AWC 月夜話、其之参 「 差別 」(1/3) ■ 榊 ■


        
#2115/3137 空中分解2
★タイトル (HHF     )  92/ 9/ 4  20:21  (177)
月夜話、其之参 「 差別 」(1/3) ■ 榊 ■
★内容


   夏の夕暮れ前。
   青い、ただ青い空。
   暖かい空気が肌にぴったりと馴染む。
   そんな空気が、ちょっと暑いけど、肌に心地よくて、
   むせるような大気の中を、萌荵<モエギ>は歩いていた。
   右には車の排気音。
   左には蝉の鳴き声。
   空には月。
   もうすぐ夕暮れが、街をおおう時。

   萌荵は、大会の会場から帰路についているところだった。
   その周りには、剣道部の仲間達あわせて6名が仲良く連れ添い、今日あ
  った出来事を楽しく笑いあっていた。
   萌荵が1年生にして女子優勝。他のみんなも少しずつ賞をいただいたり
  して、嬉しそうな笑顔は夏よりも明るい。
   みんな片手に防具をかつぎ、もう一方には竹刀を持っているのに、制服
  につつまれた体が浮きそうなぐらい軽い足どりで歩いていた。
   萌荵達の住む街は海と山に囲まれる元漁村で、大会のあったこの都会か
  ら電車で1時間ほどのところにある。公園をつっきりば、もうそこは駅。
  みんなの足どりは、知らず知らず早くなってきていた。
   その駅前の、とある小さな公園に足を踏みいれた時の出来事である。

