#1310/3137 空中分解2
★タイトル (UCB ) 91/12/ 1 10:18 (109)
泥姫伝説 おうざき
★内容
いずこの世界、いずれの時代であったか、それは定かではない。
人と人とが剣を手に戦いをつむぐ、そのような時代ではあった。
ある小さな国が、ある巨大な国に攻め入られていた。
精鋭ぞろいでありながら、小さな国は、数の差をもって圧倒された。
「屋敷が敵兵に囲まれるのは、時間の問題でございます」
それが、戦場からの最後の知らせとなった。
さかのぼる何度目かの知らせで、屋敷の王は、首だけを戦場に残して、この世
を去った事が、報告されていた。
王の伴侶は皆、自害した。
一人、姫が残った。
姫の周囲を固めるのは、髭の老士、長髪の美男、親衛の女だった。
「敵が来る。何とか姫だけでもお救いできぬだろうか」
「民の者ども、みな兵として倒れましてございます。王族だけが生き存えても、
せんなき事に思いますれば、降伏が最後の道かと」
髭の老士は長髪の美男を叱りつけた。
「めったな事を言うでない。みしるしの儀も済んでおらぬ姫に、誰がそう申し上
げるのか。降伏して虜の身となりましょう、と。拙者は御免こうむるぞ」
屋敷への敵の侵入すら、一度は許した。その時には、親衛の女が、戦列の先頭
に飛び出して勇猛に戦い、傷を負いながらも、敵を押し戻した。
「もはや猶予はならぬ、姫をここへ」
「どうなさるおつもりか、老士」
「せめて、姫だけでも存えさせるのだ。あるいは生き延びる事は、ここで倒れる
よりもつらい事になるかもしれぬが」
「それも何も、生き延びてからの話でございます」
そう言って親衛の女が、髭の老士に暗黙の賛意を示し、意義をとなえようとし
た長髪の美男は、口をつぐんだ。
髭の老士は、親衛の女に顔を向けた。
「よく言ってくれた。ではお主は、姫につき従い、生ある限り、お守りするのだ」
「老士、しかしあなたがたはどういたしますか」
「それは、今お主に話している事とは関係のない、別の問題だ。そうだな?」
言葉の最後は、長髪の美男に向けられたものだった。長髪の美男も、もう意義
はとなえなかった。強くうなずくと、胸と肩をはった。
「いかにも。我等には我等の役儀がござる。どうか姫の事は、頼みますぞ」
話がまとまったところで、髭の老士は、親衛の女の軍装を脱がせ、目立たぬ粗
末な服に着替えさせた。姫も同様の姿となった。
姫は一言も口を開かず、言われるままにした。常日頃から、姫は口をきこうと
はせず、みしるしの儀を前に、皆は心配していたものだった。
いつも姫と一緒にいる親衛の女も、その声を聞くのは、数えるほどだった。
泥と炭を注意深く二人にまぶすと、農民と変わらぬ姿となったが、持って生ま
れた高貴な輝きは、姫の瞳からは消えなかった。
次に髭の老士は、長髪の美男も軍装を脱がせて、姫が着ていた高価な服を着せ、
化粧をして、姫の身がわりとした。
その間、親衛の女は、泥と炭がすりこまれた傷の痛みに耐え続けていた。心配
して声をかけた長髪の美男に、親衛の女は応えて笑った。
「女であれば、耐えられる痛みにございますれば」
準備は整った。後は、姫と親衛の女を、屋敷の裏から逃がせば終わりだった。
だが、その機を計ったように、敵が部屋に姿を現した。
「動かぬ事だ」
「あっ」
「姫を賎民に化けさせ、身がわりを仕立てて逃がそうという訳か。こざかしい事
を」
指一本も動かす間をおかず、すべてを見破られた衝撃に、髭の老士は息を飲ん
で立ちすくんだ。
「先刻、屋敷に攻め入った際に、手の者ひそかに隠れ、それ、そこの節穴から、
すべての始終をのぞいていたという訳だ」
勝ち誇ったその声以外に、人のたてる音はなかった。親衛の女は、唇をかんで
床をにらみ、心身の痛みに耐えていた。
見かけは女となった長髪の美男が、うめき声をあげた。
「おのれ」
「おっと、そのままに願おう。刀を捨てねば、かわりに姫の命をいただく」
泥にまみれた姫の方を向くと、すばやく回りこんだ敵兵が、姫の喉元に刀を突
きつけていた。
姫は、恐れる風もなく、身動きもせずに、宙の一点を見すえていた。まるで、
何かを待っているようだった。
その瞳は空洞ではなく、高貴と神秘に輝く光に満たされていた。
歯がみをしつつ、髭の老士が、足元に刀を捨てた。それを見て敵は、よろしい、
という風にうなずいた。
「そなたは、誰」
それはあまりにも突然の一言だった。
それが姫の声である事に気づいたのは、親衛の女だった。他の者は、姫の声を
聞いた事がなかった。
鈴の音が響きわたるように、その声は皆の心の中に、直接滑り込んできた。拒
絶はまったく、不可能だった。抵抗しがたい、受け入れるしかない気高さが、皆
の胸の中でこだまし、痺れさせ、圧倒した。
敵たちは、ただ立ちすくみ、縛られたように動かず、口だけをぼんやりと開け
ていた。
そなたは、誰。
私は、屋敷付の女戦士。生まれ落ちた時から姫と共に育てられ、長じては武芸
をたしなみ、姫の身辺の守護と世話を仰せつかり、姫のために殺し、死ぬ事を最
大の名誉と教えられ、その完逐のため、今日もまた姫と共にあり。
そなたは、誰。
俺は、元は女形舞台芸人の端くれ、売れない二枚目役者として旅の途中、出来
心で屋敷に盗みに入り、捕まったところを王に買われた。誰にも開かぬ姫の心を
やわらげるべく、数々の芸を披露するうち、いつの間にやら周りから背中を押さ
れ、今は重臣の末席に名を連ねる身。
そなたは、誰。
拙者は、幾代にもわたって王に仕える側近の一族、影となり日なたとなり、あ
るいは手となり足となり、武略に謀略にと、王族の安泰を支える身。屋敷に入っ
て五十年の間、王とその家族を守りたてまつってきた、自分で言うのもおこがま
しいが、歴戦の勇者なり。
そなたは、誰。
私は、姫の身を守る者。
俺は、姫の身を守る者。
拙者は、姫の身を守る者。
三者の思いが、炸裂して白く光った。
そして、敵が我にかえった一瞬には、親衛の女は、自害用の小刀を取り出し、
長髪の美男は、脇の敵兵から刀をもぎ取り、髭の老士は、床に捨てた刀を拾い、
風となって敵に襲いかかっていた。
絶叫と血が飛び散って床にたたきつけられ、その上に敵が倒れ伏した。
敵の顔には、信じられないものを見たといった表情が、凍りついたままだった。
三人は、血に染まった顔を涙でぬらし、姫の前に膝と手をつくと、改めて姫へ
の忠誠を誓った。
この話は、これで終わりである。
この後、彼らが生き延びたのか、さらなる敵の攻めに埋もれていったのかは、
残念ながら伝わっていない。
しかし、この話自体は、時と場所を越えて、「泥姫伝説」として語りつづられ
ている。
<おわり>