AWC ピグマリオ      悠歩


        
#2157/3137 空中分解2
★タイトル (RAD     )  92/ 9/18   0:18  (157)
ピグマリオ      悠歩
★内容
   「ピグマリオ」

                        悠歩
 海辺の倉庫街にサイレンが鳴り響いた。
労働者達のあくせくとした動きが止まり、開放感が広がった。
「あーっ、終わった。おい、どうだ。明日は、日曜日だし、これから飲みに行かない
か?」
「おっ、いいね。北村、お前もどうだ。」
 北村裕一は、この穀物倉庫で一番若いアルバイトである。
「いえ、僕は。」
 誘われたことがいかにも迷惑そうに、裕一は、素っ気なく言った。
「よせよせ、そいつは誘うだけ無駄だよ。」
 裕一の態度にいささか気を悪くした男は嫌味を込めて言ったが、裕一はまるで気に
止めることも無く彼らを無視して、家路についた。

 古びたアパートの一室。暗く、寒々しい部屋の戸が軋み声を上げて、ゆっくりと開
いた。
カチッとスイッチが入れられて、ブゥンという音と供に明かりがともった。
家財道具と呼べるものはほとんど無い。
そんな中でただ一つ、部屋の中央に置かれた大きなキャンバスに描かれた、少女の肖
像画が浮かび上がってきた。
 その少女の歳は、十五、六であろうか。
長い髪を両サイドの高い位置で束ねているが、それでも肩へと緩やかに垂れ掛かって
いる。少し風があるのだろうか、髪が風に靡いているように見える。
 潤んだ瞳は泣いているのだろうか、怒っているようにもいえる。それとも嬉し涙を
堪えようとしている所なのだろうか。
 決して高いとはいえない鼻も、いかにも少女のそれらしく、愛くるしい。
 そして、未だ誰も触れたことの無い唇は、何を告げようとしているのだろうか。初
めてのくちづけを待っているのだろうか。
 絵の中の季節は、春から夏の始め頃なのだろう。淡いパステル調のレモン色が眩し
いブラウスが、少女の清楚さを強調していた。
「ただいま、由美。」
 肖像画の少女に対して、裕一は始めて優しい笑顔を見せた。
そして絵筆を取ると、一心にキャンバスへと向かった。
 やがて東の空が白み始めた。昨夜から一時も筆を置いて休むこともなかったのだろ
う。無精髭も剃ろうとはせず、ただひたすら肖像画を描き続けている。

 とん とん とん
 アパートの廊下を小さな女の子が登ってきた。『がちゃ』まるで自分の家にでも帰っ
てきたように裕一の部屋に上がり込んできた。
「また来たのか。」
「うん。」
 裕一の少し険のある口調にも、怖じける様子も無く、女の子は部屋の隅にたたまれ
た布団の上に腰を下ろした。そして、ポケットからお菓子を取り出して食べ始めた。
「今日は、日曜日だ。家族と何処か出かけないのか。」
 相変わらず絵筆を止めることも、女の子に目をやることも無く言った。
「うん。」
「友達とは遊ばないのか。」
「おにいちゃんは、おともだちとあそばないの」
「俺の友達は、この絵だけだ。」
 初めて裕一の絵筆が止まった。そして、ゆっくりと自分の絵を見上げた。
「そう、君だけだよ、由美。」
 目を細めて呟いた。
「ゆみじゃないよ、わたしみちこだよ。」
「見てろよ。」
「俺は来週のコンクールにこの絵を出品する。そして、必ず大賞を取る。大賞さえ取
れば、俺も、一人前の画家としてやっと認められるんだ。」
「がかってなあに?」
「絵描きのことだ。」
「おえかきなら、みちこもとくいだよ。」
「由美…僕と一緒に…大賞を取ろう。」
 裕一は、みちこの存在を忘れて呟いた。

