#2258/3137 空中分解2
★タイトル (NKG ) 92/10/10 22:12 (196)
ネオ・ポピュラス(3) らいと・ひる
★内容
アルバートの感覚が正常に戻った時、真っ先に感じたものは甘い香りだった。香水
のような強い匂いではなく、優しく包み込むようなほのかな香り。
そう。懐かしさを感じさせるものがあった。
次に感じたのが、足首の痛み、そして柔らかな綿の感触。
ここ数日、ご無沙汰していた綿の布団。
ここはどこ?とはっきりしない意識に問いかけるアルバート。
(確か自分は、偵察任務の最中だったはず。ここは?…ここは?…)
一気にアルバートの意識が回復する。
ばさっと布団から飛び起きると、すべての五感が正常に働きだした。
喉かな鳥の声、そして見慣れない部屋。
「大丈夫?」
か細いソプラノヴォイスがアルバートの耳に入ってくる。
横を見ると、人懐っこい笑顔をした少女が立っていた。
「ここは?」
アルバートはとりあえず、自分の立場を少しずつ理解しようと、月並みな質問をそ
の少女にする。
「ここはミレスの村のあたしの家。あたしはリーナっていうの」
「おれはどうして……」
「あなた、山の梺に倒れていたの。あたしそういうのって放っておけない性格だから」
その言葉を聞いているうちに記憶が甦ってくる。と、同時にその少女の姿を見てはっ
となる。
赤毛である。
アルバートはとっさに頭に手をやり、帽子を被っているかを確認する。
その瞬間、寒気が全身を貫く。
帽子がなく、黒髪がはっきりとさらされている。
「心配しなくていいわ。あなたを取って喰おうって訳じゃないんだから」
リーナはくすりと笑う。
アルバートは呆然として返す言葉がない。いや、助けてくれたお礼を言わなければ
ならないはずである。だが、心の中のとっかかりが、それを言うのを邪魔している。
「傷は深くないし、今日一日休養すれば良くな………」
少女の声が途中で遠ざかっていき、入れ替わりに低い男の声が聞こえてく
る。
−奴らの崇める『レヴォ』は破壊神なのだ!
−おまえは奴らの恐ろしさをわかっていない!
−ほんの数刻で、海の藻屑と消えちまった。
アルバートの心の中にイウラ隊長の言葉がこだまする。
何度も…何度も…まるでアルバートを責めたてるように響きわたる…
耐えきれず、頭を抱えるアルバートの耳に、再びか細いソプラノヴォイスが甦る。
「疲れてるのね?今は何も考えず眠った方がいいわ」
夕方頃になると、アルバートは空腹で目が覚めた。
頭の痛みはすっかりとれ、足首の痛みもやわらいでいる。
布団からゆっくりと起きあがると、足首に負担がかからないように静かに立ち上が
る。
そこへちょうどリーナが食事の支度ができたと呼びにきた。
「大丈夫よね?まだ痛むようだったら、持ってきてあげるわ」
「大丈夫だ。それよりおれの荷物は?」
アルバートは苦笑しながら、リーナに問う。
「向こうの部屋だけど……でも、もう少し休んでいった方が」
駆け寄って肩を貸そうとする彼女を、ぴしゃりとはねのける。
「どうしてそんなに親切にするんだよ。おれは敵だぞ、あんたたちを滅ぼそうとして
るんだぞ。…それともおれに情けをかけて、まるめこむつもりか?」
アルバートの頬に痛みが走った。リーナの右手が彼の頬をひっぱたいたのだ。
「…どうして?…どうして素直に親切が受けられないの。こんな僻地で敵も味方もな
いでしょ?あたしは軍隊には所属してないし、この村にもそんなものは存在しないわ。
あなたが何者かなんて関係ない。あたしはあたしの思ったまま、正しいと信じたから
あなたを助けただけよ。それなのに…」
リーナの瞳に涙がじわりと浮かぶ。
「所詮、あなたもあたしの種族と変わらないのね」
「どういう意味だ」
「絶対神と崇める神が、本当に神と呼べるものなのかを、考えようとしない。あげく
の果てに、自らの神を正義と信じ、それ以外のものを排除しようとする。わかる?…
わかるわけないでしょ。何が敵なの?何が味方なの?…随分くだらない問いでしょ。
ほんと、笑ちゃうわよ」
アルバートの中で、また何かが動き出す。
−何が正しくて、何が悪なのか?そんなことは他人に聞くものではない。自分で見き
わめろ。おまえはまだ若いのだから。
わんわんわん、頭の中で何かが鳴り響く。
−悪魔の種族だ。
−おまえは生まれてはならなかった。
−神が破壊を与えるものか。
−おれの家族はみんな悪魔に殺された。
−狂気の力は人々を殺戮者に変える。
−あなたが何者かなんて関係ない。
−何が正しくて、何が悪なのか、自分で見きわめなければならない。
−ほんと、笑っちゃうわよ。
割れるようにアルバートの頭が痛み出す。
急にうずくまるアルバートに心配してかけよるリーナ。
「大丈夫。ほら、言わんこっちゃない。待ってて、今、頭痛薬貰ってくるから」
リーナがドタドタと駆け出していき、アルバートはその足音を聞きながらだんだん
と意識がフェードアウトしていくのを冷静に受けとめていた。
地響きが高鳴り、気圧に微妙な変化が表れる。
異変を悟った鳥たちが、一斉に灰色の空へと舞い上がる。
突如として、大地が陥没を始める。そして、裂け目からは水が吹きだし、あたり一
面を水害が襲う。
つい数刻前までは、広大な平原の豊かな町並みのあった場所が、水の底へと沈下し
ていく。人々は逃げまどう時間も与えられず。驚異なる水の力になすすべもなく、そ
の命の火を消されていく。
すべてはあっけなく終わった。
その村が見える丘陵で、ローブを被った一人の神官が杖を持って立っている。
その顔に、満足そうな笑みを残しながら。
荒涼たる大地。
そこには、生命の面影さえも存在しない。
幾何学的な模様と、光の波紋。
2つの光は立体的に融け合い、艶やかな色彩を彩る。
8つの球がその中を舞い。
6つのメロディが世界に音を飾りあげる。
突然視界に映る奇妙な数列。
65536。
何の意味があるのだろうか?
