#1608/3137 空中分解2
★タイトル (MMM ) 92/ 4/13 17:50 (140)
白い少女 〔2〕
★内容
次の日、僕はさっそくその屋敷に行った。魚釣りに使うゴムボートの錨に使っているロープをバックに入れて、僕の家が飼っているゴロと一緒にそこに向かった。僕は毎日夕方、この犬を散歩させている。いつもは日暮れどきに散歩させるが、今日は学校が終わってすぐだ。3時半に学校が終わって僕はすぐ一人で帰ってきた。少女の面影が散らついていてとてもうきうきしていた。いつも一緒に帰るクラスのみんなに用事があると言って急いで帰った。だから途中で同級生のみんなと出会ってしまった。
東望に出ると人はほとんど歩いていない。水族館の前を通り東望の埋立地の前に出ると僕はほっと緊張を緩めた。その間、もちろんその日学校でもずっとだったが、昨日の白い少女の言葉が僕の脳裏を駆けめぐっていた。
『絶対だれにも言っちゃだめ。もし他の人に知れたりしたら大変なことになるのよ。私たち一家の生死にかかわることなのよ。もし警察にでも知れたら私たち一家は崩壊してしまうのよ。』
僕は少女の言葉を太陽に照らされながら夢のように聞いた。次の日も、僕の耳には少女のその言葉が謎めいて繰り返されてきていた。また少女の躰が幻のようになって現れてくる。僕はその日も、次の日も、夢うつつだった。夢のなかから現れた宇宙人のような女の子だった。いや、あの子は本当は宇宙人だったのかもしれない。宇宙人が浦上川にやって来て、僕に謎めいた不思議な言葉を呟いた。 たまたま僕はあの日あの川のほとりに生まれて初めて出て行っていた。生まれて初めての浦上川の川縁だった。なにの用事もないのに僕はあの日、あそこへ出かけていっていた。
僕はその日、学校で授業を受けながらも思った。先生の声は僕には入らなかった。ただ僕は運動場の木陰を見て考え耽っていた。―僕の学校にあれだけ魅力的な少女はちょっ
といない。いや三年生にはいないけど一年生にはいる。眩しかった。僕はその少女のためだったら何だってする覚悟だった。
新しくできたばかりの広い道を僕はゴロと一緒にゆっくりと歩いた。ロープを入れたバックが想像以上に重たい。
幽霊屋敷の上の家に着いた。以前、たしか一年ほど前だったが、友だち数人とこの屋敷の下の庭をうろうろしたことがある。雑草が繁っていて蛇が出てきそうだ。雑草の高さは1mぐらいもある。僕はゴロを先頭にこの庭を進んで行った。一年余りまったく使っないといっても、家のなかはとても綺麗だ。部屋の造りは外見と同じように西洋風でとても豪華だ。
やっと井戸があった。それは雑草に囲まれていて発見するのにとても苦労した。地面から80cmほどの高さの井戸だ。蔓や草に覆われている。これが少女が言ってた井戸だろ 井戸には蓋がしてあって、その蓋にも草が生えている。これでは近くからよく見ないことには何なのか全然解らない。僕はただ土を盛ってあるだけだろうと思っていた。土を盛ったようになだらかな形をしているのだから。蓋は木でできている。その上に腐食した草が積もっていてそこに小さな雑草が生えている。
その草を除けるのはひと苦労だった。蓋の周囲の土や草を除けて思いきり持ち上げた。持ち上げるときゴロが喧しく吠えた。人にあまり知られるとまずいのでゴロに静かにするように叱った。さいわい人は誰一人として近くを歩いていない。人家がまったくない処だから人は滅多に通らない。
蓋を除けて懐中電灯でなかを照らすとそこに水が貯ってるらしく光を反射している。井戸の端から落ちた泥がぽちゃんと音をたてた。中はかなり深いらしい。
ずっと見ていると、なにか吸い込まれそうな気がしてくる。久しぶりに(たぶん2年ぶりかに)蓋を開けたためか、この井戸は大きく呼吸をしているようだ。その呼吸の音が、微かに感じられる。井戸の下の空洞に、久しぶりに新しい空気が入ったとでもいうようだ。
ゴロが井戸のなかに落ちた。誤って落ちたのではない。自分から飛び込んだような落ち方だった。まるで井戸のなかに何かがいて、それを追いかけるようにして飛び込んだみたいだ。ゴロが水に落ちた音が長い響きを伴って聞こえた。こんな音響であることは、やっぱりこれは普通の井戸ではない。少女が言ってたように中が広い空洞になっていなければこんな音はしないはずだ。ゴロが水を泳いでいる音がする。そして陸地に上がったのか躰についた水を弾き落とそうと身震いをする音が聞こえる。身震いののち、ゴロは僕に吠えた。それはせっぱつまった吠え方ではなかった。余裕をもったいつもの吠え方だ。少しちがうところと言えばなにかを発見した意味が込められている吠え方だ。やっぱりなにかがあるのだ。少女が行ったように、なにかとんでもない秘密があるらしい。
僕は持ってきたロープを5mほど離れた処に立っている桜の木に結び付けて井戸を始めた。井戸の壁は苔蒸してぬるぬるしていた。この壁に蛇やムカデがいるんじゃないかと思い怖かった。僕が降りてるとき、ゴロは安心したようにくんくんと鼻を鳴らしていた。
