#912/3137 空中分解2
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「ある雑兵の結末」(2) 浮雲
★内容
「うむ、天保山にはいつごろ着けるかな」
軍議が始まってからすでに二時間をすぎ、夜に入っていた。
「はあ、明け方までにはなんとか」
そうすれば、昼ごろまでには笛吹き峠に陣を構える事が出来るだろう、坂井雅
楽(うた)はそんな想いを巡らしていた。
それから一時間後、わずかばかりの留守を残し、正信(ただのぶ)以下約四百
の将兵は天保山に向かって出発した。約40キロ(おおよそ遠野から釜石までの
距離)の道程であった。
出発間際になって、正信がわがままを言い出した。信就(のぶちか)の留守部
隊から応援として五十と西方の青笹にある出城からも五十の併せて百名をなんと
しても呼び寄せろ、と言って忠重を責めたて、色よい返事がないのを見るや、独
断で早馬を走らせてしまったのである。子細はおまえに任せる、と言っておきな
がらこの始末であった。
その結果、集結の遅れている将兵約百名と共に一日遅れて本隊に追いつくこと
になり、正信は約六百の将兵を擁することになったのである。
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本田忠重(ただしげ)は、騎馬五十ばかりを先行させることにした。指揮は雅
楽に命じた。
天保山は、正信の館から見て順に仙人峠、笛吹き峠の二つから成っている。例
え三条軍の進軍が早くても笛吹き峠に物見の陣を張るのがせいぜいだろう。まず
こちらは仙人峠を押え、もし笛吹き峠にいるだろう三条軍が少数なら奴らを蹴ら
らし、なんとしてもそこに足がかりを築きたいというのが忠重の考えであった。
闇の向こうに消えた雅楽たちを見送りながら、忠重は深くため息をついた。正
信と金太郎こと榊原伊右衛門が、わしに先発隊の指揮をとらせろ、と言ってねじ
込んできてずい分とダダをこねると言う騒ぎがあったからであった。
その朝、天保山一帯は深い霧に覆われていた。
小村たちは、三条軍と出くわすことなく天保山の笛吹き峠を越え、砦への途中
にある石打山(いしうちやま)と呼ばれる小高い丘に達していた。
「小村さま、少し深く入り過ぎたのでは」
小堺が心配気に、小村の乗った馬の手綱を引いた。
「む、ここまで来ても敵がおらんとはな」
三条軍は、砦を奪った後、進軍を止め砦にとどまっているのかも知れなかった。
もう日の出が近い筈なのに、いっそう霧が深くなり視界は十メ−トル以下に落
ちていた。
小村たちは、馬を降り、息を殺し足音を忍ばせて、文字どおり手探りの状態で
先へ進んだ。
突然であった。右前方で笑い声が起きた。
「しっ」
何者かがこちらに近づいてくる。あまり突然の出来事に、小村たちはその場に
立ちすくむばかりであった。
二つ、三つ笑い声が続くと、今度は立ち小便の音が聞こえた。目を凝らすと、
霧の中にぼんやりと影が見えた。ということは、向こうからもこっちの姿が見え
る、ということではないか。ことばのなまりやぼんやりと霧に浮かぶ姿格好から
三条軍の兵であることは疑いなかった。
小村は、覚悟を決めた。相手がどれだけいるのか見当もつかなかったが、思い
切って敵の中に暴れ込んでみるのも、面白いかも知れないと思った。
しかし、相手は小村たちに気が付かなかったのか、用を足すと笑い声と共に霧
の奥に消えて行った。
同じ頃、雅楽の率いる騎馬隊も深い霧に閉じ込められ、道を失っていた。
「どの辺りであろうか」
「はあ、天保山を下りてだいぶになりますから、石打山あたりかと」
雅楽の問いに、この辺りで生まれたという若武者が頼りなげに応じた。
実は、雅楽は妙な気を起こしていた。このまま、北辺の砦までつっ走ってみよ
うか、そんな考えが頭をもたげてきていたのであった。
「この霧では、三条軍と出会っても互いに気がつかないのではないでしょうか。
小村殿もこの霧で難儀しておられると思われます」
「うむ」
そうかも知れない。
「よし、少し休もう」
このまま馬を進めていると、誘惑に負けてしまいそうであった。馬を降りると、
