#844/3137 空中分解2
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助言 ハロルド
★内容
二月十三日の夕方、私がスナック菓子を食べながら台所を覗くと妹の真里子
がアルミ鍋を手にしていた。
「何してるの?」私が訊ねた。
「チョコレートの型どりよ」
真里子の手元には、四角や三角、それにハート型の型どり器がおいてあり、
それに暖めて溶かした液状のチョコレートを流し込んであった。私は、その一
つ一つの型を見て言った。
「吉村君に渡す分はどれなの?」
「・・吉村君って?・・・」
妹はとぼけているのだろうか? それとも本当に心にないのだろうか? 私
は追い打ちをかけた。
「この前、家に遊びに来た吉村君よ」
「ああ、あの子ね。・・遊びに来たんじゃないわ。他の子達と一緒に試験前の
勉強をしにきたのよ」
「とにかくその子に渡す分が本命なんでしょ?」
「う、うん。まあ、ね」妹は頬を染めて、うつむきながら言った。その時、勝
手口のドアが開き、長女の真砂子が顔を覗かせた。
「こんにちは。ひさしぶり」
姉は嫁いでおり、姓名を変えて住居も私達とは別にしていたが、実家が近い
ので時々はこうして顔を見せにやってくる。
「わあ、いい匂い。手作りチョコね」姉は台所に上がり込んだ。そして私が訊
ねたのと同じ質問をした。「吉村君に渡す分はどれなの」
「・・吉村君って?・・」真里子は答えた。
「お姉ちゃん。相談があるんだけど・・」居間で真里子が訊ねた。
「何よ」私は言った。
「私のチョコレートを吉村君に直に渡したいんだけど何かいい方法はないかし
ら」
「チョコレートをただ渡すのにいい方法も何もないでしょう」
「私・・やっぱり駄目。渡せないわ」
「でもこの前は、直に渡した方が下駄箱なんかにいれるよりは効果があるって
意気込んでたじゃない」
「面と向かうと恥ずかしくって・・」
「それじゃあ遠くから思い切り投げて渡せば?」
真里子は自分が遠投で包みを投げる姿を一瞬想像し、すぐに打ち消した。
「真面目な話よ!」
「とにかくいつまでも恥ずかしがってないで思い切って渡すのよ」
「そんなに簡単に割り切れるなら今までになんとかしてたわよ」
この恥ずかしがり屋の妹は、普段の日常会話で話す時でさえ、吉村君とだと、
どもったり、訳のわからない事を言ったり、緊張して話せなくなったりしてい
るらしい。だから妹のクラスでは、坂本真里子が吉村高文に片思いだ、という
のは公然の秘密になっていた。
「そんなんじゃいつまでも片思いよ」
「いいわよ、それでも。彼にチョコレートを渡そうとして、何も言えずに恥ず
かしがってるだけで終わって、後で嫌な思いをするよりはマシだもの」
私はうんざりしてきた。<もう充分過ぎるほど嫌な思いをしてるんじゃない
の?>
「それじゃあ誰かに頼んだら?」私は呆れ顔で言った。
「頼むって何を?」
「貴方の代わりにチョコを渡してくれるようによ。誰か橋渡ししてくれる娘を
さがすのよ。直に渡せないんだったら次に効果のある方法がそれよ」
「そうねえ」妹は考え込んだ。「私の事を心配してくれる娘がいるんだけど」
「その娘に言ってみなさいよ」
「でも他の娘に渡させたりしたら、その娘が渡したみたいで、私から贈られた
って事がわからないじゃないの?」
「だったらチョコに手紙でも添えて自分からの贈り物だって事を示せばいいで
しょう!」
私は妹に、このバカな妹に怒鳴った。普段はしっかりしているのにこういう
事だけはおどおどして愚かになるのだ。
「手紙ね。そうね。それじゃあお姉ちゃん、何かいい文章を書いてくれる?」
「何で私があんたの友達に手紙を書かなきゃいけないのよ! 自分が好きにな
ったんだから自分で書けばいいでしょう!」
「だって私、お姉ちゃんと違って手紙とか文章書くの下手だもん」妹は半ベソ
をかきながら言った。
「手紙なんてね、想いがこもってればそれでいいのよ。代筆を頼むなんて誠実
じゃないわよ。それだったらまだ下手な方がよっぽどいいわ」
真里子は黙り込んだが、やがて納得して言った。
「そうね。とにかくやってみる」
2月14日の夜、私は自室でくつろいでいた。母に聞く所によると、真里子
は親友に頼んで、吉村君に手作りチョコと自分で書いた手紙を渡してもらった
らしい。私の助言通りにしたのだ。
