AWC    風船              椿 美枝子


        
#2068/3137 空中分解2
★タイトル (RMM     )  92/ 8/18  15:54  ( 50)
   風船              椿 美枝子
★内容
 重過ぎる手荷物で人混みを歩く。都会の週末は空気に疲れる。出来る事なら何
もしたくない、考えたくない、働きたくない。なのに何故ここにいるのか、と思
うと妙に人目が気になる。買い物の度に、手荷物とやましさが増える。やましさ
は心を重くする。週末の散財は心を重くする。

 昼下がりの大きな駅前広場。華やかな催し物の宣伝が黄色くはためく。一斉に
黄色が広場の周辺を動く。ああなるほど、黄色い風船が配られているのか。通り
がかる人は皆、照れくさそうに受け取って、けれどしばらくすると空に放ってし
まう。私も、そっ、と受け取った。
 手荷物の柄に、風船の紐をくくり付ける。風船の中には空気よりも軽い気体が
入っているので、風船は空へ向かおうとする。私の荷を減らそうとするかのよう
に。帰りの電車に乗る為に、私は駅の中に入る。
 あれほどあった黄色い風船が駅の中では一つも見あたらないのは、大人が切符
の代わりに手放してしまったからなのか、子供の目を盗んで割ってしまったのか。
黄色い風船の持ち主はここでは私一人になり、羨望の眼差しを子供達から浴びる。
まるでいたずらをする時ののように、駅員の様子を伺う視線を投げかけて、こっ
そり改札を通り抜けた。
 もし今風船が飛び立ったなら、風船は何処に行くのだろう。ホームの上はどう
なっていただろう。見上げると視界の半分は天井、半分は空。久し振りに見る、
青い空。日差しの明るさに今更ながら気付いた。少しだけ、堂々と歩いてみる。
電車に乗り、座席につく。がら空きの車両で風船がたなびく。そこにだけ外の日
差しを持ち込んでいる。ここに青い空が開いているかもしれない。周囲の大人達
の気遣わしげな視線が爽快に思える。

 働くのが大人。養われるのが子供。けれど私はどちらでもない境界の人間。空
と荷物の間に浮かぶ紐の付いた風船。突如として、一人ではない事の実感。私は
一人ではない。一人では、ない。青い空が広がる。風船が私を軽くする。

 降りる駅が近付いて席を立った時、母親に抱かれた子供と目が合う。二才位の
女の子。真摯な眼差しで風船と私を交互に見つめ、風船の紐を握る仕草で懸命に
手をこちらに差し伸べている。私は尋ねる。
 風船が欲しいのかしら。
 母親が私に気付き、子供の仕草を見て同様に尋ねる。子供は困った顔をして、
上手く返事が出来ないでいる。
 これ、欲しいのかしら。
 もう一度尋ね、子供は表情でのみ答える。荷物から風船の紐を外すと、子供に
渡す。子供はしっかりと紐を握りしめる。私は電車を降りた。

 今、胸を張って歩いている。
 私は気付いた。あの青い空がいつの間にか、風船を渡す事ができる程迄に広がっ
ていた事を。もう現実の風船の助けがなくても、心の青い空と生きていける事を。

 もし、これからもあの青い空を持ち続ける事が出来るのならば、いや、そう信
じる事に決めて。

                       1992.07.24.26:42

                  終

          楽理という仇名 こと 椿 美枝子




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