AWC 赤 い 糸                    むらたけ


        
#1948/3137 空中分解2
★タイトル (GYG     )  92/ 7/16  20:40  (133)
赤 い 糸                    むらたけ
★内容

 「ううん、いい気分だ。」
その男のマッサージは実に心地よかった。仕事が一段落した後で、のんびりと温泉
につかり、こうして按摩してもらうのはまさに極楽気分というものだった。
「もう何年になるかね。」
「えっ、あたしが始めてからですかい。さあて、まだ、五、六年しかたっていませ
んよ。」
「そうかね。僕は旅行すると、ほとんどこうして揉んでもらうんだが、今までの誰
より、あんたのやつはよく効くね。最近はマッサージというやつは、目明きの人も
多いんだが、やっぱり、こう、何だ、あんたらみたいにね……。」
「そうですか。目の見えないもののほうが、一生懸命揉むってことでございましょ
う。どうも、おほめいただいてありがとうございます……。時に、お客さん。お客
さんはものをお書きになる仕事ですかい?」
「へえ、驚いた。わかるかね。」
「ええ。ここんところの凝り具合が、やっぱり、デスクワークってやつでございま
すか、しかも頭を使う仕事っていう感じがしますんで……。」
 その男はそう言って、両の肩の外側の辺りを揉みこんだ。心地好い。しばらく、
男は黙って手を動かしていた。肩から、首すじのあたりが、すうっと軽くなってい
くのがわかった。あまりの気持ち良さに、わたしはうつらうつら夢心地になってい
った。

 再びマッサージは話し始めた。
 「お客さん、こんな話を聞いたことがありませんかい。どうも、妙ちくりんな話
なんですが、本当にあった話なんです。よければ、お客さんの小説のねたにでも使
って下さい。」

 「お客さん、ピアスって、ご存知でしょう。耳たぶに穴をあけてする耳飾りです。
 これは、そのピアスに関係があるんです。
  ある男、そいつも、あんなことがなければ、今頃はちっとは名の知れた絵描き
 ぐらいにはなってたかもしれません。
  あんなことというのは、もちろん、不幸な事です。

  その一つは両親を同時に交通事故で亡くしたことでした。
  煙草も酒も飲まない真面目な父親と、ちょっと派手なところもあったんですが、
  決して浪費家ではない堅実な母親でした。
  その両親が車の激突事故で亡くなってしまったんです。彼が美術大学の3年生、
 妹が短大に進んだばかりのときでした。
  それ以来、彼は妹と二人暮らしでした。それは仲のいい兄妹でした。

  もう一つ彼の身に起きた不幸なこと、それは、彼が両親を亡くしてから数年後
 のことでした。美大を出た後、画家を志してはいましたが、背に腹は変えられま
 せん。昼間は町の看板屋で、映画の看板を描いたり、道標べを描いたりすること
 で暮らしをたてていました。彼は一日の仕事を終え、近くの中小企業に勤める妹
 と二人で夕食を終えると、自分の部屋でカンバスに向かっていました。
  カンバスには不思議な絵が描かれていました。
  一面、鮮やかな緑の森林の中で、半裸の美しい妖精たちの舞い踊る幻想的な世
 界です。その妖精は一つ一つ違った格好をしていましたが、すべて妹がモデルだ
 ったのでしょう。顔の輪郭や髪型は違っても、表情は妹の明るさ、美しさをよく
 伝えるものばかりでした。
  毎夜、彼は自分の描き出していく世界に没入していきました。
  美しい妖精たちの踊る曲を口ずさみながら筆を動かすのは楽しくてしかたがあ
 りませんでした。

  その夜も、彼はいつものように、絵筆を動かしていました。
  おっと、肝心のことを言い忘れるところでした。その兄妹はピアスってやつを
 していました。両親が子供のころ開けたんですね。母親が好きでした。
  そしてその夜、ふっと、彼は自分の耳たぶのピアスの穴から、細く赤い糸のよ
 うなものが垂れているのに気がついたんです。なんだろうと思って引っ張ると、
 するするっと、毛糸のセーターがほつれるような感じでその糸は伸びてきました。
  すると、突然、部屋の電気が消えたように真っ暗になってしまったんです。
  『ねえ、どうして灯りを消したんだ?』
  隣の台所で後片付けをしている妹は聞こえるように、彼は大きな声を出しまし
 た。
  『え、消していないわ。』
  『だって、真っ暗じゃないか』
  『やだ、兄さん、からかっているの。』
  妹が部屋まで行ってみると、いつもと変わらぬアトリエ用の電灯の光の中で、
 兄は目をぱちくりさせながら、両手で宙をかき回すようにしながら、椅子からず
 り落ちた格好で、しゃがみこんでいました。
  彼は一瞬にして光を失ってしまったのです。