 再び夜がきた。
まるで何かに憑かれたように肖像を描き続ける裕一。目は窪み、頬はそげ落ち、すっ
かりやつれこんでいる。
『まるで何かに追い詰められているみたいね。』
 突然の声にハッとして辺りを見渡してみるが誰もいない。もとより、いるはずがな
い。何もない部屋にただ時計の音だけが響いている。時計の針は既に三時を回ってい
た。
「疲れているのかな・・・・・・・・・・・。」
 じっと絵を見つめていると気のせいだろうか、少女が軽く微笑んだように見えた。
裕一は大きく息を吐いた。
「コンテストで大賞を取ることがそんなに大事なことなの?」
 まさか・・・・・・絵が語りかけている。そうか 夢を見ているんだ。
「ああ、でもこれが最後だ。これが駄目なら絵を諦める。」
「どうして?あなた、絵が好きなんでしょう。」
 自分が夢の中にいるのだと思うことで、何の抵抗も無く絵の中の少女との会話には
いることができた。
「好きだよ、でも君以上の傑作は後にも先にも、もう二度と描くことは出来ないだろ
う。」
「えっ?」
「本当はもう、大賞なんてどうでもいいんだ。君といつまでもこうして、話をしてい
られるのならば。」
「痛い。」
「あっ、ごめん。」
 いつの間にか裕一は少女の手を強く握りしめていた。絵であるはずの少女の手を!
そのことに気付いた裕一は、暫くその手を茫然と見つめていた。そして、ゆっくりと
顔を上げて少女の瞳を見つめた。少女は、小さく小首を傾げて、優しく微笑んだ。
<実体化している>
 裕一の思いが奇跡を引き起こしたのか?少女の手の確かな温もりが裕一の手にも伝
わってきた。
「あ、あの・・・。」
 話掛けようとして裕一は口ごもった。少女のことをどう呼んだらいいのだろうか?
「由美、でいいわ。あなたの付けてくれた名前よ。」
 少女が言った。
「ゆ、由美、君が好きだ。愛している。君と一緒にいられるならば、僕は画家に、な
れなくても構わない。もちろん、最初はコンクールのことしか頭に無かった。でも、
君を描いていくうち、いつしか僕は、本気で君に恋をし始めていった。馬鹿げたこと
だとは、分かっていた。自分の描いた、絵の中の少女に恋するなんて。正気じゃない。
ところが今、僕はこうして君と話をしている、気持ちを伝えている。夢でも構わない。
僕の気が触れているならそれでも構わない。いつまでも僕といて欲しい。」
 少女は、悲しそうに俯いて言った。
「それは出来ないわ。だって、私はあなたの描いた絵なのよ。あなたの世界では暮ら
せない。」
「そんなこと・・・そんなことどうでもいいじゃないか!
君がこれないのなら、僕が君の世界にいく。二人で絵の中でいつまでも一緒にいよう。
」
 裕一は、強く少女を抱き締めた。少女の温もりと鼓動が伝わってきた。小さく振え
ていた。
そして裕一と少女はそっと唇を重ねた。

 窓から朝日が差し込んできた。
「ううっ。」
裕一は、頭を降りながら起き上がった。まだ、体がだるい。
「あっ。」
 少女は・・・由美は・・・
部屋を見渡すが誰もいない。やはりあれは夢だったのだろうか。
 裕一は、少女の絵を見上げ、それから自分の両手を見つめた。
まだ、微かに温もりを覚えている。鼓動を感じた。確かに少女はそこにいた、実在し
ていた。
「それならなぜ。」
『それは出来ないわ。だって、私はあなたの描いた絵なのよ。あなたの世界では暮ら
せない。』
「それならなぜ、僕も連れて行ってくれなかったんだ。」
 裕一は大声で泣いた。

 コンクールの審査発表の日がきた。
裕一の作品は何処にもない。あるはずがない。作品を出品していないのだから。
 あの日以来、二度と少女が現れることもなく、コンクールに出品するという目的よ
りも、二度と現実化しない絵を見ていることが辛く、しばらく自分の部屋に戻ってい
なかった。従って、あの絵はまだアパートのへやの中に置かれたままである。
 それでもコンクールの日が近づくに従い、審査発表が気になってきた。どんな奴が
大賞を取るのか、その目で確かめたくなって、裕一は会場に足を運んでいた。
 会場は既に満場になっていた。
次々と受賞者達が発表されていく。そして、いよいよ大賞の発表となった。
「大賞を発表致します。『絵を描く男の肖像』北村由美さんです。」
 段上に掲げられたその絵に描かれていたのは、絵筆を取る裕一の姿だった。
「ど、どうして、僕があの絵の中に。」
 そして、大賞の受賞者が壇上へ現れた。
壇上に上がったその受賞者は、裕一が絵に描いた少女、由美そのものだった。

 裕一のアパートの部屋には又、あの女の子が上がり込んでいた。
部屋の中央には大きなキャンバスが置かれたままであった。女の子は、怪訝そうにそ
のキャンバスの絵を除き込んでいた。
「あれーっ、へんなの。おんなのひとがきえちゃった。」
 絵は、単なる風景画に変わっていた。

 審査委員長から賞を受け取った少女は、大きな拍手の中、静かに壇上を下りていっ
た。そのとき裕一と少女の目があった。少女は優しく微笑んだ。誰をも引き付ける笑
顔で。
「ゆ・・・み。」
裕一はゆっくりとした足取りで、少女のほうへ歩み寄っていった。


                          THE END





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