AWC パラレル>「鷹司」 『烈風の鷹』 青木無常


        
#1241/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/10/24  12:37  (196)
パラレル>「鷹司」 『烈風の鷹』 青木無常
★内容
 「聞こえるぞ」
 吹雪の轟音をついて、ゆかりの耳に声がとどいた。
 四囲の気をさぐる。渦まく吹雪の彼方に、たしかに殺気がよどんでいた。重く、
熱く、不快な気。だが、場所が特定できない。
 むなしくふりかえり、踵をかえすゆかりの耳に、ふたたび声がとどく。
 「雪を踏む音。息づかい。吹雪が身体をたたく音。……よおく聞こえる。それに
におい。……女だな。妹のほうか」
 身をかたくし――硬直する。いかなる異変にも即座に反応できる姿勢。
 「死ね」
 耳もとで声がひびく。ふりかえる。だれもいない。飛びさる黒い、小さな塊だけ。
 「ここだ」
 ふりむくまもなくかけられた手が、ぐいと首をひねる。
 腱のひきちぎれる音とともに、ゆかりの首が九十度、回転した。小柄な身体が厚
い雪の層のなかへどうと倒れこむ。
 舞いあがる白い結晶はたちまち風にまかれ、逆巻く渦のむこうにあざやかな鬼百
合の紋がひるがえる。

 《山影》。
 執拗に背後にまとわりつく影をひねる腕の動きだけで薙ぎはらい、武彦は樹上を
移動する。枝にふりつもる雪のなだれを軌跡に落とし、それでも追跡者の集団はと
だえることなく次々に強襲をかけてくる。激烈な殺気が、上空から一気に落下した。
腰をひねり、反転。短剣の清冽な刃の円上を、黒い影の胴がよぎる。同時に、肩口
にサイの切っ先をうちこまれた。
 内蔵を噴きだす屍体とともに、墜落した。あやうくバランスをとり、着地する。
鎖骨から激痛が奔騰した。うめきをおさえて短剣をかまえる武彦の前に、ざん、ざ
ん、ざん、と三つの黒影がおりたった。
 闇にまぎれる黒装束。マスクからのぞく眼光は鈍く怜悧で、意志を感じさせない。
死を超克した者のみがもつ、凍てついた涅槃だ。生への執着を欠いた襲撃者には、
なまじの技量は徒にさえなる。武彦は奥歯をかみしめた。
 「通せ。おまえらのテリトリーを荒らすつもりはない」
 返答はない。無言のまま、三つの影はじりじりと間をつめる。武彦は怒りに歯を
むき――その顔からすっと、表情が消失した。
 遠く、近く、風は白くひるがえり、逆巻く雪にまぎれて四つの影はゆっくりと接
近した。
 ふと、一角の風が凪ぎ――
 奔流は一気におし寄せた。
 交錯する銀光を追って血がしぶき――武彦の長身がどうと倒れこむ。
 マスクの合間からのぞく三対の目が、にいと笑いの形に曲がり、そしてつぎの瞬
間、糸がきれたように雪にうずもれた。
 「糞ったれがよ……」よわよわしく吐き捨て、武彦は片膝をついて半身を起こす。
荒れ狂う前方の闇にぎらりと目をむき、「まだ居やがるのか」
 言葉の端に、血泡がういた。
 はためく派手な色彩の着物の裾で、鬼百合が風にあおられてせわしなく揺れかく
れている。
 身長は百七十とすこし。あわせの合間からうかがえる肉体は、鋼のように均整が
とれている。長くなびく黒髪。すずしげな目もととは裏腹に、その双眸には獲物を
狙う猛禽類を思わせる炎がゆらめいている。
 たおやかとさえ見える外見を裏切って、その男はすさまじい気を秘めていた。
 噴きだすような殺気ではない。深く、暗く燃える老成した闘気。ゆっくりと、迎
えうつ態勢を整える武彦を、実験動物をでもみるように冷たく、静かに見すえてい
る。
 「通せ」
 武彦の呼びかけに、
 「だめだな」重く、熱く、こたえが返る。「浄土姓を名乗る者を、通すわけには
 「なら、殺す」
 「おれが妹を殺したように、か」
 武彦はふん、と鼻をならした。口もとにうすら笑いがうかぶ。
 「冷たい兄だな。芦屋の手の者だけはある。身内が死んでも悲しくはないのか」
 「ちょっとも」
 冷笑はそのまま、衝撃にたち昇る雪の壁を背後に武彦は一気に突進した。
 雪片の王冠を舞いあげ、鬼百合が跳ぶ。
 頭上。うす汚れたコートの懐中にさしいれた武彦の左手が、むせび泣く風を裂い
て鞭のようにしなる。放たれた二本の黒い手裏剣。男は宙で身をひねる。一本をや
りすごし、もう一本はかろうじて頬をかすめるにとどめた。反撃。男は宙にとどま
った一瞬、かたわらの枯れ枝をおりとり、雪をけたててかけぬける武彦にむけて痛
撃をおくる。
