#2375/3137 空中分解2
★タイトル (ZBF ) 92/11/20 2: 5 (195)
「月面」(6) 久作
★内容
惟義さんは 神社で あたしを 組み敷き 抱きしめました
確かに 一緒に歩いている間
本当に よく 知っておられ 頭は およろしいのに
耳まで赤く染めながら タドタドしく お話しになる様が
可愛く 好もしく 感じられました
二人きりで 木陰に入ったのも
この方なら 安心と思い
と申しますか 危ないなどと これっぽっちも 思わなかったからでございます
でも 惟義さんは・・・・・・
声もでないほどの痛みと 恐ろしさの中で
上気した 思い詰めたような 惟義さんの 上下に動く顔を
薄く開けた目で 見ていました
惟義さんの顔の動きが止まり 堅く目を閉じ痙攣するのが見えた途端
あたしは 惟義さんを 殺してやりたい と
首を絞めて 殺してやりたい と 思いました
腕を持ち上げようとすると
惟義さんは あたしの上に覆い被さってきて
あたしの肩を掴み メグミさん メグミさん と
幼な子のように 切ない声で 繰り返しました
あたしは 身動きができなくなりました
そのうち痛みも ひいてきました
惟義さんは 相変わらず あたしの上で 身動きひとつしませんでした
落ち着いてくると
あたしの 先程までの 激しく燃えた怒りと憎悪は
冷たく堅い感情へと変わっていました
「惟義さん 重いですわ」自分でも驚くほど 感情のない声でした
「あ すまん あの あの」
惟義さんは慌てて跳び起きズボンをずり上げました
「あ お 俺 俺・・・」
惟義さんは 地面にへたりこみ 起き上がったあたしの顔を
情けない顔で 見上げていました
あたしは 目を背け 黒っぽい土を眺めていました
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その晩 あたしは 床の中で
惟義さんの 首を絞める夢を見ました
上気し 目を堅く閉じ 痙攣する 惟義さんの顔
あたしは それまで感じたことのない 奇妙な 激しい 恍惚の感覚を覚えました
その後 何度か 求められるままに 惟義さんに 肉体を開きました
惟義さんが あたしの上で 猛れば猛るほど
あたしの心は 冷たく堅くなってまいりました
しかし 独り 床の中で 惟義さんの 首を絞めることを 夢想する度に・・・
そのうち 惟義さんは 仙台へと お発ちになりました
あたしは 妊娠してしまいました
両親に責められながら 惟義さんのことは 決して 言いませんでした
庇ったのでは ございません 逆でございます
惟義さんの名を出せば 惟義さんと結婚することになります
そして それで このことは 終わってしまいます
どちらかの命が果てるまで 終わらせる気は ございませんでした
女の子が生まれました
恵子と名付けました
あたしは立ち歩けるようになりますと すぐさま 親元を逃げ出し
仙台へと 向かいました
赤子を抱いた あたしを見て 惟義さん 面白い顔をなさいました
目を大きく開け 口をダラシナク開き
さぞ 驚かれたことでしょう
あたし 楽しくなって そのまま 近所の下宿を借り
寡婦と偽って 役所の事務の職に就きました
惟義さんは 何度も結婚を申し出ましたが
あたしは 堅く拒みました
子供に会いたいと 何度も哀願されましたが
1度も会わせませんでした
あたしは 娘が17になったら 会わせる積りでした
惟義さんが 大学の助手から高校の教授になって 東京に行かれた時も
後を追って参りました
惟義さんの お金で 小料理屋をもち 関係を続けながら
娘を育ててまいりました
先月 惟義さんに頼まれ 帰国している外国の方の館に
留守番に住み込むことになりまして
それからは 毎晩 惟義さんの 首を絞める夢を見ました
お館に掛けられていた 絵のセイでございます
美しい裸身の西洋の女の方が
ベッドに眠る殿方を 優しい恍惚の表情で 殺している絵でございます
不思議だったのは 17になった娘の恵子も
その絵を いたく気に入り
1時間でも2時間でも 前の椅子に座って
陶然と眺めているのです
その様子を見るうち
あたし なんだか あたしの命も もう尽きかけていると感じました
それで Mさま あなたに お越しいただいたのです
