AWC 呪術士(結)        青木無常


        
#996/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/ 6/ 6  11:40  (129)
呪術士(結)        青木無常
★内容
 そこにいたのは――姫野涙子だった。
 「涙子さん!」
 ゆかりが絶叫した。
 涙子がふりむき、そして微笑んだ。微笑んだような気がした。
 そして涙子は向き直り、迫りくる鬼に向けて、両腕を大きく差し出した。
 子供を迎える、慈母のように。
 ゆかりの悲鳴が、遠く埠頭に響きわたった。
 念塊が涙子に向けて殺到し、大いなる母の姿は霧のヴェールの彼方に消えた。
 声が、世界を満たした。
 絶叫は、歓喜の叫びにも似て深く、遠く、反響した。
 ――そして、静寂が。
 ちぷたぷと、波が鳴る。微風の運ぶ潮の香が鼻孔をくすぐり、どこか遠くからご
おおおおと、モーターボートのあげるエンジン音が響いていた。
 ふわりと、白いものが虚空に舞った。
 ゆっくりと、地に落ちた。
 姫野涙子の衣服だった。衣服だけだった。
 呪咀の塊とともに塵にでもかえってしまったかのように、姫野涙子は消えていた。
 がくりと、ゆかりは膝をつき、呆然と見張った目を四囲に奔らせた。
 消えていた。跡形もなく。
 かわりに、蒼龍が立っていた。
 眼前に。
 「しぶとい奴らだぜ」
 つぶやくように言い――
 巨大な足が、うなりをあげてゆかりの前に突きあがった。
 上体をそらし、そのまま後方に向けて回転した。背筋が冷えるような攻撃だった。
 甘かった。降り立ち、体勢を整えようとしたゆかりの眼前に、うなりをあげて拳
が突き出された。
 飛んだ。叩き飛ばされた。突き出された衝撃そのまま、したたかにアスファルト
に叩きつけられた。
 ダメージが全身をかけ巡っていた。立ち上がろうとした。不断の痙攣に体が震え
るだけだった。
 「すっこんでろよ」
 言い捨て、蒼龍は地に伏した武彦に向き直った。
 背を蹴りつけて、あおむけにさせた。
 瞬間、ぎくりと全身を震わせていた。
 炎があった。
 武彦の双眸に。
 「蒼龍ゥ……!」
 低く、うめくように言った。
 ごくりと、喉を鳴らし、蒼龍は後退った。
 「どこまでも……どこまでもしぶとい奴だぜ……」
 喉にからんだ声音でつぶやき、蒼龍はぎりりと奥歯をきしらせた。
 「いいかげん、くたばりやがれ!」
 叫びつつ、武彦の脇腹めがけて思い切り足を蹴りあげた。
 ぐおっと、悲鳴があがった。
 蒼龍の口から。
 足底から甲に向けて、刃が突き抜けていた。
 荒らぶる神を地の底に追う神剣が。
 「糞ぉっ!」
 わめき、力まかせに足を引いて後退した。
 むくりと起き上がる武彦に憎々しげな視線をおくり、
 「糞っ、同じ失敗を二度させやがって」
 吐き捨てた。
 ボートの音がゆっくりと近づいてくる。
 武彦は無言で立ち上がり、短剣をかまえた。
 「ぶち殺してやる」
 つぶやくように告げるや、砲弾のように飛び出した。
 冴えた金属音を響かせて、ふたつの肉体がぶつかりあった。
 武彦の懐剣を受けたのは、大ぶりのハンティングナイフだった。蒼龍は、にたり
と口もとを歪ませた。
 「得物は用意しといたんだがよ」
 「うるせえ」
 武彦が吐き捨てる。一瞬、蒼龍の口もとがけっと歪んだ。
 二対の足が、大地を踏みしめた。
 膠着状態だった。歯を剥き出し、二人の男は全霊をかけて互いの力を押し戻す。
 均衡は、二人の背後から破られた。
 同時に。
 蒼龍の首筋に数珠がからみつき、武彦の背中を刃物が貫いた。
