきた。
「返して!」
 迫り来るリンの顔、手、体、足、その全てが徐々に何者かに噛みちぎられるように
失われて行く。
「おじちゃん、痛いよぉ。返して! 返してよぉ!」
 大粒の涙を流しながらリンは私に訴えた。
「ゆ…許してくれ、リン……。私は…私は…!!」
 叫びと共に、私は夢から覚めた。

 私はあの船での出来事を書き残さなければならない。書き残したところで私の罪が
許される訳ではないが、書かずにはいられない。
 私と同じ船で流れ着いた者達は、皆、あのことを忘れたいと願っている。しかし、
忘れてしまっていいのか? 忘れることが出来るのだろうか?
 前書きはここまでにしよう。それでは聞いて欲しい。私達が体験した恐怖の出来事


   *               *              *

 もうこれ以上、この国にいたのでは私達家族は生きていけない。
 三人の息子達は皆死んでしまった。二人は病気で、一人は豚泥棒を追って逆に殺さ
れてしまった。ここ北ベトナムでは盗むほうも盗まれるほうも命がけなのである。
 妻も病に倒れ、このままでは残された十三歳と十歳の娘も売らなければならないだ
ろう。だが、私にはそんなことは出来ない。
 私達家族はこのまま、飢死するのを待つしかないのか。
 そんな時、私のところにベトナムを出てニッポンに行かないかと言う話が舞い込ん
できた。もちろん、密出国である。出国ブローカーに支払うお金は信じられないほど
高いものだったが、日本で一ヶ月も働けばすぐに取り戻せるという。
 私はこの話に飛びついた。なけなしの家財道具を売り払い、どうにか私一人船に乗
り込めるだけのお金を作った。
 後に残された妻と娘達の事が心残りだが、しばらくは辛抱してもらうしかない。今
までも、私達家族は豚の餌を食べ、飢えを凌いできたのだ。
 妻は「どうか気をつけて」と彼女の母の形見であるネックレスと時計といくらかの
お金を私に差し出した。彼女がどんな思いでそれらのものを手放すのか考えると胸が
痛かった。これで我が家にはお金になるものは二匹の豚以外何もなくなった。
 ニッポンで仕事が見つかり、お金が手に入ったら、すぐにみんなを迎えに来るから
と別れを惜しみ、すがって泣く娘達を説得し、私は村を後にした。
 私はハイノでお金を貴金属に代えてから(一歩ベトナムを離れるとベトナムの紙幣
は何の価値もなくなると、ブローカーから聞いていたからだ)ハイフォンに向かい、
そこからホンゲイ港に係留された木造船に乗り込んだ。日はだいぶ西に傾きかけてい
た。
 私達の希望を乗せるその船は長さ20メートル、幅5メートル程の木造船で、積み
込まれた100馬力余りのディーゼルエンジンもかなり古い物のようだった。
 私が乗り込んだとき、すでに甲板の半分以上が人で埋まっていたが、その後も続々
と乗り込む者は後を断たず、ついに船の上は身動きすらかなわぬほどとなった。その
数は100人を軽く越えているだろう。
 午前零時、エンジンが始動を始める。甲板を埋め尽くす人々は皆押し黙っている。
私の手にはブローカーから渡された食料の入った袋と、娘達がなれない手で板切れを
削って作った御守りが握られていた。
 波の抵抗を受け、船が大きく揺れる。今、船は希望の国ニッポンを目指し出航した。

 出航して30分位たった頃、ベトナムの警備艇によって停船させられてしまった。
ゆっくりとこちらに近づいてくる警備艇の船舷に三人の兵士が銃を構え、立っている。
 警備艇は船の船先の部分に座った私のすぐ目の前に停船した。
「この船は何だ。おまえら、何処へ行くつもりだ」
 兵士の一人がこちらに向かって叫ぶと、私の近くにいた男が立ち上がり警備艇のほ
うに布袋を一つ投げ込んだ。
 兵士は袋を拾い上げ、中身を確認すると銃を下げ警備艇の中にきえて行った。しば
らくして、警備艇は静かに後退し方向を180度反転させ、夜の海に消えて行った。
後で、男に聞いてみると布袋の中には出国ブローカーから渡された現金と貴金属、5
万ドン相当が入っていたそうだ。どうも、この賄賂は警備兵とブローカーの間で暗黙
の了解になっているようである。
 こうして船は一路、ニッポンを目指した。

