AWC 今日も明日もあさっても       うちだ


        
#2150/3137 空中分解2
★タイトル (TEM     )  92/ 9/16   0:37  (148)
今日も明日もあさっても       うちだ
★内容
 玄関で鏡を見るといつもと変わらない自分だったので驚いた。我ながら信じ
られない神経だと知夏は思う。彼女は靴を脱いで居間にいた母親に声をかけた。
「ただいまぁ」
「お帰り。早かったね。ご飯食べる?」
「食べる。」
10分前、知夏は付き合い始めて1カ月になる貴之とキスをした。映画をみた
帰りに、彼の車の中で。何だか月並みな設定だなぁと思う。20歳になる彼女
にとって生まれて初めてのキスだった。それは口を拭うほどイヤなものでもな
かったけど、高校の頃、映画のキスシーンを見た時のほうがよっぽど高揚感が
あったような気がする。もしかしたら貴之のことはそれほど好きではないのか
もしれない。きっとまた会うのだろうけど、別にこのまま会えなくてもいいなぁ
と彼女は思った。

知夏は去年の夏、友達とドライブの帰りに知らない男の子二人と会って、4人
でホテルに泊まった。入り口に数え切れないほど沢山の風鈴がかかっている変
なラブホテルだった。友達と一人の男の子は随分とやる気で部屋にいそいそと
消えていって、知夏とその男の子が残された。知夏はその男の子を悪くないな
と思ったから、遊んでポイしてもらっても一向に構わなかったのに・・・どう
でもよかったのだ。たぶんその男の子も知夏も、寝ても寝なくてもどっちでも
良くて、寝ないほうをとったってだけだ。本当にお互いどうなってもよかった。
よく覚えていない。男の子はベットに寝そべって、知夏はその横のソファーで
座って窓の外の何百もの風鈴が揺れるのを、見ていた聞いていた。そして朝が
来て、夏が過ぎ、一年が過ぎた。

知夏は時々その時の男の子のことを思い出す。今になってみれば、やっぱりセッ
クスしておけばよかったなぁと彼女は思う。そしたら肩の広さや、顔の輪郭が
はっきりと思い出せたのに。なんて、本当はあてにならないのだけど。

日曜の朝、知夏が遅くに起きてだらだらとしていると、貴之から“昼ごはんを
食べに行こう”と電話があった。気がついてみればもう昼近くだった。知夏は
それほどおなかが空いているわけではなかったが、そんな電話でもないとパジャ
マを着替える気も起こらなかったのだ。ちょうどいいので支度をして出掛けた。
近所の喫茶店で待ち合わせた。二人はスパゲティのランチを頼んだ。ちょっと
可愛いアルバイトの女の子が大皿にのったスパゲティを両手に運んできた。思っ
たより大盛のそれは貴之には丁度よさそうだったけれど、知夏には食べ切れそ
うもなかった。何を頼んだにしろ残しそうだから同じだわ、と知夏は諦めてパ
スタにフォークを入れる。スパゲティなんてどこも同じだなぁと彼女は思う。
巻くのが面倒だったのだ。

貴之と知夏は同じ会社で同期入社だ。付き合いはじめて1カ月、まだうまくい
くかお互い分からないから、そう大っぴらに会ったりはしない。職場ではそれ
となく目配せしたり、廊下で擦れ違うときにも礼儀正しく挨拶を交わしたりし
た。
「毎日知夏の顔を見れるのはいいけど、いろいろ面倒だよね。やっぱ、同じ会
社だと気ぃ使うよなぁ」
「そう?」
知夏には、そんな貴之の気配りも秘密っぽさも何だかママゴトみたいで楽しかっ
た。多分会社に対する考え方が知夏と貴之ではまったく違うからだろう。知夏
は皿にフォークを置いてこめかみを押さえた。知夏はめったに風邪をひかない
ので、たまに熱がでると37度でもう目が回る。くらっときた。熱が出てきた
なとわかった。
「どうしたの?」
「くらくらする。」
「ええっ。大丈夫?」
貴之が知夏オデコに手をあてる。知夏はうるさそうに手を退ける。彼の気配り
はこんな時は面倒なだけだ。
「・・・いーよ。どうせ微熱なんだから」
「微熱でそれじゃ、高熱だったらどうなっちゃうんだよ?」
「・・・さぁ・・わけがわかんないくらい熱が出たと思っても、計ると37度
以上出てないんだよねー」
貴之がニコリとした。「じゃ知夏は健康なんだ」
「・・・最低よ」
「え?何で?いいじゃん、健康。世の中には入院してたり、動きたくても動け
ないような人だっているんだから」
「・・・そんなの、なってないから分かんない。」
そりゃそうよね といつもの彼女なら言うところだ。熱のせいかもしれない。
知夏は何もかもが面倒になってきた。止めがきかなかった。知夏は熱に浮かさ
れて喋り続けた。
「そういう人には37度でふうふういっちゃう人の気持ちなんてのも分からな
いよ。外から見てて解るっていうの?楽しいか苦しいかも分からないわ。私は
病院なんて半日も居たことないから、1カ月も入院する人の気持ちがどんなも
のか想像もつかないわ。本人以外に解るなんて言える?そんな甘っちょろいこ
と言える?」
知夏の勢いに多少迷惑しながら、貴之が困った顔をする。
「・・・言えないね」
「所詮違う世界の生き物とは解りあうことは出来ないってことよ。違う体を持っ
た以上、親だろうが兄弟だろうが、恋人だろうが、誰のことも解らないのよ、
お互いにね。自分以外の事なんて何ひとつ判らないのよ。自分以外のものには
なれないわ。狭くてつまらない。つまらないわ。」
貴之は「うーん」と少し考えたあと、言った。
「解らないなんて寂しすぎない?解らないからこそ、人って解りあおうとする
んじゃないの?」
「そう?判らないわ。そーいう考え方って」
「今日の知夏は変だよ。まぁ熱がある人は帰って寝たほうがいいよ。」