深さは8mぐらいだったろう。8mほど壁を降りるとそこは空洞だった。さらに降りると水面があった。水に浸かったとき水の冷たさにひやっとした。懐中電灯で照らすがほとんど何も解らない。10mぐらい先に壁らしいのが照らし出されるだけだ。僕とゴロの声がこんなに大きく反響することからもこの空洞はとてつもなく大きいことが解る。まっ暗ななかにゴロの目が光っていた。その方向に懐中電灯を向けると闇の中にゴロの姿がぱっくりと浮かんだ。僕は冷たさに耐えながら、懐中電灯を片手にかざして立ち泳洞のようだ。長崎にしかも自分の住んでいるところの近くにこんなものがあるとは思わなかった。たぶんコウモリだろうと思う鳴き声が聞こえる。それはこの洞窟の中を飛び回っている鳥が発している声だ。コウモリが少なくとも3羽飛び回っている。ゴロは不安げに僕に寄り添って鼻をくんくん鳴らしている。
斜め上にぽっかりとまるでお月さまのように井戸の入口が光っている。空洞の中は涼しい。空気がとても澄んでいるように感じる。井戸の入口から空気が音をたてて出ていっているようだ。僕とゴロは口をぽかんと開けてその光る入口を見つめた。たしかに音がしている。僕たちを包むまっ黒な闇から圧迫されたような空気が僕たちを吹き抜けてその入口へと向かう。僕たちの背後の闇から雪女のようなものが出てきて僕たちを脅かすように思えた。
水滴の落ちる音が背後の闇から聞こえる。僕とゴロは一緒に後ろを振り向いた。人の気配がした。少女の言うことによるとこの洞窟に何かがあるのだ。何かがかすかに動いた。 僕とゴロは今度は闇を見つめた。ゴロは全然吠えずに黙っている。ゴロも何かに怯えている。
僕は僅かに闇に向かって歩いた。たしかに何かがいる。何かが僕たちを見つめている。それは僕たちに危害を加えるつもりはないらしい。たしかに向こうの方が怯えている。後ずさりしている様子が分かる。
僕は『オーイ!』と呼びかけた。その声は何回も鼓玉して僕の耳に帰ってきた。闇の中に見えた。闇に慣れてきた僕の目に人の姿が見えた。ゴロはまったく声もたてずじっとしている。
何かが匂ってきたと思うと躰が思うように動かないのを感じ取った。ちゃんと地面に立っているんだけど、金縛りにあったように躰が動こうとしない。恐怖のために身がすくんだのではない。手足が麻酔にかけられたように動かない。
ゴロを見るとゴロは躰が痙攣したようになって今にも倒れようとしていた。さっき何か細かい粉末のようなものを吸ったような気がする。それが効いているのだろう。しかし意識ははっきりしている。すると闇の中から一人の女性が、たしかに女性だ、うつくしい女性だ、がゆっくりと歩み寄ってきた。僕は放心したようになって倒れようとした。すると女が僕を受け止めゆっくりと地面に寝かせた。その後ゴロに何か注射をした。僕は恐怖のためではない。その麻酔薬のため顎ががくがく震えていた。女は僕を抱いて―柔らかく
抱いて――ベットに運んだ。蝋燭が灯されて、それはたしかにベットだった。頑丈な造りの豪華なベットだ。女には少し異様な臭いがした。その臭いはいったい何だったのだろう。苔のような臭いとでも言おうか、そんな臭いが微かにした。コウモリが泣きながら飛んでいるのが見えた。
『坊や。何しにきたの? 誰だろうと思ってとてもびっくりしたわ。そしたら坊やだったのでとても安心したわ。』
女は20代の後半ぐらいに見えた。しかし何故こんなところに女がいるのだろう。
『淋しかった。とても淋しかったわ。三月三月も私は一人っきりだったのよ。一人っきりでこの洞窟の中に閉じ込められていたのよ。』
僕は悟った。この女が三ヶ月この洞窟に閉じ込められていたことを。昨日の白い少女が言っていたことはこのことだったのだ。僕は少女への恋を忘れていった。
僕は白い少女のことを完全に忘れ去り黒い洞窟のなかを幻を見るように見遣っていた。
僕は彼女に言われたとおりに地上に出て屋敷に入った。彼女の言っていたとおり玄関の靴箱に大きなバールがあった。そのあと応接室だった部屋へ入りそこの分厚いカーペットを剥いでいった。するとその下に地下室への入口があった。それは木でできていて軽く開いた。懐中電灯で照らすと中は案外綺麗だ。がらんとしたコンクリートの壁の地下室には油絵のキャンパスや箪笥みたいなのがいくらかあるだけだった。降りてゆくと蜘蛛の巣が顔にひっかっかった。僕はワッと言ってそれを顔から剥ぎ取った。長いこと空気の入れ替えがしてないらしく地下室の空気はどんよりとしていた。僕はこんな部屋に入ったのは初めてだった。静かで完全に外界から遮断されたところだった。僕はやっと白い衣裳箪笥を懐中電灯で照らし出した。
彼女が言っていた辺りにタンスぐらいの大きさの古びた金庫みたいなのが倒れていた。その下はたしかに扉になっているらしくそこのところだけ鉄になっていた。その金庫みたいなのをそこから除けようとしたが重くて彼女が言ってた辺りに洞窟への入口があった。そこの入口は鉄製でできていて大きな鍵がかかっていた。僕は1m以上もあるバールってその鍵をこじ開けた。
スライド式の重い扉を開けるとそこには階段があり女の人とゴロが待ち受けていたように登ってきた。ゴロは僕にじゃれついてきた。女の人は喜びのあまり膝をついて泣いていた。
僕はいつか何処かでこの白い少女と出会ったような気がしていたがやはり彼女とは僕が中二の頃すぐ近くの松山のテニスコートで出会っていたのだった。そのときはもちろん何も会話もせずただなんとなくお互い通りすぎただけだったが僕の視界の端に白い斑点めいた異星人のような映像が刻まれたことを憶えている。