AWC 紆余曲説『眠れる森の美女』(6)終章   鴉降


        
#1064/3137 空中分解2
★タイトル (QWG     )  91/ 7/29   9:22  (128)
紆余曲説『眠れる森の美女』(6)終章   鴉降
★内容
 ディランド公国の公女、一人娘のオーロラ姫は14歳の誕生日を迎えた朝、
いつもより早く目を覚ましました。
 窓を開くと外は、雨上がりの澄み渡った空の下に、まばゆい海を隔てて遠く
イベリア半島の影がくっきりと見え、眼下にはオリーブ畑の緑とそれよりも濃
い森の緑が瑞々しく輝いていました。光満ち溢れる美しい世界の眺めに誘われ
てオーロラ姫は門番のいない裏門からそっと城を脱け出しました。外に出て胸
いっぱいに息を吸い込むときりっと冴えた空気がからだのすみずみにまで爽や
かに浸みわたりました。
 宝石を散らした絨毯のように煌めく濡れた道を辿って姫は森に踏み入りまし
た。森の中にはやわらかく木漏れ日が射し草や樹々の吐き出す空気は喉に甘く
心を浮き立たせました。立ち止まって上を見ると木の葉が微かに風に揺れて木
漏れ日は一瞬ごとに緑、青、透明そしてまた緑と映し出す色を変えていきます
。その様に見惚れていると番の山鳩が高い梢を揺すって飛び立ち木の葉に溜ま
った雨滴が光の滴となってオーロラの上に降りかかりました。瞼に落ちた滴が
頬をつたって唇を濡らし舌に触れるとそれは微かに甘く感じられました。次第
に遠ざかる山鳩ののどかな鳴き声を聴きながら姫は愉快に笑い声を上げました
。
 森の中をどれくらい歩いたでしょうか、部屋着の裾が濡れて足にまとわりつ
き、オーロラ姫は疲労を覚えてきました。それに喉も渇いていましたから、行
く手に森番の小屋らしいものが見えたときにはとても嬉しく思いました。
 姫は戸口に立つとほうと息を吐きました。戸を叩きましたが、返事がありま
せん。その板戸には彼女が知らない文字で何か書かれてありました。
 それはジプシーの使う文字で『魔女レナの家』と書いてあったのです。レナ
がいつかふと茶目っ気を出して刻んだものでした。
  もちろん、オーロラはそこが叔母の家だなどと知る由もありません。彼女が
生まれてまもなく亡くなった(ことになっている)母の妹のことを一度も耳に
したことがなかったのですから。
 あくまでも番小屋だと信じて彼女は戸を押し開き中へ入りました。室にはな
にか不思議な匂いが立ちこめていました。室内の暗さに目が慣れるまで彼女は
しばらく立ち尽くしていましたが、ふとその匂いには彼女に覚えのある匂いも
混じっているのに気づきました。それはときどき熱を出したときに服まされる
熱冷ましの匂いでした。彼女は室内を見回し、薬のようなものは見あたりませ
んでしたが、カマドのそばに水瓶を見つけ、柄杓ですくって中の水を飲みまし
た。
  喉を潤すと、彼女はまた室を見回しました。番小屋の中など入ることがなか
ったので、好奇心を唆られたのです。小さなテーブルに椅子が1脚、それと寝
台が一つ、そして入ってきたのとは別のドアが……
 オーロラ姫はそのドアをノックしてみました。返事はありません。もう一度
ノック、それからそっとドアを開けました。中は真っ暗でなにも見えません。
そしてドアを開けた途端に先ほどよりずっと濃厚で強い匂いが押し寄せてきま
した。この室はいったいなんなのでしょうか。姫は好奇心を抑えることができ
ませんでした。
 姫は、入り口の傍の棚の上に灯皿と燧石を見つけて召使いのやり方を見よう
見まねで火をつけ、暗がりに踏み入りました。狭い部屋でした。手にした小さ
な灯りでほとんど部屋中を見まわすことができました。彼女はそこにある物を
一つひとつゆっくりと見てまわりました。中央にあるテーブルの上には乳鉢、
ラテン語で書かれた本、何か粉末の入った小型の壷、乾燥した薬草の束、分銅
秤、ヘラの類などがきちんと並べられてありました。奥に向かって右の壁はテ
ーブルに在ったのと同じ形の壷がずらりと並ぶ棚、左は彼女が一度も目にした
ことのない本ばかり並ぶ棚になっており、奥には特殊な造りの小さなカマドが
しつらえてありました。
 本棚の隅に何かがきらりと光ったので、灯を近づけて見るとそれは金の飾り
もののようでした。それを手に取るとその後に小さな玻璃の瓶がありました。
オーロラ姫は、明るいところでよく見ようと、二つを手にして暗い部屋を出ま
した。
 部屋を出ると空気が軽く呼吸もらくに感じられました。あの空気を吸い込ん
だために口の中が苦く、それを流そうと姫は水を飲みましたが、喉の奥に貼り
着いた苦みは消えませんでした。
 オーロラ姫は窓辺に金の飾りをかざして見ました。異国風の細工のそれは髪
飾りのようでした。姫はそれを髪につけてみました。ここに鏡がないのが残念
でした。それにしても、姫は思いました、森番の小屋にどうしてこんなものが
あるのかしら。それにこの瓶……。
 青い玻璃の瓶にはなにかの液体が入っていました。光に透かしてみるとその