「いいよ。知夏はほとんど食べれなかっただろ」
レジでお金を払う貴之に彼女はお礼を言った。店の外に出て、知夏は言った。
「ねぇ。キス出来る?今ここで」
何人かの通行人が振り向いた。貴之は困った顔をして辺りを見回した。
「今ここでは・・・・後でね」
貴之は小声で言って、ニコリとあやすように笑った。
「そう?じゃあお別れね」
「何言ってるんだか」
貴之は苦笑した。たまにはこんなワガママも可愛いなと、思ったのだ。が、知
夏が真剣な顔をしているのに気付いたので、彼女のほほに唇を寄せようとした。
が、知夏が一歩退くほうが早かった。どんな言い方をすれば貴之が傷つくか、
知夏は分かっていた。喋ったのは熱のせいだったけど、彼女の頭の中身は普段
と変わりなかった。
「残念ね。お財布にコンドーム入れてても、ここでキスすることは出来ないの
ね。笑っちゃう。つまらないわ。がんじがらめじゃない。」

踵をかえして知夏は家に帰りついた。


その夜彼女は、あの夏の日の夢をみた。気がつくと知夏はあのホテルのベット
に寝ている。男の姿はなかったけどシャワーを使う音がしたから、知夏はうれ
しくなる。今度はちゃんと覚えておこう。窓から吹いた風に外を見た彼女は、
何百もの風鈴が全く音をたてていないのに気付いて悲鳴をあげる。

知夏はびっしり汗をかいて布団の中にいた。時計を見上げると、まだ夜中の0
時を廻ったところだった。昼には貴之とスパゲティを食べたのだった。そのあ
と彼に、熱に浮かされて喧嘩を吹っかけて、一人家に帰ってきたのだった。

大切なものはなかった。覚えておくものも忘れるべきものも、すでに知夏には
なかった。

じゃあこの体は何なのだろう。空っぽだ。何もかもリアルじゃなかった。もっ
と切実になりたいと思った。もっともっと、何か・・・そう、手ごたえ のよ
うなもの。

知夏は布団を撥ね除け、裸足でおもてに駆け出した。パジャマで通りまで出る
のは生まれてはじめてだった。シャッターの閉まった洋品店の隣の家の暗い窓
に、石を拾って叩きつけた。

                            パシャアン

凄い音をたててガラスが砕けておちた。破片はほとんど家の中のほうに落ちた。
通りがかりの会社員風の中年の男が、近寄って知夏に何か言おうとしたが、彼
女の裸足の足をみて黙って行き過ぎた。ガラスの砕ける音も男の奇妙な視線も、
知夏を現実に戻してくれなかった。どうでもいいことばかりだった。少しガラ
スの粉を踏んだようでちくちくした。熱っぽい裸足の足の裏にひんやりとアス
ファルトを感じながら、知夏は走った。目が回る。どんどん熱が上昇していく
みたいだった。今計れば38度以上あるのかもしれない。新記録だ。40度な
んて脳みそが沸騰しそう。凄いな、病気になる人っていうのは。それにしても
熱が上がっていくのは案外気持ち良い。知らなかった。隠してたんだな、狡い
なあ。

                              そこで

目が覚めた。知夏はいつもと同じ布団の中で目覚めた。もう頭はくらくらして
いなかった。どうでもいいくらい明るく晴れた日だった。貴之に会いに行って
しまうかもしれない、と知夏は思った。“熱が出てて、昨日はどうかしていた
の”と謝れば、何もかもがもと道理になるだろう。貴之はそういう人だった。
昨日、知夏が言ったことはめちゃくちゃだった。貴之のほうがずっと筋が通っ
ている。だからって何だというんだろう。知夏は頭をかかえた。どこも痛くな
かった。どうしようもなく空っぽだった。

                         おわり




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