  「あら?」
   先頭を歩いていた女子主将の水上<ミナカミ>が、公園の片隅に視線を向けた。
  「どうしたの?」
   すぐ側にいた女の子が聞く。
  「ほら」
   水上の視線の先には、中学生ぐらいの少年が二人いて、浮浪者に石を投
  げつけていた。
  「いやね」
   水上は、きつい感じの眉をしかめた。
   浮浪者に石を投げるなんて信じられない。
   駆け出して、今すぐ止めに入りたいのに、でも、体はまったく動かなか
  った。
   剣道部の女子主将をやっているだけあって、水上は人より気が強いし、
  正義感も強い。
   でも、体は動かない。
   親がそう教えている。
   関わっては駄目、と。
   だから、相手は子供なのに、体が恐がってしまう。
   でもいつだって、そんな時は、後悔と自責の念がわき起こる。
   その重たい思いに気づきながら、それでも自分では何もできないのだと
  あきらめてしまうしかなかった。
   それは弱いことではないのだと、心に言い聞かせながら。
   一人、萌荵は飛び出していた。
  「萌荵っ!」
   防具を放りなげ、猫のように軽やかに少年達に駆け寄っていく。
   砂場を駆け抜け、少年達に気づかれる前に二人を両手で抱き上げると、
  そのまま前進して浮浪者の前にぺたりと座った。
  「また始まった」
   水上は、安堵のため息をついた。
   本当に、心からホッとした。
   『有り難う、萌荵。私たちにできないことを代わりにやってくれて』、
  と本当は呟きたかったが、恥ずかしくて口には出せそうにはなかった。
   こんなプライドなんか捨ててしまえればいいのに、と思いながら。
  「水上さん、ごめん! 先に行ってて!」
   萌荵が振り返って叫ぶと、水上は強く頷いた。
   いつものことなのだから。
  「みんな、行くよっ!」
  「萌荵さぁん、気をつけてっ!」
   水上が言うと、みんなも明るいもので、声だけかけて駅に向かった。
   ただ、一人の青年だけは歩き出さなかった。それを誰も不思議に思わず、
  ちょっとだけ含んだような笑いをして、公園を出ていった。
   その青年は成瀬<ナルセ>と言う、均整のとれた体格をしていて顔も決して
  悪くない。剣道の経験はほとんどないがなかなか練習熱心で、部員からの
  評判もいい。そして、萌荵の大ファンだった。
   今までバスケットをやっていたのに、わざわざ剣道部に入りなおしたこ
  の青年は、萌荵が「崖から飛び込め」と言えば間違いなく飛び込むだろう
  と、部員達は思っていた。それほど、彼は萌荵に心酔している。
   もちろん、萌荵はそんなことを言いはしないが。
   成瀬は少しずつ萌荵の方に歩いて行き、近くの木にもたれかかった。
   実は、成瀬は何かがあったときの用心棒として残ったつもりだった。
   そんな必要はぜんぜん無いのだが、あの天使のような萌荵の笑顔を思い
  出す度に成瀬は不安で不安で、萌荵を一人にさせるなんて言うことは絶対
  にできないのである。
   あの笑顔が曇ったり、体に少しでも傷がつこうものなら、萌荵が焦って
  止めに入ったとしても、相手を半殺しにしてしまいそうで恐い。
   あぁ、可愛い娘を持つ父親はこんな気持ちなのだろう、と成瀬は思わず
  にはいられない。
   その萌荵は、逃げだそうとする両わきの少年達をしっかりと抱きしめ、
  いまだ恐怖に顔をそむける浮浪者を見つめていた。
  「はなせっ、はなせよぅ!」
   少年達は力の限り抜け出そうとしているようだが、あの細い腕のどこに
  そんな力があるのか知らないが、いっこうに抜け出せる気配はなかった。
   そして、あきらめたのか、二人は静かになった。ただ、ぶすくれている。
   そうなってようやく、浮浪者がおそるおそる振り返った。
  「ぅ…………」
   目の前には美しい女性が一人、まっすぐに自分を見つめていた。そして、
  両わきには石を投げた少年達がいる。
   あたりが、しんっ……と静かになる。遠くで、ぷわぁん、と鳴る車の警
  笛だけが静かに響きわたった。
   今まで真剣な表情で浮浪者を見つめていた萌荵は少しずつ、少しずつい
  つもの元気な笑顔になっていった。
   まるで、そこから優しい風が吹いてきているような笑顔−−−成瀬は思
  わず、この笑顔なんだよな、と心の中で呟いた。
   浮浪者も頭の中を真っ白にして、萌荵を見つめ続けてしまっていた。
  「初めまして。僕、神無月萌荵と言います。おじさん、名前は?」
   萌荵の第一声は静かな響きを伴っていて、時間はかかったもののそれほ
  ど戸惑いもせず、浮浪者は返答をすることができた。
  「加藤、柴三郎」
  「加藤さん、なんでこんな所にいるの?」
   浮浪者は、思わず首をかしげた。この美しい少女は何がいいたいのだろ
  う?
   薄汚れた衣服とぼさぼさの髪をしていて、こうして駅前の公園にいるな
  らば、だいたい想像はついているだろうに。
  「夜になるまで、寝てようかと思ったのじゃが」
  「失礼ですけど、お仕事は」
  「ずいぶん昔からしとらん」
  「よかったら、理由を聞かせてくれませんか? この子達に」
   萌荵のいった意味を、成瀬は理解できた。たぶん、この浮浪者も大きな
  世界を背負ったひとりの人間であることを、萌荵は少年達に理解して欲し
  いのだと思う。
   子供の頃は大人はまったくの他人のような気がして、相手がもしかして
  会社で非常に辛い思いをしているかも知れないというのに、彼の愛車に平
  気で傷をつけたり、家事に忙しいときに呼び鈴を鳴らして逃げたり、なん
  の悪気もなく数々の悪事を働いてしまう。
   そういえば、自分も小さいときはずいぶんと悪さをしたものだ、と木に
  もたれながら成瀬はうんうんと思わず感慨にふけってしまった。
   浮浪者の加藤さんも、思考ではなく感覚でそのことに気づいた。
  「息子がのぅ、人を殺して、会社がつぶれて、一家離散したからじゃ」
   加藤さんは、すらっとそう言ってのけた。
   軽くいわれたその言葉にあたりは圧倒されて、静かになってしまった。
  「それで、もう仕事をする気になれん」
  「辛くないですか?」
  「辛いが、もうあまり辛くない」
   ベンチによっこらせと座った浮浪者は、思いだしたようにベンチの下か
  らお酒を取りだした。
  「変わったお嬢さんや。こういう話は、やっぱり飲みながらせにゃあな」
  「いただきます。まだ未成年だけど」
   両わきの少年達は自由になったがすっかり神妙な面もちで、立ち上がろ
  うともしない。
   萌荵はそのきれいな手で、シミや亀裂の入った湯呑みを受け取り、何か
  もしらぬ酒を受けた。
   浮浪者がじかに一息飲むと、萌荵も湯呑みを一気に飲み干した。
  「はぁ……」
  「嬢ちゃん、なかなかいける口だねぇ」
   浮浪者は嬉しそうに笑った。
   あはは、と萌荵は笑ったが、しばらくすると神妙な顔つきになった。
  「どうしたのじゃ」
  「加藤さん、どうして人は人をいじめたりするのかな」
  「それはまた、難しいことを考えるのぉ」
   浮浪者はふたたび萌荵の湯呑みにつぎ、自分の胃にもそそいだ。
   周りは、夕暮れになりつつあった。
   蝉の鳴き声も、どこか遠くに聞こえる。
  「お嬢ちゃんは、人をいじめたことはないのかい?」
  「ないと思う」
  「心正しいね」
   ふーむ、と考えるように浮浪者は髭に手を当てた。
  「例えば、自分より優れている奴があらわれて、恐くなっていじめたりす
  るとか」
   自分の子分のように思っていた人間が、実は自分よりも優れていると思
  ったときの、恥ずかしさ、屈辱感。
   例えばこの少年達のように、汚い浮浪者が自分の近くにいることが「恐
  くて」、石を投げたり。
  「自分よりも優れていたら」
   萌荵は盛大に拍手をした。嬉しそうに。
   浮浪者は、眉をひそめた。
  「心からかい?」
  「心から」
  「本当に?」
   萌荵はしばらく、黙って考え直してみた。
   普通、自分より優れている人を、心から本当に賞賛することはできない。
  そして、そのせいで、心が痛むときがある。
   ただ萌荵は、
  「僕の得意なものより優れていたら凄いことだし、苦手なものはとことん
  苦手だから、できる人を尊敬しゃうし」
   と答えた。
   そういえばそうだ、と成瀬はうなずいた。
   萌荵に武道で勝つということは心から賞賛に値するはずであるし、竹刀
  を持たせると一級品のくせに包丁を持たせると手を絆創膏だらけにしてく
  る。
   ついでに、ネズミも死ぬほど苦手だ。
   それは、それでいいのだ。一人の人間がすべてに優れていなくてもいい
  のだし、一番でなくてもいいのだから。





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