 その後の航海は決して快適なものとはいえなかった。
 何しろ定員をはるかに越える難民を乗せられるだけ乗せているのである。昼間は照
り付ける太陽から身を隠すこともできず、夜は寝ようと思っても横になることができ
ない。雨が降れば体はぐっしょりと濡れる。もっとも雨は貴重な飲み水を補充するの
に大いに役立った。
 これだけぎっしりと人の詰まった船である。各自が出航時に手にした分以外に、水
や食料を積み込む余裕はなかった。
 船はブローカーから聞いていた比較的安全だと言う、北よりのルートを辿り途中、
中国の島々に立ち寄って貴金属と食料を交換した。
 食料の交換に関して、私達は難民ということでかなり足もとを見られていたと思う。
こちらが交換される食料の量に不満を漏らしても「いやならやめればいい。我々だっ
て、別にお前達に買ってもらいたい訳ではない」と、言われてしまうだけだった。
 そんな訳で充分な食料を得ることは出来なかったが、このとき私達に切羽詰まった
ものはなかった。もとより、国では食べて行くことの出来ない者達である。飢えには
馴れている。手元の食料を大事に食べて行けばニッポンに着くまでは持つだろう。
 いざとなったら、二日や三日食べなくても何とかなる。私も、周りの人々もそう考
えていた。
 私達を待ち受ける、不幸な運命も知らずに………。


 狭い船の上のことである。これといってする事も無く、私は頭のなかであれこれと
ニッポンに着いてからの計画を立てることと、自分の回りにいる人々と話をすること
が最大の楽しみとなっていた。
 まず最初に親しくなったのは、私のすぐ隣に座っていた母娘であった。
 母親の名はホア。まだ二十六歳と年若いが、随分とやつれて見える。長い黒髪はあ
ちこちと痛んでおり、赤いチェックのシャツもほころびだらけだった。左手にはめら
れた安物の指輪が、彼女に残された唯一の財産だそうだ。 三ヶ月ほど前夫を亡くし、
女手一つでは娘を養うこともできず今回のニッポン行きを決意したのだと言う。
 娘の名はリン。ホアが十七の時の子どもだというから九歳か。
 九歳の子どもが着るには、大きすぎる元は黄色だったのだろう、色あせた淡いレモ
ン色のシャツは母親のお下がりだろうか。胸には様々な色の端切れで作られた人形が
抱かれている。
 その年頃の少女らしいおかっぱ頭は、ベトナムに残してきた私の娘達を思い出させ
た。
 そんなこともあって、私はリンに盛んに話掛けてみたのだが、はにかんでかあるい
は怯えてかなかなか私には懐ついてくれなかった。
「父親を亡くしてから、すっかり無口になってしまって……」
 ホアが私にそう教えてくれた。
 私はリンに豚泥棒に殴り殺された兄の亡骸にすがりついて泣き叫ぶ、娘達の姿が重
なった。
 その次に親しくなったのは出航の際、警備艇の兵士に賄賂を渡した若い男だった。
 彼の名はグエン・ティ・シン。歳は二十四歳の元軍人。軍人時代に軍のなかで見た
製品や、様々な情報を聞いているうちにニッポンに憧れ、今回の密出国を決意したと
いう。
 シンは、なかなかの好青年で指導力もあり狭い船の上で起きる様々なトラブル(食
料や水の配分、昼間僅かに日陰となる場所の奪い合い、まるで取るに足らないことが
原因の口論等々、日常生活の不自由さから船の上は些細な争いが絶えなかった。)を
実に手際良くさばいて行った。
 中国語にも長けていて食料の補充の際、島民達とのやり取りに大いに役立った。
 また、シンはそれらの処理に当たって常に弱い女子どもを優先させた。
 シンが船の上の自他供に認めるリーダーになるまでにはさほど時間は掛からなかっ
た。だが同じ船に乗り会わせたやくざまがいの者達にとって、それは愉快なことでは
無いらしい。




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