#1658/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 5/ 7 11:36 (194)
ネパールの三馬鹿(15) 青木無常PLUS
★内容
4.山上の猿の寺
むう?
腹が痛い。
と目が覚めた。トイレで腰をおろすと、肛門から水が迸り出た。みごとに下って
いる。何にあたったんだろう。きのうのポテトチップスか? 屋台の得体のしれん
食い物もさんざ食い散らかしたしなあ。しかしそういえばさっき目が覚めた時、な
かば無意識に腹が出ていたのを直したような気もする。まあいいか。下痢どめを服
もう。
と、薬を用量の三分の一だけ服んでみた。……うん。大丈夫だ。安易なものであ
る。ついに下っちまったよおとぼやきながらつれだって銀行に向かった。両替をす
ませると近くのレストランで朝飯。といってもすでに昼近い時間だったので、やた
らに腹が減っている。大丈夫かなあと思いつつカレーを頼んでみた。Kはチャプス
イだ。よくかみながら食う。うまい。このレストランもけっこう、というかかなり
高級っぽい場所らしく皿の上のカレーも単なるカレーとちがっていろいろなおかず
めいたものが添えられている。うまい。うまいなあ。なんだこの緑色のは。ししと
うかな。唐辛子かもしれないな。まあいいや食ってやろう。腹も大丈夫そうだし、
ちと刺激を与えてやるのも悪くない。
食った。ゴジラになった。ぐわおと吠えつつ口から炎をまきちらす。辛い。血管
きれる。TOO HOT! なんとかしてくれ死にそうだ。ぐわあぐわあと騒いで
いると、通りがかったウエイターのおっさんが「ンー、カライカライ」と日本語で
声をかけてきた。この手のバカはけっこうありふれているらしい。
なかなか出てこないコーヒーを催促し、やたら甘くしてがぶ飲みした。まだ辛い。
ひりひりする。しかし多少はひと心地ついた。
王宮通りでベビーをひろい、「スワヤンブナート」と告げる。せまい車内に三人
つめこまれて、ベビタクは山上を目ざした。
川をわたって街をぬけると、風景は次第に田舎っぽくなってきた。それもやけに
日本の田舎と似ている。建造物などが目に入らなければ、まるっきり日本の田舎と
かわらない、といった感じだ。ベビタクはくねくねと曲がる道を緩急自在にやり過
ごし、しだいに坂をかけあがっていく。
やがて目的地に到着。スワヤンブナート寺院は山門に仕切られた長大な階段のは
るか彼方にあった。門脇に巨大な円筒状の物体が、中心の棒に貫かれて埋めこまれ
ている。仕切り壁にもこれの小型盤が無数にならんでいる。参詣にきたらしい人び
とがこれらの前を通りがかりながら手をかけ、順にくるくると回していく。
この円筒の内部にはマニ法典がおさめられており、これを一回しするとマニ法典
を一回通読したことになるらしい。念仏といっしょだ。労すくなく益多くというこ
となのだろう。名はタンカという。神頼みなんぞこどものころ以来やっていない俺
はここでも不信心ぶりをむきだしにしてタンカをすどおりし、山門をくぐった。
両脇に極彩色のブッダが二体、鎮座ましましていた。ネパール文化の色彩感覚も
やたらに派手だ。ベビタクが渋い色をしているからといって油断をしてはいけない。
Yはやたらにカメラのシャッターを押しまくっている。俺とKは先行して階段を昇
りはじめた。気圧が低いせいか、ちょっと昇っただけですぐに息が切れる。だけど
それが不快じゃない。日本の山野で鍛えたジグザグ昇りで中ほどまで昇り、背後を
ふりかえると下方にカトマンズの街なみが見えた。ついでに下のほうでぐずぐずし
ているYも見えた。なにやら三人組のガキどもと連れ立ってえっちら昇ってくる。
ガキをダシにしてペースを調節しているらしい。やたらにカメラのシャッターを切
っている。フィルムがもったいないぞ。
俺とKはYを置きざりに山頂の門をくぐった。石づくりの白い門と壁を背後に、
