#903/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 91/ 3/25 16:43 ( 49)
影の棲む館(完結) 青木無常
★内容
冷たく冴えた、すがすがしい朝が秋月家に訪れた。
食卓に並ぶ朝食を囲んで、武彦とゆかりを含む一家は久しぶりの安逸を楽
しんだ。
ゆかりの旺盛な食欲に葉子は忘れていたほがらかな笑顔を取り戻し、武彦
とともに紫煙をくゆらす秀明もまた新しい一日への活力が静かに満ちていく
のを感じていた。
朝食後、洗いものを片付けている千草の鼻歌を傍らに、武彦は中山朋子に
電話をした。
「終わったよ」
「ご苦労さまでした」
短いやりとりの後、かすかなしのび泣きの声が、電話線を通して武彦の耳
に届けられた。
こうしてすべては終わり、そしてまた始まった。
「いつでも寝ぐらに使ってくれ」
一日分の欠勤を取り戻すためにスーツに身を固めて玄関のドアを開いた秀
明は、居間でくつろぐ兄妹に向かって思い出したように言った。
「君たちのために、この家の門はいつでも開かれているよ」
そう言うと、てれ笑いを浮かべて背を向け、力に満ちた足取りで出勤して
いった。
やがて目覚めた街が忙しく動き始めるころ、兄妹を乗せた車はエンジンを
うならせた。
「それじゃあ」
そう言って笑った武彦の顔が、まだ眠たげにあくびを噛みころしているの
を、千草は微笑ましく見守った。
「きっとまた来てくださいね」
助手席から身を乗り出したゆかりの手をしっかりと握りしめて、制服に身
をつつんだ葉子はニッコリと笑った。
少女の輝きが、暖かく溶けようとしている陽ざしに映えていた。
ゆかりも微笑みかえし、そして、曲がり角の向こうに佇む人影に向けて親
指を突き立ててみせた。
葉子を誘う時の台詞や表情を懸命に検討していた曽根淳一が、笑顔でVサ
インを返してよこす。
頼りない笑顔だった。が、時が経てば、それは間違いなく男らしさに満ち
たものとなるだろう。
「誰かいらっしゃるんですか」
ゆかりの微笑んだ方向をいぶかしげにふりかえりつつ、葉子が訊いた。
「いるのよ」快活な声で、ゆかりは答える。「あなたのナイトがね」
ゆかりの送ったウインクの意味もわからず、葉子はただ曖昧にうなずいて
みせた。
肌に、暖かい風が吹いた。
まだ春は遠い。
だが、冬はたしかに、終わりを告げようとしている。
街にあふれ出す人々の顔にも、どこか和やかなものが浮かんでいた。
「じゃあ」
短く言い残して、うす汚れたシトロエンが走り出した。
どこか愛敬のあるその後ろ姿が見えなくなっても、二人は長い間、門の前
に佇んで動こうとはしなかった。
影の棲む館 完