  急に光を失ってしまったのは、どうもその赤い糸にあるようなんです。
  数年前、慎重なはずの彼の母親の運転する車が、コンクリートの電柱に激突し
 てしまったのも、いつも母親がピアスをしていたことと、彼の体験を照らし合わ
 せると納得がいくんです。

  夜、彼の母親は助手席に夫を乗せ、慎重に車を走らせていた。助手席の夫、す
 なわち彼の父親は、おしゃれな妻の白いスーツの肩に赤い糸屑がついているのを
 見つけた。
  その糸は彼が絵を描いているときに、何だかわからず引っ張ってしまった赤い
 糸と同じだったんじゃないでしょうか。
  人によっては、その細く赤い糸は視神経だったっていうんですが……。」

 「そんな事あるわけないよ。
 「そうでしょうか。」
 「そりゃそうさ。耳たぶに視神経が通っているなんて、馬鹿な。」
 わたしは笑い飛ばした。
 「目は脳に直結しているんだ。視神経が耳たぶにまで通っているなんてはずはな
 いさ。」
 「そうですよね。まさか、視神経なんて……。」
 マッサージはしばらく黙って、わたしの腰を揉み続けた。
 知らぬうちに彼は私の尻に馬乗りのようになっていて、掌の底で腰骨に全体重を
かけるように押して揉んでいた。
 「お客さん。肩や首が楽になっていくでしょう。」
 「ああ。いい気持ちだ。」
 「そうでしょう。でも今は腰をお揉みしてるんですぜ。」
 「……。」
 「ツボってやつがあるんですよ。あたしらのようなマッサージは、ツボをよく勉
 強しているんです。」
 「……。」
 「ほら、たとえばここです。」
 と、男は首の後ろを押した。男の体は自然に前にずれて、私の背に跨る格好にな
った。
 「ちょっと、君、重いよ……。」
 男はわたしの言葉など無視して、指圧を続けながらしゃべりつづけた。
 「ここはぼんのくぼっていうツボなんです。お客さんのように目を使うお仕事の
 人にはよく効きます。どうです。頭から、目の辺りが楽になっていくでしょう。」
 「ああ……、効くけれども……。君、重いんだ……。苦しい……。」
 「そして、ほら、耳たぶ、ここにも視力に関係するツボがあるんです。」
 「……君……」
 「ここを刺激することで、ほらね、視力が……。」
 「おい、よせ。おい、やめろ、やめてくれ……。」
 マッサージは私の声など全く気にもとめずに、わたしの両耳をぎゅっと持つと、
荒々しく揉みこんだ。
 「痛い……。君っ……。うわ、いやだ。いやだぁ。」
 男の指はわたしの耳たぶを捕らえて離さない。
 「どうしてです。目を使うお仕事なのでしょう……。効くんですよ。」
 わたしは少しこわくなった。首を振って逃げようとしたが、首が麻痺したように
なって動かなかった。肩や首ばかりではない。体を起こして跳ねのけようとしたが、
ツボをおさえられているのか、力が入らなかった。
 「おい、君、何をした。おいっ、おいっ!……。」

 わたしは大声をあげ、自分の声で我にかえった。
 びっしょりと汗をかいていた。
 マッサージの男はわたしの上にはいなかった。普通のマッサージがするように、
わたしの身体の横側から、腰の辺りを揉んでいた。よかった。どうやら、あまりの
気持ち良さに眠り込んで夢でもみていたようだ。大丈夫、首も身体も普通に動かせ
た。もちろん目だって大丈夫だ。
 わたしは黙々とマッサージを続ける男を振り返ってみた。
 無表情な能面のような横顔にうっすらと浮かぶ笑みと、その耳たぶに空いたピア
スの穴のあとが、わたしの目をとらえて離さなかった。

                              完




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