左手方向に進む。寺だ。なんとなく派手でタンカやらのほかにも妙な物体が佇んで
いたりするのだが、それでもやはり寺だ。軒や扉の木の部分に、複雑で細緻な神々
の彫像が刻みこまれている。怪物がにらみを効かす。香のにおいがあたりに漂う。
張り出しから外界にのぞむと、カトマンズの市街が一望のもとに見おろせる。そ
のむこうに、神々の峰がかすんでいる。俺とKは、タメルはどのあたりかななどと
あちこち指さしつつ景観に魅入っていた。Yはまだ中腹あたりをうろついている。
Yがたどりつくのを待って、俺たちは寺の内部にわけいった。Yめ、「この子た
ちがいると便利なんだよー。いちいち指さして説明してくれるんだよー」などと息
切らしつつ己の体力のなさを韜晦してやがる。腹くだしに唐辛子のせいか胸焼けま
でする病人の俺がまっさきにたどりついたというのに、そんなことでフィールドワ
ークがこなせるかと無遠慮に罵倒する俺にYはぼんやりと微笑んでいたが、後でき
くとけっこう堪えていたらしい。ゴメンね。でも事実は事実だ。ふん。
ガキども三人組の親分格は、名をクリシュナといった。宝石屋のクリシュナと同
じ名前だ。やはり人気のある名前らしい。このクリシュナ、小学校高学年になった
ばかりという感じの年ごろなのだがやたらに英語がうまい。概してネパールの人は
英語ぺらぺらの傾向があるのだが、こどもなどは吸収力が高いせいか特によくしゃ
べる。そのクリシュナがあちこち指さしてはこれはブッダ、それはシヴァ、これは
ハヌマーンと神名を口にする。実に明快だ。
なかほどまで進むと、なんだか婆さんがひとりつきまといだした。バクシーシか
と思ったらこれも物売りで、なんだか石にブッダの目と真言を刻んだ妙なお守りを
しきりに勧める。墨色に浮かぶ文字をひとつひとつ皺だらけの指でさしながら、唱
えかたを教授しようとする。もちろんそんなもん、俺に覚えきれるものではない。
が、ブッダ・アイの見つめるその石のお守りの造形が妙に気に入ったので買うこと
にする。
ところが交渉も終え、いよいよブツの受け渡しという段になってにわかに問題が
まき起こった。銀行で両替した際、小額紙幣が一枚も含まれていなかったのだ。婆
さんはおつりを持っていないという。すったもんだした挙句、婆さんが所有する石
を全部まとめて買うことにした。最初は婆さん売りものがなくなってしまうことに
か難色を示していたのだが、目の前の現金に負けたか無事に商談は完了した。手に
入れたブッダアイをYとKにも分ける。だってこれじゃいくらなんでも多すぎる。
ガキども三人つれて、さらに寺院内の門をくぐる。と、そこは中庭だった。カト
マンズの集合住居の中庭をさらにひとまわり小さくしたような広さで、真ん中とま
わりの壁いっぱいに土産ものが展示してある。左手の屋内も土産もの屋らしい。ど
うもこう、利にさとい寺だなここは。一角に矢印が出ていて、ライブラリと書いて
あるのを見つけ、Yはひとり見物にあがっていった。Yが戻るのを待つあいだ、土
産ものを物色するが、めぼしいものが見あたらない。それに店はまだこの先にもた
くさんあるだろうから、なにも買わずにYを待って先へ進む。
階段を下って建物の裏手にまわりこむと、そこに堂がひとつあった。内部にはな
にやら得体のしれない人びとが車座をくんでいる。クリシュナが来い、来いと促し
ながら堂内に踏みこんでいくので、俺も三人のガキについて入ってみた。車座の参
拝者たちをひょいひょいと器用によけて、ガキどもは奥にまします石の仏像の前に
立つ。カトマンズの路傍に点在する地蔵のようなものと同じようなつくりの仏像だ。
と、クリシュナがその仏像の前で妙な仕草をした。像の顔一面についた赤い粉を指
ですっとすくいとり、額の部分に塗りつけたのである。
あっと俺は思いあたった。街でもここでも、道ゆくネパール人はみな額に赤い印
