AWC ホモとマゾ  KEKE


        
#1442/3137 空中分解2
★タイトル (UYD     )  92/ 2/ 7  18:13  (130)
ホモとマゾ  KEKE
★内容
 岸田秀の本によると、自分で自分を精神分析するのはとても難し
いのだそうだ。本当に重要な部分は抑圧されて無意識の領域にはい
っている。したがって、自分の意識をいくら自己省察しても何もで
てこない。自分の過去の記憶をいくらたどっても何もみつけること
はできないのである。

 もっともすべてが無意識の領域にはいっているわけではないし、
ヒントになるようなことはよくみればかなり転がっているはずなの
である。ところがこれも、それをそれと知ることはなかなか難しい
のである。

 たとえてみれば「くせ」みたいなものである。くせというのは無
意識にしている。くせをしている最中に、今くせをしていると意識
することはない。たとえ鏡の前に立っていて、くせをしている自分
を見ても、おそらくくせをしていると認識しすることはないだろう。
意識の盲点に入っているので、見ていても見えてないのである。

 ところが他人から見ると、そのひとのくせは一目瞭然である。こ
れが自己分析がむつかしく、他人の精神分析者が必要な理由である。
といっても、自己分析がまったくできないというわけではない。

 岸田秀も自己分析して、自分を抑圧していたものを探りだしてい
る。そして正確に認識し、自己を治療している。そこまでいくには
ただ知っただけではだめなので、知ったうえで完全に納得しなけれ
ばならない。彼は専門家なので、そこまでいけたのだろう。

 私のばあい、専門家どころか正確な知識もないのだから、自己分
析なんてまったく無理である。せいぜい自己観察である。自分の心
や過去の記憶をのぞいてみて、何がでてくるかみてみたいと思う。

 この前書いた『精神分析』の文章をはじめ過去の文章を振り返っ
てみると、ホモを暗示する言葉がかなりでているのに気づく。
たとえばアナルセックスなんて典型的にそうであろう。女にしてい
るからといってもそれはたまたま女に向かっていっただけであって、
実は男にしたいのだということかもしれない。

 そういえば、相手の女性はそろって体格がいいのである。YUK
Iは私と同じ168センチ。安ベェでも165センチ。絵理にいた
ってはなんと172センチである。これは相手を女ではなく、実は
男と見立てているのではないか。そういう見方もできる。

 私はホモであるだろうか。もちろんノーである。ホモ行為をした
ことはないし、されたこともない。
しかし、当然それだけでは、ホモでないとはいえない。ホモである
がゆえに、かえって抑圧されてホモ行為を禁じているともいえるか
らである。しかし、自分をどうふりかえっても真性のホモであると
は思えない。

 とはいえど、ホモ的感情がないとはいえない。いや、かなりあり
そうである。だからこそ、アナルセックスなんてものに興味をもっ
たるするんじゃないか。

 そういえば学生時代に、特定の男にやたら親切にされたことがあ
った。普通親切にされればうれしいものだが、その男に親切にされ
ると何か気持わるさがわくのである。何かヌメリとした感じの親切
のされかたなのだ。
 今振り返ってみれば、彼はホモか、少なくともホモ的感じのひと
だったのだなと分かる。ホモはホモを知るということからいくと、
私の中のホモ的な部分をかぎあてていたのかもしれない。

 さて、ホモ的部分が私の中にあるとして、いったいそれは抱くほ
うか、抱かれるほうか、どちらなんだろう。つまり男役か女役かと
いうことなのだが。これはもう女役のような気がする。
 もともと私は依存的性格が強い人間である。これはハッキリ認め
ざるえない。自分ひとりで立っているより、誰かに導いてもらいた
いほうである。かりに外からみて、そう見えないとしても、内心は
そうなのである。

 10年もひとりで世界中をほっつき歩いているような奴が、依存
心が強いなんておかしいのではないかと思うひとがいたら、それは
見かたが甘い。むしろ、自分のそういう性格にたいする反発からそ
ういう行動にでたとみるべきだろう。

 昔さる病院に入院していたとき、便秘になったことがある。10
日ほども便がでない。そこでやむなく浣腸してもらうことになった。
ベッドに横になった私に看護婦さんがいちじく浣腸を差し込んでき
た。そのノズルが肛門に挿入されてきたとき、何か快感に近いもの
を感じたのを思い出す。
「これなら、アナルセックスもけっこう気持いいのではないか。い
ちどくらいやられてみるのも面白いかもしれないな」
そう考えた。

 YUKIや安ベェにアナルセックスしながら、実は彼女らにやら
れたかったのではないか。そんな気がするね。
 そういえば、彼女らを抱くと、というか、逆に彼女らの大きな身
体に包まれて抱かれていると、とても気がやすまったのを思い出す。

 ううむ、こうやって自己を観察してみると、私はかなりあぶない
男のようであるな。いつ真性のホモのほうへころげおちないともか
ぎらない。

 このシグの皆様と、オフであって話していて、ふいに、
「おい、ちょとケツ貸せ」
なんて言い出しかねないではないか、これでは。
あるいは逆にケツを差し出して
「やって、お願い」
なんて言ったりして。
そしたらどういう顔をするだろうね、みんな。

 私はべつにホモに偏見はないと思うが、やはりどこか気味悪く感
じる部分はある。自分のなかのホモ的要素は素直に認めるが、やは
りホモにはなりたくはない。で、どうしたらいいかだが、それは自
分のホモ的要素を変に抑圧しないことだろう。むしろ少しづつ発散
させたほうがいい。で、具体的にどうすればいいかだが、やはり女
に対してアナルセックスをするというのを続けるのがいいような気
がする。

 というわけで、絵理である。
「アナルはあきらめた、すぐ帰れ」
という電報は取り消したい。
私と性交するときはアナルセックスはつきものだと覚悟してもらい
たい。もちろん何回もとはいわない。一回だけだ。それくらいやら
せてよ。

「絵理、ボラギノール持って待っている」

 これなんのパロディか分かるひといるかな。
沖まさやという俳優がホテルから飛び降り自殺したのだが、その時
残した遺書の文句である。ちなみに彼はホモである。ホモの相手に
残した文句がこれである。

「おやじ、涅槃で待っている」

 それにしても、実にみごとな自己正当化の文章だな、これは。ひ
とはなにより自己正当化が優先するというウワサは本当だったんだ。

 この文章の題名は「ホモとマゾ」である。まあ、要するに私はホ
モっけだけでなく、マゾっけもあるということを言いたかったわけ
であるが、もうこれ以上かく根気がなくなった。またこんどとした
い。どんとはらい。




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