 蒼龍はふりむき、地に伏しながらも数珠の端を握りしめるゆかりをねめつけた。
 「兄さま!」
 ゆかりは叫び、武彦は――ぐらりとつんのめった。つんのめった武彦の背中の向
こうに、黒猫の無表情があった。
 「兄さまっ!」
 魂切る絶叫が、呼んだ。
 倒れかけた武彦が、ぐいと足を踏みだした。あやうく踏みとどまり、そして――
蒼龍に向けてぐいと顔をあげた。
 「急所それてるぜ、蒼龍」口もとが、笑いの形に歪んでいた。「切札なら、ナイ
フの刺し方ぐらい教えておくんだな」
 蒼龍は武彦をにらみかえし、首にまきついた数珠をぐいと引いた。抵抗むなしく
数珠はゆかりの手を離れ、首からほどかれ地に落ちた。
 「半死人がよ……」ぺろりと、唇に舌を這わせ、「これで終わりだ!」
 「おまえがな」
 返す言葉とともに、銀光が閃いた。
 身をひねって懐剣をかわし、会心の笑みを浮かべてナイフを突き出した。
 剣を握った武彦の上腕に、凶刃がずぶりとめりこんだ。
 苦鳴があがった。二人同時に。
 「糞野郎がよ……」嘲笑はそのまま、蒼龍が苦しげにつぶやいた。「どこまで喰
らいついてくるつもりだ、てめえは……」
 武彦の腕を貫いたナイフから力なく手を離し、鍛えぬかれた己の腹筋にめりこん
だナイフに手をやった。
 黒猫によって、武彦の背中に突き立てられたナイフだった。
 「これみよがしに短剣ふりまわしやがって……ブラフたぁな……」
 「懺悔でもしやがれ」
 短く言い放ち、剣をふるった。
 その時、背後から声がかかった。
 武彦の双眸が驚愕に見開かれた。
 剣の軌跡に、逡巡が刻まれた。その一瞬を、蒼龍は見逃さなかった。
 ありったけの余力を注ぎこんで拳を突き出した。
 避け切れず、武彦は吹っ飛んだ。
 追撃をかけようとして、蒼龍はぐらりと巨体をゆらめかせた。限界だった。
 「蒼龍!」
 堤防の向こうから黒猫が呼びかけた。
 そこに、モーターボートが停泊していた。蒼龍は、足をひきずりながら黒猫の許
へと歩き始めた。
 「待て……」
 うめきながら、武彦は這うようにして蒼龍を追った。
 届かなかった。堤防の端で蒼龍の巨体がぐらりと傾き、ボートの内部へと落ちて
いった。
 「待て……蒼龍」
 呼びかける武彦に、蒼龍はボートから半身を起こして応えた。
 「これで終わらせやしねえぜ、浄土武彦……」燃えるふたつの眼が、武彦の双眸
に向けて直線を刻んだ。「かならず決着をつけてやる……」
 エンジンが吠え、ボートはくるりと弧を描いた。
 一瞬、ゆかりは黒猫の瞳をとらえた。
 懐かしい色が、そこに隠されているような気がした。
 そして二人を乗せたボートは夜の海へと溶けていった。
 遠ざかるモーター音を遠く聞きながら、武彦は肩にかけられたゆかりの手のひら
の暖かみを感じていた。
 落ちていく意識の底で、疑問が嵐のように渦巻いていた。
 あの最後の瞬間、背後からかけられた黒猫の声は、武彦に向けてこう告げていた。
 氷を溶かすのは火、と。
 なぜ黒猫が、姫野涙子の予言を知っていたのか。
 ゆかりと涙子がとらわれていた時に、涙子自身の口からそれを耳にしたのか。
 それとも……。
 明けはじめた夜のもと、ゆかりの腕の中で武彦はゆっくりと深い眠りに陥ってい
った。
 そして因縁は、まだ尽きてはいない。

                                                              呪術士  完




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