をつけていた。あれはいったいどこで手に入れるのだろうと思っていたのだが、こ
ういうところでつけるものなのだ。しかも、街路の仏像がどれもこれも一様に真っ
赤な粉を塗りたくられていたのを俺はてっきり祭りの際のいたずらかなにかだと思
っていたのだが、じつはそうではなかったらしい。さっそく俺もガキどもに習って
額に赤い印をつけ、外に出る。クリシュナは赤い粉のついた指先を外で待っていた
YとKの額にもなすりつける。
堂を出てさらに先をいく。鉄の手すりの向こうには、無数の猿が群れ遊んでいた。
この寺は別名モンキーテンプルという。ここの猿は日本の観光地の猿ほどすれては
いないようだ。斜面の下方に田園が広がり、木々をすかして近くの山が見える。寺
の正面の景観とはちがい、こちらの景色は近くてのどかだ。柵を乗りこえてこの急
斜面をすべり降りれば、あっという間に下の田園についてしまうだろうな、と誘惑
の虫がしきりに俺を促す。もちろん、そんなマネしやしないけど。
ゆるくカーブした階段を降りて広場に出ると、おやおや無数の物売りが店を開い
ている。得体のしれないものを買いこんでいると、帽子売りがすりよってきた。帽
子は持ってるんだよなあ。しかし、この二人組の持ってる帽子は、いま俺が着てい
るティベタンの衣裳と同じ柄だなあ。悪くァないが……うーん。
帽子売りをつきまとわせたまま、先に進んだ。小高い丘に昇ってまわりこみ、さ
らに階段。俺たちが息を切らせてるってのに、ガキどもまるで平気な様子でちょろ
ちょろあちこち走りまわってやがる。地元はやはり強いなあ。
やはり石の壁に神像の刻まれた展望台のような一角で、なおもついてくる帽子売
りにバンドエイドの行商をかけてみた。しかし祭りの日のように気安く売れない。
しかたがないので、手を出すガキどもにひとつずつ渡した。かわりに帽子の交渉を
本格的にはじめる。
交渉がまとまり、金を払って帽子をうけとると、ガキどものひとりがちゃっかり
俺の手から帽子をもぎとり自分の頭上にぽこんと乗せた。かなわねえなあ。などと
思いつつ先へ。
また寺らしき一角が現われた。なかなか広い敷地なんだな、ここは。そこはなん
だか休憩所を兼ねたような場所で、たくさんの人がのんびりと休憩していた。柵の
むこう、三角のハンカチみたいなシロモノに真言らしき文字を書きこんだのぼりを
と、Kがクリシュナの手をとりながらなにか話している。なんだと思ったら、親
指と人さし指の股にはったバンドエイドがはがれかけ、傷口ががのぞいているのだ。
ひどく汚れた掌だから、簡単にはがれてしまったのだろう。Kは新しいバンドエイ
ドを出せと俺に指図しつつ、ウェットティッシュでクリシュナの掌をきれいに拭い
はじめる。そのうちに俺たちの周囲は例のごとく黒山の人だかりだ。
さらに長い階段をくだって下界にたどりつく。昇り口から少し右側あたりだろう。
ここでお別れだ、と俺はガキどもの一人からチベット帽をとりかえし、くりくりの
頭をぽんぽんと叩いた。YとKめ、名残をおしんでやがる。なにか土産になるもの
はないかというので、行商バッグの中から飴を出してわたした。じゃあな、と手を
ふるのだが、ガキどもいつまでもくっついて離れようとしない。
ベビタクをひろって「カトマンズまで」と乗りこむと、クリシュナが「俺もカト
マンズ」と後につづこうとする。ほかの三人も一斉に右へならえで次々にベビタク
にとりついた。まるで子なき爺いだ。バカいっちゃいけない、帰りはどうするんだ、
第一この狭苦しいベビタクにこれ以上人間が乗る余地はない。Yにやさしく諭され
て、三人はしぶしぶカトマンズいきを諦めた。
寂しそうな顔をして見送るガキどもを後に、ベビタクは街をめざして走りはじめ
た。
道が混んでいる上にやたらと狭い通りを強引に選んで走ったせいか、街にたどり
つくまでにずいぶん時間がかかった。ニューロードのゲートの前でベビタクを降り
