#720/3137 空中分解2
★タイトル (UYD ) 90/12/22 13:59 (106)
1礼文島について KEKE
★内容
礼文島にはつごう3度ほど行ったはずである。
最初に行ったのは、私がまだ10代の終りころのことだった。
そのころ私は大学を中途でやめ、アルバイトしては旅をするという
ことを繰り返していた時期だった。
旅人の習性として、はじっこの方へ行きたいということがあって
北海道に旅だったのだ。
札幌をへて稚内まできてみると、礼文島行と利尻島行の連絡船が
待っていた。礼文島行の船に乗ったのは、さして深い理由が
あったわけではない。
ただ何となく乗ったのである。
これを後から考えると、人生の分岐点のひとつだったのだなと
分かる。礼文島ではなく利尻島への船に乗っていたら、人生の
コースがかなり変ったはずである。
礼文島の主要な港である香深港に船が着くと、桟橋では民宿や
旅館のおかみさんや従業員たちが手に手に歓迎の旗を持って
待ち受けていた。
盛んな客ひきの嵐をくぐり抜けて、香深ユースホステルの車に
乗り込んだ。
稚内から電話で予約しておいたのだ。
香深ユースホステルは赤いとんがり屋根の建物だった。
私はここに2週間いた。
最初の1週間はほとんど口もきかず、ただ黙々と飯をくい
香深の町を歩きまわった。
宿泊客たちと口をきくようになったのは、ようやく1週間が
過ぎてからだったような気がする。
時期は6月のはじめころであり、北海道はまだ観光シーズンの
前で、客といっても数えるほどしかいなかった。
シーズン中はひとつの所に1泊か2泊しかせず、北海道中を
かけ巡るタイプの旅人が多いのだが、この時期に旅している
ものはどっしり腰をすえてひとつところに居座っている旅人
が多かった。
ユースでは何日も泊まっていくとことを連泊というが、この
香深ユースでは、とくに連泊するものが多かった。
ひとつには、先ほど書いたように時期的なものもあるだろうし、
また島ということもあって、ちょっと天候が悪くなると船が
でなくなるということもあり、いやおうなしに連泊になって
しまうということもあった。
そんなわけで、顔見知りが多くなり、だんだん口をきいていく
ようになっていった。
なかでもKさんとはもっとも仲がよくなった。
当時10代の私から見て、Kさんはずいぶん大人にみえたが、
いまから思うとせいぜい30歳くらいだったのではないか。
会社から2週間の長期休暇をもらって北海道を旅しているのだと
いう。
そのほかゴンちゃんという、私とおなじく職もなくぶらぶらして
いる青年やかんぺーという大学生など、4人がどこに行くにも
つるんで行くという感じの仲になった。
ひとりが今日島を出るというと、皆して止めるのである。
「船はもうでた」
とか
「波が荒いから今日は欠航だ」
「荷物がない。盗まれた。」
とかあらゆる手段を労して引き留めるのである。
最後にはみなでよってたかって押えつけ、船が出るのを待つ
なんてこともやった。
こういうことが順繰りにくりかえされ、とうとうだれも島を出れず
1週間が過ぎた。
とうとうKさんが、「このままだと欠勤になってしまう」と悲鳴を
あげて、この繰り返しに休止符が打たれた。
話し合いの結果、みなで一緒に島を出て行くことになった。
稚内に渡った我々は、市内の居酒屋で解散式をおこなうことになった。
まだ未成年だった私もビールで乾杯した。
この頃はまだ自分が酒に極度に弱い体質であることにもきがついて
いなかった。
1杯で胃がおかしい感じになり、2杯で気分が悪くなり、3杯目で
吐いた。
「3ヶ月後に島でまた合わない」
と誰かが言い出し、ただちに賛成の声がかかった。
「また合おうよ」
3ヶ月後、私はまた礼文島に行った。
だれも来ていなかった。
1週間がたった。
だれも来ない。
裏切られたとまでの気持ちはなかったが、なんだか淋しかった。
「酒の上の約束なんてこんなもんさ」
と私はつぶやいた。
このあと私はもう一度礼文島に渡ることになる。
そこで美貌の女性に合って、人生がややこしくなるのだが、それは
また別の話しだ。
最初の礼文島の出会いがあまりに楽しかったので、私のなかで礼文島
は特別の位置をしめている。
ここ10年ほど行ってないが、近々また行ってみようと思っている。