Mさまは あたしに お会いになるのは 初めてと存じますが
あたしは Mさまのことを 中学の時分から存じておりました
惟義さんと いつも御一緒で
人付き合いのできない惟義さんも Mさまのこととなると
まるで 女学生が友達に 恋人の話をするように
嬉しげに 楽しげに・・・
あたしには ネズミのように コソコソと しているクセに
Mさま どうか お願いでございます
いえ 何も お手数をかけることでは ございません
見ていて いただきたいので ございます
惟義さんを 娘を
あたしが 生きているうちは
惟義さんに 娘は 会わせません
あたしが 死んで 初めて 会うことになります
歳も17 あの時 女学校の時の あたしに 生き写しに 成長致しました
惟義さんは あたしを恐れていました
恐れから 逃れるために あたしを抱いてきました
惟義さんは きっと 娘も 恐れることでしょう
娘を 恐れ きっと あたしにしたように 娘を・・・
実の娘を 手にかけることでございましょう
苦しめば よいのです
苦しみながら 娘を抱き
さらに 深い苦しみに 落ちていったら よいのです
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ワシは 今しがた洋館で会った婦人の 蒼ざめた
凄艶な顔を思い出し 身震いした
ネオンの瞬く街頭を歩きながら 周りの ざわめきが
妙に シラジラしいものに感じた
惟義は 一番の親友だ
中学の頃から 20年以上の付き合いだ
無愛想な奴だが 妙に馬が合った
救ってやりたい
自分を犠牲にしても
しかし あんな 恐ろしい 生き霊に取り憑かれているのだ
ワシの力では どうにもならないだろう
知らない方が イイことだってある
惟義には 今日の話は しないでおこう
もしかしたら 彼女の 神経衰弱による 妄想に過ぎないかもしれない
イヤ そうに決まっている
だいたい そんな・・・・・・
ここまで 考えて 顔を上げると
1団のザワメキが 近付いてきた
「憲兵隊だっ」誰かが叫んだ
ソゾロ歩きしていた モボ・モガ達が
強張った表情で 左右に道を開く
ワシも 体をひいて よけた
先頭を走っているのは 義弟の惟顕だ
生真面目な 憲兵大尉だが
今日は いつにもまして 殺気だっている
声も掛けずに やり過ごす
ワシが今来た方向へと 足早に 向かって行った
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家に帰り 史料の整理をしていると
惟義が訪ねて来た
深夜に 珍しいことだ
惟義なら いつでも 歓迎だ
妻も 惟義の実姉だから 喜んで 肴の用意をしている
「どしたんで 珍しい こんな 夜更けに」
「すまん 我慢できんなってな」
「全然 かまんけど なんや 暗い顔して」
「あ いや 俺の知り合いの ロシアの外交官
今 帰国しとるんやが 館が手入れされてな・・・」
「おお やけど お前 別に まずい事やってまいが
お前は 危険思想の持ち主やのおて
無思想の 持ち主やけんな
国体を翼賛せんかわりに 反対もしてなかろが」
「惟顕は そおは 思とらん
館の手入れしたんは 惟顕なんや」
「ほれが どしたんぞ
お前 まさか 惟顕くんが お前を陥れるために 手入れを・・・
あほっ なんで お前ら兄弟は・・・・・・」
「いや 惟顕なら やりかねん
・・・やけど 心配しよんのは ほんなことやない」
「やったら 何?」
「いや 俺が世話した 館の留守番女が
主義者に殺されたらしいんや」
「え お前 本当かっ なんでやっ」
「警察に主義者の会合を通報した所を
首を絞められ 殺されたらしいんや」
「ほ ほんな・・・」再び 女の凄艶な顔が浮かんだ
「ん えらい驚いとるな お前」
「あ いや なんでもない 惟義 ほれで お前 どおしよ言うんや」
「いや 知り合いやし 同郷人やし 俺にも責任あるから
残された女の娘 引き取ろ思うんや」
「お前 そ それは やめとけ 悪い事は言わん
な それだけは やめとけっ」
遅くまで 激しい議論が続いた
最後まで 女の話は 言わなかった
惟義も決心を変えないようだった
ワシは 諦めて シブシブ賛成した
翌朝 ワシは 酷い 二日酔いだった
(続く)