る。Kがやけに焦っている。なにをそうあわてているのかと思ったら、どうやら今
朝、大学の時計台の下を通りかかったあたりで知りあったネパールの娘と、昼すぎ
に落ちあう約束をしていたらしい。しかし約束の時間にはまだ間があるし、喉もか
わいている。やたら焦りまくるKをなだめて、現地食堂でスプライトを飲んだ。
くだんの娘は日本語学校に通っているという。待ちあわせの場所もその学校らし
い。食堂を後にして歩きながらそこの詳しい位置をYに説明させると、ゲートはゲ
ートでもホテルの近くの歩道橋ゲートであることが判明した。とんだゲート違いだ。
タクシーでいこうようと泣き言こくYを叱咤しつつ疲れた足に鞭うって目的地を目
ざす。なに、たいした距離ではないし、第一料金交渉をするのがいい加減面倒にな
っていたのだ。
バザールの入口あたりを左に折れると、そこは少し毛色のちがう集合住居だった。
中庭があり、たくさんの部屋にわかれたアパート型の建物であることは同じだが、
ロの字型の一般住宅とちがってここはコの字型、中庭も少し広めで、廊下や階段の
天井もさほど低くはない。
くだんの場所は三階の端にあった。事務所風の一室という感じで、いわゆるカル
チャースクールの類と一緒だ。まあそんなもんなんだろう。ネパールでは日本語習
得熱が高いらしく、日本語学校はあちこちにある。ホテルの向かいにも一軒あった。
入口に佇む若い数人のネパール人に声をかけると、なんだか丸顔のかわいらしい
ねーちゃんが現われた。このねーちゃんがどうやらこの一同の親分格らしい。どう
ぞと椅子を用意され、腰をおろす。ああ楽ちんだ。
広い窓から外を眺め降ろすと、バザールの喧騒がある。ああ。実は俺は、この手
の小規模な学校というのの雰囲気も苦手だ。妙に小ぎれいで、やけにすっきりとし
ている。事務机などがでんと控え、その後ろの本棚には日本語の本がならんでいる。
『窓ぎわのトットちゃん』だあ? べつにいいけど。
ねーちゃん、定型化した質問を順番にあびせかける。紅茶を飲みながら適当に答
えておいた。ほかに数人の若い奴がいたのだが、この連中は我関せずといった面持
ちで外に所在なげに佇んでいた。
が、そんな中にひとり、ねーちゃんのまわりでなにかと世話を焼く形の娘がいる。
目立たない顔立ちの娘だ。ねーちゃんが「サラサーティ、サラサーティ」と呼んで
いるのでなんだと思っていたら、どうやらサラスワティのことらしい。これもシヴ
ァやクリシュナとならぶヒンドゥーの神々のひとり、歌舞音曲をつかさどる女神だ。
スワヤンブナートにもこの女神の神像がたくさんならんでいた。日本の文献ではよ
くサラスヴァティと表記されるようだが、このネパールではヴァがワになっていて、
しかもそれをさらりと流すような発音をするらしい。
このサラスワティの恋人が、外の青年のうちのひとりだという。へーと俺たちは
感心する。ジャヤさんやM(日)さん、S(ネ)さんから、ネパールでは結婚はほ
とんど見合いで自由恋愛などはほとんどないと聞いていた。それでも近年はずいぶ
んとそういう状況もかわってきているらしいのだが、まさかその実物を目の前にで
きるとは思ってもみなかった。紹介された青年は、照れたように笑う。なかなかい
い男だ。へー、なるほどねえ。なんだかよくわからんが、感心した。
さて、この日本語学校を後にしてから次の予定は、ジャヤさんの案内でアンナプ
ルナホテルで開催されるネパールダンスの見物となっている。が、まだずいぶん間
があるので、待ち合わせのダーバースクエアの近くのバザールでしばらく時間をつ
ぶすことにした。そのバザール、広場いっぱいに展開した各種露店はどれも金属・
仏像関係の土産もので統一されている。ダッカからこっち、ずっと捜しつづけてい
るグルカナイフはここにも見あたらない。あーあ。大量のの土産を買いこむと、約
束の時間が近づいていた。
第二部 カトマンズの三馬鹿――了(第三部につづく)