真に見事な幻。
アルバートは、幻想の中をさまよっていた。
ここが現実の世界でないことは、本人もわかっている。
そして、彼は神の声を聞いた。
『ハルマゲドンは近い。』
再び目覚めた時には、もとの布団に眠っていた。
アルバートは、とてもとても穏やかな朝日に起こされた。
上半身を起こし窓の外を見ると、リーナの姿が見えた。
アルバートは心の中で決心をする。とにかく礼は言わねばと。
足首の痛みはもうない。瘡蓋が傷口のあった場所をくすぐっている。
「リーナ」
ためらわないように、一息でそう呼びかける。
だが、リーナは何も応えずに、アルバートの方を振り向く。その表情は初めて逢っ
た時のような笑顔は見られなかった。
「リーナ…その…ごめん。いや…助けてくれてありがとう」
アルバートのその言葉で、リーナの微笑みが再び戻る。何の邪気もないしなやかな
表情は、彼の心の隙間をそっと埋めていく。
「どういたしまして」
リーナは茶目っ気たっぷりにそう言う。
「おれ…もう行かなくちゃ」
リーナにどう対応していいのかわからなくて、アルバートはその場を立ち去ろうと
する。その背中に、ふと彼女の言葉が投げかけられる。
「この村の事を報告するの?」
アルバートは、まるで心の中を鈍器で殴られたかのように、その機能が麻痺してそ
の場に立ち尽くしてしまう。
−何も考えられない。
−どうすればいいんだ。
−自分で考えるんだ。
頭の中では、再び誰かの言葉が無限のループでディレイする。
アルバートは自分の無力さに気づき、現実から逃避したくなる衝動にかられる。
−今なら逃げられる。
−逃げられる…逃げられる…逃げられる…逃げられる……
「逃げるの?…はっきり答えて。あなたに助けた恩を売ろうなんて思わない。だけど、
真実が知りたいの。この村が襲われるかもしれないのなら、それなりに対応しなきゃ
いけないし。……お願い、わかって」
リーナの声が、アルバートを現実に引き戻す。
だが、彼の心はまだ麻痺したままだった。
そんな中、遠くから村人の大声が聞こえてくる。
「ギイナスの村が襲撃を受けたぞ!『レス』軍が侵攻を始めたぞ!」
「奴らはついに死騎士〔デス・ナイト〕を送り込んできたぞ」
「皆の者、中立の結界へ退避しろ!すぐにこの村にも攻めてくるぞ!」
村の中は騒然となった。小さな村なので、伝令はすぐにすべての人々に伝わった。
「あんた、良かったわね。味方が来て。そのまま、味方に拾ってもらいなさい。あた
したちは逃げるからね」
リーナはそう言い残すと、すぐさまその場を去っていった。
「リーナ」
アルバートの呼び声はもう彼女には届かない。
アルバートは、村人が去った後もそこに立ちすくしていた。心の麻痺はかなり影響
を及ぼしているようだ。
遠くの方から、馬の蹄の音が聞こえてくる。
大地の唸り声、剣の響き合う音、断末魔、炎の燃え盛る音。すべてが、アルバート
の耳に鮮明に聞こえてくる。
聖戦。
そんな言葉が、アルバートの頭に浮かび上がる。
「行かなくちゃ」
アルバートは、何かとり憑かれたかのように、無意識にその言葉を発し、音の方角
へと歩きだした。
大気を喰らい、物質を焼き尽くし、仲間をどんどん増やしていく。
炎。
魔法など使えない者でも、気軽に扱える魔性の力。その破壊力は、規模に比例して
威力を増す。そして、威力を増すほど、人間の手から離れていく、制御不能の力。
街が焼かれる。
破壊者は、制御可能な火を放ち、あたり一面を炎の海と化す。
炎は、建物を焼き付くし、人を焼き付くし、文明を焼き尽くす。
銀の鎧を着けた騎士が剣を振り上げ、逃げまどう人々をためらわずに背中から斬り
裂く。人の血など見えない、悲鳴など聞こえない。騎士に映るのはただ一つ、目の前
でちらつく悪魔だけだ。だが、それが本当に悪魔と呼べる者かは、騎士にはわからな
い。
否、考えてはいない。
なぜなら、騎士は本当の悪魔を知らないのだから。
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