#2267/3137 空中分解2
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野生児ヒューイ 第一部(3) 悠歩
★内容
野生児ヒューイ 第一部(3)
悠歩
昼間でもほとんど日のあたらない密林の中、一匹の肉食獣が食事をしていた。
一見、それは猫科の動物のように見える体を持っていた。
虎のようなしま模様の胴体に鋭い爪を持つ強靱な四肢、しかし、その体に繋がる頭
は明らかに霊長目(猿)のそれであった。
凶悪なヒヒの頭に肉食獣であることを示す鋭い犬歯、その口許から涎を滴らせ哀れ
な獲物の肉を貪っている。
それは鹿のようだった。喉元が僅かに痙攣をしていた。まだ息があるようだ。
だが、臓物を引きずり出され貪り食われている彼(彼女か?)に助かる道など有ろ
う筈もなかった。
我々にとり残酷に見えるこの光景も自然界においてはごく当たり前の日常的な一コ
マに過ぎないのだ。
肉食猿、仮にバルバと呼んでおこう。彼は一心に獲物の肉を貪った。
彼にしてもそれは二日振りの食事だったのだ。その為、彼にしては珍しくほんの僅
かだが警戒を怠っていた。
もっとも野生の動物にとり、食事・睡眠・排便等の行為には非常に危険が付き纏う
ものである。
まして彼は常に襲うほうの立場にいた。襲われる立場には慣れていない。
その油断が迂闊にもここまで敵の接近を許してしまった。
その影は風下からゆっくりとバルバに接近してきた。
己の気配を完全に消し、この障害物の多い密林のなかで物音一つ立てずに。
それは神業にも思えたが、密林の中に生きるための糧を求める彼にとっては極めて
当たり前のことであった。
突然バルバは食事を中断し、頭を上げて低く唸った。
さすがに敵意を持つものの接近に気付いたようである。しかし既に遅かった。
影は奇跡とも思える正確さで行く手を遮る枝々の間を跳躍し、バルバの首筋から心
臓にかけて一撃の元、鋭い槍を突き刺した。
そこに戦いらしい戦いはなかった。
無言のまま、バルバはその生涯を終えた。
影はゆっくりとその生死を確認するため、バルバに近寄った。
黒い髪に黒い瞳、獣の皮を鞣した服を着た少年。それが影の正体である。
少年はバルバの息が完全に止まっていることを確認すると、深々と突き刺さった石
槍をいとも簡単に引き抜いた。
そして天を仰ぐと大きく叫び声を上げた。
『ヒュー ヒュー』
「なに? あの声」
大きな木に凭れながら、ティナはその奇妙な叫びを聞いた。
アルトマン達はどうしたのだろうか? おそらくもう生きてはいないだろう。
見知らぬ世界にティナは唯一人残されてしまった。
ティナは言い様の無い寂しさと悲しさに襲われた。
「もうやだよぉ…帰りたい…もうお家に帰りたいよ…助けて……誰か…パパ…パパあ
…」
涙が止めども無く溢れてくる。誰も知るもののいないこの世界で一人死んで行くの
か?
「私…何かいけないこと…したのかしら…」
朝と夜のお祈りは欠かしたことはない。もちろん、食事の前も。忙しい父に寂しい
のを我慢して我儘だって言ったことはない。友達とだって仲良くしている。宿題だっ
て…
「そうだ、この間お家に帰って気分が悪くて、宿題やらないで寝ちゃったんだ…あれ
がいけなかったのかしら…」
しかし、密林はティナにいつまでも感傷に浸っていることを許さなかった。
突然轟音と共に、辺りの木々をなぎ倒し、アルトマン達の生命を奪ったあの怪物
が現れた。
「!」
ティナの叫びは声にならなかった。逃げ出す気力もなかった。
どちらにしろこの世界でティナ一人、生きて行くことは出来ない。
遅かれ早かれ死んでしまうのなら、いっそのことここで…
「グワッー」
迫り来る怪物の口許に大量の血の跡が有った。先程の犠牲者達を食らったのだろう
か。
それを見た途端、再びティナのなかで生きることへの欲求が沸き起こった。
「いやーっ」
しかしティナの気持ちに足が付いてこない。そのままその場に立ち尽した。
怪物は真直ぐティナに向かって突進してくる。
もはやその目的は捕食のためのものではなかった。アルトマン達の中途半端な攻撃
が怪物の闘争本能に火を着けてしまったのだ。
既に怪物はティナの目前にまで迫っていた。
静かに目を閉じ、ティナは最期の瞬間を待った。
「ガサッ」
ティナの頭上で音がした。
何かの小動物が只ならぬ気配を感じて逃げ出そうとしたのか?