<バレンタインデー、か・・>私は思った。私も真里子のように恋に恋する時
期があった。
<そういえば私も真里子みたいに友達に頼んで手紙を渡してもらった事があっ
たっけ>私はその日の事を思い出した。
そして、その思い出が自分を不安にさせた。
<私は妹に対して何か間違った事を助言したのではないだろうか?>
もう何年も前の話だが私がまだ十七才の頃、ある一人の男の子に恋をした。
自分にとって初恋だった。その子は山下という名のクラスメートで、そのクラ
スの級長だった。成績は良く秀才タイプであり、同じ学年の女子からの評判が
良かった。その子に自分を印象づけるには何か行動を起こさなければならない。
その頃の自分も、今の真里子のように姉に相談したものだ。
「何とか気持ちを伝えられないかしら」私は姉の真砂子に言った。
「うーん、そうねえ」姉は考えた。「手紙でも書いて渡せばいいんじゃない?」
わが家の血筋は相談しても平凡な答えしか返ってこないのか特徴だった。そ
れでも一応答は答であり、相談してそれがわかると、その通りだと安心感を得
るのだった。
「でも私、ちゃんと渡せるかしら?」その頃の私は、・・今の妹ほどではない
が・・はにかみ屋だった。
「誰か友達に頼めばいいのよ」姉がまた平凡な答をだした。「自分で渡せる自
信がないんだったらそうすべきよ。ほら、あの娘。中村さんに頼めば? 貴方
の親友でしょ?」
中村というのは中村智恵子といい、その当時一番親しく付き合っていた娘だ
った。親友は大げさだったが、とにかく仲の良い事は確かだった。私は姉の助
言通りにする事にした。そして、その中村智恵子に頼んだ。智恵子は最初考え
込んだがすぐに快くキューピット役を引き受けてくれた。その時私は、「親友
は大げさだが、」などと考えた自分に少し自己嫌悪を感じた。彼女こそ本当の
親友であり、もしこの恋がうまくいったら私は彼女に一生感謝するだろう。い
や、しなければならないだろう。そしてその日の夜、彼に渡すラブレターを書
く為、便箋に取り組んだ。私はありとあらゆる美辞麗句や、凝った言い回しを
考えた。深夜の一時をまわる頃には、愛に満ちた最高のラブレターが出来上が
っていた。そして翌朝、智恵子にそのラブレターを渡し、彼の元へ持って行か
せた。その返事は昼休みに智恵子が聞いてきた。彼女自信の口から聞くまでも
なく私はその表情で悪い結果だとわかった。それでも私は返事を聞く事にした。
ひょっとすると悪い表情なのは彼女のお芝居で、私をがっかりさせた後でい
い結果を知らせ、喜ばせようとする彼女の計略かもしれないと一瞬思った。し
かし返事はノーだった。そんな小説じみた都合の良い話が現実に起こるわけは
ないのだ。その男の子の事は仕方がないと諦めた。しかしその日以来、智恵子
までが自分によそよそしくなっていった。いつもは一緒にしていた登下校が、
最近は一人でする事が多くなった。一番の親友が離れていくので寂しくなった。
そしてある日の放課後、私は智恵子を待つ事にした。通学路の途中で智恵子
を待ち伏せ、そして言ってやるつもりだった。<私が振られたのは貴方のせい
じゃないわよ。私だっていつまでも片思いで悩んでるよりは振られてスッキリ
してるんだから。人の心配してるより自分こそ誰か恋人を見つけなさいよ。こ
の前の借りがあるから今度は私が橋渡しをしてあげるわ>
そして私は智恵子の姿を見た。そして信じられないものを見た。彼女は男子
と一緒に歩いており、楽しそうにおしゃべりを楽しんでいた。最初は遠くにい
たのでその男子の顔はわからなかったが、近づくにつれ、その男の子がことも
あろうに、あの山下である事がわかった。それを見て私は思わず陰に隠れた。
そして考えた。どうして智恵子と山下君が付き合ってるんだろう? 答はす
ぐにわかった。二人は私のラブレターを渡したのがきっかけで付き合い始めた
のだ。それで智恵子がよそよそしくなった理由も納得できた。それならそうと
私に隠さずはっきり言ってくれれば良かったのに。私は振られた事をいつまで
も根に持つような事はしないつもりである。あの山下が智恵子を選んだのなら
それを尊重すべきだろう。その事だけは後で智恵子にはっきり言ってやるつも
りだ。彼女達の会話が聞こえてきた。その話の内容は私が彼に書いたラブレタ
ーの事らしかった。ラブレターに書いた表現に、身に覚えがあったのですぐに