雅楽は大きく深呼吸をした。
「危なかった」
思わず口をついた。もう少しで忠重の命を破り、独断専行を行うところであっ
た。これがもし信就の戦ならそれも許されたであろう。しかし、正信の前では抜
駆けは絶対に行ってはならなかった。
小休止のあと、雅楽は馬を翻した。天保山に敵はいなかった。雅楽のにらんだ
通りであった。天保山を拠点に戦えば、二千相手に互角以上の勝負が出来るだろ
う。幸いに、石打山から砦までは荒れた原野が続いており、領民もほとんど住ん
でおらず戦い易い。
いずれにしろ、今日中には三条軍も天保山を目指して上ってくるだろう。陣構
えはどうしよう。新式銃の威力もぜひ試してみたいものだ、雅楽はそんなことを
忙しく想い巡らすのだった。
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雅楽が笛吹き峠に戻り着いたのと時を同じくして、小村たちが現れた。その頃
になって霧も晴れ出した。
「坂井さま。早いお着きで何よりです」
「で、どうだ三条軍の様子は」
雅楽は、自分達が石打山辺りまで出た事を口にしなかった。
「はい、それです。敵の前衛が石打山まで出ていると思われます。何分、霧が深
くてしかとは確認出来ませんでしたが、馬のいななき、旗指物の数などから相当
の軍勢かと思われます」
やはり。雅楽は冷汗をかく思いであった。
「石打山まで出てきていたか。うむ、先遣隊か、それとも」
雅楽は、霧が晴れてきたいま、もう一度物見を出す必要を認めた。
「小村、大変だがもう一度様子を見て参れ」
目だつといけない、というので雅楽は小村一人を出すことにした。さらに、敵
の動きが急だった場合に備えて、天保山の上り口に騎馬二十を配する手筈を整え
た。後は、正信の本隊を待つばかりであった。
それから一時間ばかりして、正信が軍勢を率いて上ってくるのが窺えた。
「ごくろうだった」
忠重のねぎらいの言葉には、安堵感が溢れていた。雅楽は分かるような気がし
た。それに比べ、かたわらの正信の様子は滑稽なほどであった。妙に殺気立ち、
イライラしている様子は、不安を隠そうとする以外の何物でもないことを雅楽は
見抜いていた。
「坂井、それでどうなのだ」
正信は唇をワナワナふるわせながら、早口にしゃべった。
「という訳で、三条軍は石打山付近まで進出しているものと思われます」
雅楽は小村の話を伝え、再度小村を偵察に出したことも付け加えた。
「よし、陣構えだ。整い次第、順次朝食をとれ」
忠重の令が下りた。戦陣訓に則り、布陣が敷かれた。笛吹き峠の中腹に矢楯が
並べられた。やや上がって鉄砲隊が配置され、道筋を見おろす小高いところに騎
馬隊が構えた。戦闘の時は槍を持つ雑兵たちが炊事の用意を始めた。兵糧が降ろ
されると、荷駄を積んできた馬は再び館から兵糧を運ぶために天保山を下って行
った。
陽が上がった。正信の陣はちょうど太陽を背に受ける格好になった。
ほどなく戻った小村は、やはり石内山には三条軍が約五百野営していると報告
した。物見も出さずのんびりと炊事の支度に掛かっている様子であった、という
小村の話に、雅楽は首をかしげた。しかし、正信の考えは単純明快であった。
「忠重、敵は油断しておる。絶好の機会ではないか」
忠重は、ただあきれるばかりであった。
「若さま、ここで敵を迎え撃つこそ格好の策と心得ますが」
館を出るときの申し合わせではないか、忠重は危うく口に出すところであった。
正信は、あからさまにぶすっとした顔をすると金太郎を呼びつけた。
「金太郎、小村の話を聞いておまえはどう思う」
どう思う、もない。おれの意見に同意しろ、と言っているのと同じであった。
もっとも、血の気の多い金太郎にとってそんなことはどうでも良かった。敵陣
に飛び込むのに場所など選ぶ必要はない、というのが金太郎の信条であったから
、正信の言葉に待ってましたとばかりに応じた。
「兵力は五分と五分。敵はわれらのことに気がついておりません。急襲すれば、
敵は陣を乱して壊滅すること請け合いましょう」
なんという無責任な大言壮語であることか。たしかにそれが必要な時もあろう。