底に赤い物が沈んでゆれています。その色は太陽が海に没したあと水平線に消
え残った照り映えの緋色でした。蓋を開け中を覗き込むとつんと鼻腔に刺激が
走り、姫は一瞬気が遠くなって危うく瓶をとり落とすところでした。
 これはいったいなんなのでしょう。彼女は瓶を顔から遠ざけてしばらく眺め
ていました。喉の奥が甘苦くひりひりしました。怖さと抗い難い魅惑に胸がど
きどきしました。オーロラ姫は息をとめて瓶の中を覗き込み、呪いが込められ
た褐色透明の液体に人さし指を浸し、それを口に入れました。
    ・   ・   ・   ・      ・   ・   ・
 薬草摘みから戻ったレナは、小屋の中に倒れている少女と床に転がった瓶を
見て即座に、なにが起きたかを察しました。抱き起こして見た少女の顔はとて
も彼女に似ていました。
 どうしていいか判らずにレナはホセの番小屋に走りました。彼女の話を聞く
とホセが言いました、ではオーロラ姫はいつかは目が覚めるんですね、それな
ら良かった。そのときはレナの死ぬときだということを彼女は黙っていました
。とにかく、ホセが立ち上がりながら言いました、ぐずぐずしてはいられない
、姫を捜してじきに城の者がやってくるでしょう。
 ふたりは眠る姫を森のはずれに運びその胸に書き付けを残しました。
『この者、魔女の領地を侵せしにより、呪いを受く。全霊を注ぎ彼女を愛せる
男、くちづけによりてこの眠りを解かむ』
書き付けにはそうありました。
 沢山の医師、呪術師が眠る姫を診ましたが誰も呪いを解くことはできません
でした。姫の眠りを覚ました者は婿に迎えるとの触れがヨーロッパ中の身分の
ある家々に送られ、若者から年寄りまで志願者が大勢訪れました。ところが、
この呪いには思いがけない副作用があって、姫にくちづけした男たちは皆ばた
ばたと横死してしまいました。そしてまもなく姫の唇に触れようとする者は誰
もいなくなりました。
 公爵夫妻はようやく、全霊を注ぎ愛す、という書き付けの言葉の意味を覚り
ました。彼らは、身分を選ぶことも報奨を付けることも捨て、姫を見つけた場
所に堅牢でできるだけ質素な構えの小屋を建て、眠る姫のために飾りたてた部
屋から彼女をそこに移しました。美しいドレスはあのときに着ていた部屋着に
着替えさせ結わないままの髪も髪飾りもあのときのままにしておきました。
 小屋の入り口には例の書き付けが掲げられました。そしてそれにはこう付け
加えてありました。
 『ただし、曇れる魂もてくちづけるは永久にそを喪ふべし』
 夫妻は娘の様子を見に毎日足を運びましたが、ときどき姫の寝台の下に斃れ
た無鉄砲者を見いだすばかりでした。
 ホセはレナの頼みで毎日小屋を見回り姫の様子を知らせていましたが、報告
を重ねるごとに彼女の落胆は深まり、日に日にやせ細っていって、自分の小屋
を出ることもままならぬようになりました。
      ・     ・     ・     ・     ・     ・     ・
 ある日ひとりの男がレナの小屋の前に立ちました。
 『魔女レナの家』
 戸に刻まれたその文字を見て男は戸をあけました。もう立つこともできなく
なっていたレナは寝台から顔を上げて彼を見るや、か細い叫び声を上げました
。その男は、15年前一族とともに島を逐われたあのロトでした。
 この家の主のレナというのはあなたか、とロトが訊ねました。すっかり変わ
り果てているレナを、彼は見分けることができませんでした。いいえ、レナは
言いました、私はレナの姉ですがあなたはどなたですか。私は15年前にレナ
を知っていた者でロトという者だが、彼女はいまどうしているのか、そうロト
が訊ねると、レナならばある呪いをかけられて森のはずれの小屋で15年間眠
っている、姉を装ったレナはそう答えました。
 それから彼女は、小屋の場所とその呪いについて詳しくロトに教えました。
すると彼は、その呪いを解くのは自分しかいない、と言いました。もしかする
と彼自身が死ぬかもしれないのだ、それに目が覚めたとき彼女は以前のことを
すべて忘れているだろう、と彼女は念を押しました。しかしロトは、私はレナ
に対する私の愛を信じている、力強くそう言って小屋を出て行きました。
 翌る日、ホセはいつものように眠り姫の小屋を見に行き、姫がいなくなって
いて、例の書き付けが寝台の上に置かれてあるのを発見しました。彼は喜び勇
んでレナの小屋へ飛んで行きました。しかし彼女はいませんでした。そこで、
ホセは森中を捜して回りましたがレナは見つかりません。
 エレオノーラは、城の塔の下に身を横たえて冷たくなっていました。
   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・
ロトとオーロラ姫=レナがその後どうなったか、今ではそれを知る人は誰もい
ません
             ・ ・FINE・ ・




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