そうだとわかった。私の事を陰で笑っているのだろうかと思って聞いていたが
違っていた。それどころか彼、山下はそのラブレターの事を絶賛しているよう
だった。彼は私自信は評価しなかったが私の書いた手紙は評価した。それで少
し報われたような気がした。
しかしその後続いた会話は私を強く打ちのめした。
山下は智恵子に言った。「あの手紙には凄くじんとくるものがあったなあ。
君には凄い文才があるんだね」
私はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
その日、私が家に帰ると姉が待っていた。
「お帰り」
私はそれを無視した。
「どうしたの? 学校で何かあったの?」
私は姉を鋭く睨み、そして言った。「もう私の事はほっといて!」
その後、しばらく姉と口を聞く事はなかった。
三月十四日の夕方、私はしばらくその事だけを考えていた。あの時の私は激
しく傷つき、その日、一日で初恋の相手と親友を同時に失った。その絶望感に
打ちのめされたものだった。その時は、私を裏切った親友どころかそういうア
ドバイスをした姉までも恨んだものだった。その後、姉との不仲が続き、家に
一緒にいてもすれ違う日々が続いた。姉が結婚して家を出ていった形でそれは
決着した。しかしそれは遠い過去の出来事であり、今となってはほろ苦い思い
出となっている。姉とはその後和解し、今は仲良くやっている。問題は、私に
とっては過去の事でも今の真里子に取ってはこれから現実に起こる事かもしれ
ないという事だ。私は真里子の恋愛に関しては無関係を装いたかったがもう手
遅れだった。私は恋の悩みの事で妹にアドバイスするべきではなかった。例え
私が悪くなくとも妹は私の助言通りに行動したせいで彼氏に振られ、そしてそ
の事で私を責めるかもしれない。私はまだ真里子が振られた訳ではない、そし
て例え振られたとしても妹は・・私と違って・・姉を責めたりするような娘じ
ゃない、と納得しようとしたが、思いは悪い方へ悪い方へと傾いて行く。時に
は、私の時と同じように真里子の親友が卑劣な手段を用いて真里子の恋路を邪
魔するかもしれない、と思ったりもした。大体に置いて学生時代の初恋などと
いうものは・・わずかな例外を除いて・・成就しないというのが世の常なのだ。
そこにはさまざまな嫉妬や妨害、すれ違いや誤解が付き物である。そして・・
私がいろいろ考えていると、玄関の戸が開く音がした。
「ただいま」真里子が帰ってきた。
「お帰り」母が言った。「今日はホワイトデーでしょう?」
私は慌てて他に話をそらそうとした。「ねえねえ母さん。お向かいの岩田さ
んのところの犬の話だけどねえ・・」
真里子が話を遮るように言った。「そうよ。今日はホワイトデーよ」
「それでどうだったの? 吉村君からの返事は?」母が訊ねた。私は聞くに耐
えれなかった。真里子はしばらく沈黙を保った。その表情は苦しさにまみれて
いた。私にはその理由がわかった。
私は真里子が口をきく前に、真里子を慰め、励まそうと試みた。「ねえ、真
里子。若い内にはいろいろあるわよ。でも・・」
真里子はそのままうつ向くとワナワナと震えだした。私はもう言葉を出す事
も出来なかった。
「・・真里子・・」
急に真里子が顔を上げて、笑いながら言った。「なーんちゃって! バッチ
グーよ!」
母は最初、その言葉の意味を理解するのに一瞬戸惑った。私は言った。「う
まくいったの?」
「今日、吉村君が私にクッキーの包みを渡してくれたの。お姉さんが作ってく
れたんだって。今度の終業式が終わった後で映画を見に行く約束までしちゃっ
た。友子には・・その娘がチョコを渡してくれたんだけど・・その娘には一生
感謝しちゃうわ」
私は今まで自分が抱いていた取り越し苦労が拭い去られるのを感じた。歴史
は繰り返されなかったのだ。
「よかったじゃない」
「でも彼ったらひどいのよ」真里子はふくれっ面になっていた。「チョコに添
えた手紙、私が書いたあの手紙、あれはひどかったなんて言うのよ。字は子供
っぽい丸文字だし、内容は文法的に目茶苦茶で、表現もクサいし誤字も多いで
すって。あれだけはなかった方が良かったなんていうのよ。失礼しちゃう」
私は少し真里子の橋渡し役の友人の事を考えた。
「だからうまくいったのかもしれないわね」私は不思議そうな表情をしている
妹に言った。
(了)