 吹きあがる雪にはねとばされたかに見えた。実際は、武彦の神速の短剣一閃が薙
ぎ払ったのだ。そのまま足もとにむけて一転、縦に旋回する車輪と化して黒塗りの
手裏剣を放つ。三本――
 金属的なひびきが風にまぎれて三つ、男は両手にした二本のサイの先端をくるり
と下方にもちかえた。同時に、苦鳴。
 「ぐう――」
 ――プラス、一本。《影矢》。
 うめきとともにバランスを崩し、男は白い地上に落ちた。強固なはずの大地が、
雪をけたてて陥没する。厚い氷の層を破り、男はふりつもる雪畳にかくされていた
せせらぎのなかにどっぷりと浸かりこんだ。水に冷たくぬれた鬼百合の左上に、赤
く牡丹が膨れあがる。右肩に手をやり、突き立てられた白い手裏剣を苦々しげにひ
きぬいた。吹雪の流れにかくれ、先行する三本の黒に幻惑されて、みごとに裏をか
かれたわけだ。ただし、かろうじて急所への一撃はまぬかれている。
 「やるな、浄土武彦」惜し気もなく賛嘆をこめて男はいった。「おれは伏引の鷹
司だ」
 「八灯の伏引一族か」短剣をかまえたまま、武彦もこたえる。「いきなり襲って
きやがるとは思わなかったぜ。凶暴な連中だ」
 「ここのところ一族全体ナーバスになっていてな。こんなときに堂々と領内を通
りがかるなんざ正気の沙汰じゃない」
 「目的地は鄭成山だ。おまえらに用があってきたわけじゃない」
 「鄭成山は一族の奥殿。同じことだ。いずれにせよ、この時期にわれらの喉もと
まで迷いこんできた西の者を無事にかえすわけにはいかん」
 「この時期……?」
 返答は嘲笑におき換えられた。サイを握った鷹司の右手が、すっと袖にかくれる。
 「うけてもらうぞ。八灯千鳴の秘技」
 くるりと背をむけた。罠か? 逡巡よりはやく、武彦の左手が手裏剣を放つ。
 背に負った、鬼百合の上を舞う三羽の鷹。あざやかに染めあげられた猛禽がつぎ
の瞬間、迫りくる三本の手裏剣にむけてはじけ飛んだ。
 獰猛な嘴が風を裂いて疾駆する凶器をからめとり、そのままぱっ、と三方に散っ
た。白く渦まく風にまぎれて武彦の視界から消える。そして、鷹司の姿もまた。
 「糞ったれがよ……!」
 毒づき、丹田に気をすえる。目を半眼に閉じ、武彦は感覚の化身となった。
 荒れる。ざわめく。震撼する世界の底に、静謐が深く広がる。四つの生物の気配
は、完全に絶えていた。
 待つこと数刻。ふいに耳もとで声がした。
 「芸のない」
 瞬時にしてふりかえる。背後をかすめすぎた鷹は、すでに風にのって遠ざかりつ
つあった。
 「《飛心》か」
 つぶやきは風にまぎれ、戦慄は心奥におしこめた。吹雪にのって移動するとはい
え、武彦をあざむくほどの隠行を、あの鷹司のみならず三羽の猛禽までもが意識し
て使いこなしている。鷹司の意識を飛ばされて受けた鷹はそのまま、鷹司の目、耳、
そして手足だ。
 「待つだけか」
 ふたたび声がした。ふりかえるより早く、短剣が音源を襲う。
 羽が舞い、弧を描いて吸いこまれた。鷹の姿はない。が、一点、二点、雪上を紅
が染めている。
 「油断はできんな」今度の声は、武彦の間合いからは外れていた。円を描き、よ
どみ、不意に反転しつつゆっくりと移動していく。「浅傷だが、気をこめるのが難
しくなった。ではこれならどうだ?」
 声と同時に、気がみちた。四つ。隠行を解いたのか――瞬時ためらい、武彦は移
動する四つの気にむけて、つぎつぎに手裏剣を投げた。空をきる。
 『とらえられまい』耳もとで音がした。声、ではない。耳を聾する吹雪の轟音が、
複雑に重なりあってふいに人語を形成したのだ。
 かろうじてふりかえるのを留めた。視界の隅に、接近する黒い塊を見たからだ。
すかさず剣をくりだすよりはやく、鷹はくるりと反転する。と同時に、背中にずぶ
りとなにかがもぐりこんだ。
 鋭くひろがる痛覚。確認するまでもない。武彦の最初の攻撃のとき、飛び去りざ
まに鷹がかすめとっていった手裏剣だ。ぬきとらず、ふたたび四囲に気を放つ。深
い傷ではない。ぬけば、その動作が隙につながる。
 『どうだ?』虚空がささやいた。『気をしぼりきれまい』言葉は、遠く、近く、
風にのって渦をまいた。声にのせて鷹司の気配が四囲をみたし、うなりがすべて敵
と化した。
 硬直しつつ、武彦は舌をまいていた。飛心を三つにわけるだけなら、できない術
でもない。が、気を虚空に固定させるのは至難のわざだ。まして、風にのせて縦横
無尽に飛ばすすべなど、武彦には想像することさえできなかった。