次の瞬間、その音の主が頭上の木から飛び降り、ティナの前に立った。
ティナはその正体を確かめようと瞼を開いた。その目に写ったのは石槍を構え怪物
と対峙する少年の姿だった。
ティナといくらも年齢の変わらないように見える黒髪の少年の出現に、怪物のほう
も困惑したのか突進を止め、少年と睨み会っている。
ティナのほうからは見ることができなかったが、少年の鋭い眼光は怪物に負けてい
なかった。
いや、寧ろ3メートル近い体長の怪物が150センチそこそこの少年に押されてい
た。
睨み会いに焦れて先に動いたのは怪物のほうだった。鋭い爪が唸りを上げて少年を
襲う。
少年は素早く後ろを振り返ると片手にティナを抱き上げ、横に跳んだ。
その直後、ティナが背にしていた木は怪物の爪を受けてばらばらに砕けた。
少年の跳躍力には信じられないものがあった。ティナは決して重たいほうではない。
それでも体重は40キロちかくはあるだろう。しかし、その跳躍は少女一人を抱えな
がら飛距離においても、高さにおいても、あの世界記録を次々と塗り替えている”鳥
人”ブブカ選手でさえ足もとに及ばないだろう。
僅か三回ほどの跳躍で少年は怪物からかなり離れたところに達した。
少年はそこでティナを降ろすと、再び怪物の元へ向かった。
「だめ! このまま逃げて! 殺されちゃう」
しかし少年はティナ声に耳を貸さなかった。
怪物のほうもまた、少年を追っていたがそのスピードについて行けず諦め掛けてい
た。そこに少年のほうが自ら向かってきたのである。
怪物は狂喜して少年を向かえた。
巨大なダンプカーさえ吹き飛ばしそうな勢いで怪物が突進してくる。
それに対し、少年も真直ぐ速度を落とさず向かって行く。
このまままともにぶつかればどちらが勝利するかは、誰の目にも明らかである。
双方が今正にぶつかるのではないかと思われるほど接近したとき、怪物は自分の勝
利を確信して少年に死を与えるべく痛烈な一撃を振った。
だがその一撃は少年に当たることはなかった。
あの素晴らしい跳躍を以て真上に跳び、怪物の一撃を難無く交したのだ。
突進の勢いと、攻撃の対象を失い怪物はそのまま前方へよろめいた。
先程、前方に跳んだと思われた少年は正確には怪物の勢いを計算し、自分の進行方
向の後方へ跳んでいた。そして空中で体を捻り、180度向きを変えると石槍を構え
自由落下の勢いと己の渾身の力を込め、それを怪物の脳天に突き刺した。
「ガッ」
怪物は小さく唸り声を上げた。
自分の身に起きたことを理解することは出来なかっただろう。
そのまま、前のめりに倒れ込むと二度三度痙攣した後、絶命した。
アルトマン達、五人の大人の生命を奪った恐るべき怪物をたった一人の少年が、粗
末な石槍一本で倒してしまったのだ。
少年は怪物が死んだことを確かめると天を仰いで叫んだ。
『ヒュー ヒュー』
それは先程ティナの聞いた奇妙な叫びだった。
少年はやや苦労して、怪物の固い頭蓋骨に突き刺さった槍を引き抜くと腰に巻いた
縄に吊してある石のナイフで怪物の指を一本、これもまた苦労して切り落とすとそれ
を腰の縄に差した。
その作業の間にティナは恐る恐る、少年の元に歩み寄っていた。
作業を終えた少年がティナの気配に気付いて顔を上げる。
「あ… 助けてくれて…ありがとう。私の名前はティナ。あなたは? ねえ、あなた
のほかにも生きている人はいるの? ここはどこなの? あなたはどうしてここに来
たの? やっぱり、タイムカプセルで眠っていたのかしら?」
ティナは助かった安心感と相手が自分と同じくらいの少年だったこともあって、一
気に質問攻めにした。
少年は不思議そうな顔でそれを黙って聞いてた。
少年のこの態度にティナは些か気分を害した。
「ちょっと、黙って聞いていないで何か言ってよ」
そこまで言うとティナはわっと泣き出してしまった。
「何か言ってよぉ…お願い…お願いだから…」
ティナは少年の両方の腕を掴んで泣いた。本当は人の声が聞きたくて堪らなかった
のだ。
「ウワッ・ヤア・サイ・ヨゥ」
ゆっくりと開かれた少年の口から発せられた言葉は、それまでティナの聞いたこと
もない言葉だった。
「えっ?」
ティナは自分の耳を疑った。
「レガッ!」
少年はティナを片手で抱え上げ頭上の枝に飛び乗った。
そして枝から枝へと跳び移り、移動を始めた。
「いや、離して! 離してったら!」
ティナの抵抗も全く気にする様子も無く、まるで舗装された道を歩いて行くように
少年は枝の上を移動して行った。
つづく