しかし、正信が大将であること、敵の様子がまだ十分に分かっていないことなど
を考え合わせれば、それがいかに無謀行為であるかすぐ分かるではないか。忠重
は唇を噛んだ。
そんな忠重の気持ちも知らず、正信の顔がパッと明るくなった。
「おまえもそう思うか」
まずい。雅楽は思わず忠重と顔を見合わせた。
「忠重、わしに少し兵をくれ。様子を見てきたい」
「忠重、若さまの言うとおりだ。好運は前髪で掴むもの」
年寄りのひとりが横からしゃしゃり出て、正信をいっそう煽り立てた。
「ただでさえ少ない兵力をさらに割くのは愚行でございます。ここは陣を堅め、
三条軍を迎え撃つべきです」
雅楽は、いきり立つ正信に水を差した。
「おや、雅楽はいつからそんな弱腰になったのだ。それなら館に立てこもっても
同じだったではないか」
もう一人の年寄りがあざ笑うように口を出した。
「もうよい。忠重には何も頼まん」
正信はこんどはすねてみせた。
やれやれ。忠重は、諌めることを諦めた。雅楽の言うとおり、正信に兵を預け
るなど愚策であることは誰もが知っている筈である。しかし、年寄り連中は正信
のご機嫌取りばかりを考え、金太郎ら若い側近の多くは、華々しく戦うことしか
考えていなかった。
敵を前にして何よりも恐いのは、足並みの乱れである。忠重は、もう一度苦い
決断を下さなければならなかった。
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「では、様子を見るだけですよ。交戦してはなりません」
「わかっている」
正信はもはや忠重の声など耳にはいらなかった。ほうびをもらった子どものよ
うに小踊りするばかりであった。
こうなったら、なんとか手柄を立てさせる道を探るしかない。忠重は、気を取
り直した。
「では、雅楽が付いて行け」
「いや、ならん。金太郎でよい」
それでは押えが利かない。忠重は、ぐすぐず言う正信になんとか承伏させた。
雅楽は、忠重に頼み込んで小村を配下に貰い受けた。万一のとき正信の盾になっ
てもらう積もりだったのである。
騎馬五十、鉄砲隊五十、槍隊(雑兵)百を割くことにした。不測の事態を予期
してのことであった。
ところが、正信はおかしなことを言い出した。様子を見にいくだけだから、鉄
砲隊は不要だと言うのである。代わりに騎馬をあと五十増やし百にしろ、と要求
どうやら、新式銃を疑っているらしい。鉄砲などあてにならない、騎馬武者こ
そ戦の主人公だ、という思いがあるからに違いなかった。
忠重は、正信のわがままをそのまま聞いてやった。それが、どんな結果をもた
らすことになるか、神ならぬ忠重は知るよしもなかった。
正信は、二百の将兵を急ぎに急がせ、昼前には石打山のすぐ近くに達した。
放ってあった物見が、三条軍は約五百で、すでに野営地を離れ石打山を背にし
たところで小休止をとっている、と知らせてきた。
明らかに、天保山に向かっていた。
「残りの千五百はどこだ」
雅楽の心配は当然であった。物見の報告では、近くにはそれらしき軍勢は見あ
たらないという。
正信は何を思い付いたのか、
「石打山を迂回しなんとか三条軍の背後に回れないか」
そんなことを言い出し、いつの間にかもぐり込んでいた金太郎に物見を出させ
た。明らかに、敵と一戦交えるつもりであった。
雅楽は、もはや止めはしなかった。なんとか緒戦で名乗りを上げさせたやりた
い、と考えるようになっていた。
しばらくして、物見の兵が手ごろの場所を見つけたと言って戻ってきた。行っ
てみると、なるほどそこは敵の背後を突くには格好のところであった。崖になっ
ており、その下には雑木林が広がっていた。そして、その先に三条軍がのんびり
くつろいでいる様子が遠望出来た。敵の数はざっと三百、ほとんどが雑兵であっ
た。すぐには動き出す気配は見られなかった。
「金太郎」
「若さま」
金太郎がすかさず応じた。もはや決まったも同然であった。
「若さま。さっそく手の者に、道を捜させましょう」
雅楽が進み出た。
「何をたわけたことを。ここからおりるのだ」
あっ、という顔をしている雅楽を無視して、正信は続けた。
つづく