 黒影が眼前をよぎる。ぎくりとして剣をふるう。手ごたえはない。身を立てなお
す間もなく、甲高い鳴声が足もとからせりあがる。飛び退く後頭部を、嘴で突かれ
た。うめき、横ざまに身を投げた頭上から、矢と化した鷹が急降下。雪上をころが
る先に、手裏剣が突きたった。
 なすすべもなく翻弄される武彦にむけて、風が無数の哄笑をたからかに投げつけ
る。歯がみして、闇雲に剣をふるう。すべて、空をきるのみだ。
 ――兄さま。
 ふいに、魂の内奥から声がひびいた。鷹司の飛心ではない。親和力にみちた、あ
たたかい声だ。
 ――首筋、毒、幻惑。
 それだけを告げて、ゆかりの遠話は沈黙する。武彦は三羽の鷹の連撃を辛くもか
わしつつ地をころげ、鷹司の割った凍てついたせせらぎのなかに身をしずめた。狭
く、浅い。それが幸いした。鷹の攻撃方向が限定される。四肢を繰り、切れ目のな
い攻撃をしりぞけた。
 首筋に手をやる。かすかに、痺れるような痛み。さすり、ささやかな水流で傷口を
洗った。立ちあがる。かすかに頭痛がした。さだまらぬ足もとをぐいと踏みしめ、
倒れかかるのをとどめる。
 風はうなりつづけていた。が、すでに人語を形成してはいない。鷹司の呼びかけ
は、完全に沈黙している。急襲を断念したか、吹雪に舞う鷹の姿もない。
 芸がない――鷹を通して鷹司が最初に呼びかけてきたとき、すでに武彦は術中に
はまっていたのだ。隠行で背後まで近づけば、致命傷を与えることは鷹にはできず
とも首の皮一枚切り裂くことなら造作もない。その嘴に毒が塗られていれば、きっ
かけひとつでたやすく幻術の虜となす下地も完備するだろう。風にのせる《飛心》
などはなかった。焦慮と不安が、敵を世界のすべての構成分子に増幅していたのだ。
 ふらつく足を強いて踏みだし、せせらぎから歩みだす。吹きつける雪まじりの風
に、芯から凍えた。だが、からくりは解けた。
 ぎらりと目をむき、闇に眼をすえる。
 風に揺られて三羽の鷹が、前方に浮遊していた。
 「どうやって見破った?」
 淡々とした口調だった。
 「妹が教えてくれた」
 「交霊か?」
 「死んじゃいねえよ」
 いうと同時に、飛び出した。ばっと鷹が三方に散る。大きく飛び離れて弧を描き、
鋭い嘴が弾丸の勢いで波状攻撃をしかけはじめた。寄せる。退く。武彦の刃は致命
傷を与えられず、八方からたたみかける鷹のコンビネーションプレイは徐々に武彦
を窮地に追いこんでいく。
 「ゆかり!」闇にむけて、武彦は叫んだ「鳥目だ! 音を断て!」
 呼応するように、荒れ騒ぐ吹雪の轟音を貫いて清冽な咆哮がひびきわたった。
 深山にとどろく誇り高き叫びは、狼の雄叫びだった。
 にわかに、鷹の動きに乱れが生じた。コンビプレイは消失し、猛禽は豪風に翻弄
されるか弱き獲物と化した。神剣がうなる。
 雪上を血に染めて、三羽の鷹は骸と化した。その奥の闇から、しずかな足どりで
伏引の鷹司が歩を踏みだした。鬼百合が風にはためく。
 「派手な野郎だぜ」
 「なぜだ」冷厳な声音の底に、諦念が重苦しく淀んでいた。「頚の骨をまるごと
折った。なぜ、おまえの妹は生きている」
 「あいつは山の精霊さ」声には、かぎりなく優しい響きがこめられていた。「だ
れもあいつを殺すことなどできねえだろうよ」
 「精霊……?」
 「たぶん、な」いって、ウインクしてみせる。あまり似合っていない。「俺にも
よくわからねえ。あいつの故郷をさがして、ここまできたんだ」
 遠い目をする武彦を、鷹司はしばしのあいだ無言でながめていた。
 「いずれにせよ、おれの負けだ。武器がつきてしまったからな」
 「そうかな?」いって武彦は、風にはためく鬼百合に目をやった。そのときはじ
めて、鷹司の顔はほんとうの敗北にひき歪んだ。
 「見ぬかれていたか」
 「ああ。幻術と手品。それだけだ」
 それきり、長いあいだ沈黙がふたりを支配した。
 風が凪ぎ――ゆらりと揺れた。ふたり同時に。
 武彦の右手から懐剣が消え、右腕には鬼百合の茎が突きたっていた。
 鷹司はしずかに笑い、左胸に深々ともぐりこんだ短剣ごと、音もなくふりつもる
雪の最中に崩おれた。
                                                                    (了)




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