AWC ラインに死す(1)  YASU


        
#641/3137 空中分解2
★タイトル (UTJ     )  90/ 9/21   0:10  (142)
ラインに死す(1)  YASU
★内容
                                (1)
 ライン下りの観光船は甲板に大勢の人を乗せて、ゆっくり河を下っていく。両側から
せまってくる山のふもとは、だいぶん色付きだしたぶどう畑がどこまでも続いている。
 私は混み合っている甲板を避けて、レストランへの通路になっている船べりに立って
両岸の町や行き交う大小さまざまの船を眺めていた。
 観光船はマインツから出ているがビンゲンから乗るほうが駅から近くで便利である、
とガイドブックに書いてあったのでそれに従った。
 フランクフルトからは急行でちょうど一時間でビンゲンに着いた。
 なるほど駅に降り立って「観光船乗場」の標示のとおりにものの十分も歩くと、駐車
場とチケット売り場の小さな建物が見えてきた。
 ビンゲンで降りたのは私のほかに、日本人とおぼしい若い女性のお二人さんだけだっ
た。彼女たちは私のほうをちらりと見たが、にこりともせずに手に持った地図を広げて
何か言いながら、私の前を歩いていった。
 時刻表では十一時ごろに船はビンゲンに着くことになっていたが、どうせ時間どおり
には来ないだろうと思っていたら、予想外にきちんとその巨体を現した。
 すでに三、四十人の観光客が船着き場に並んで立っていた。
 いろいろな言葉が入り交じっている。
 ドイツ語は少なくて、英語とフランス語が主に耳にはいってくる。イタリア語らしい
言葉も聞こえるが、あとは区別がつかない。
 我々も日本語で賑やかにやろうじゃないか、とさっきの二人連れを目で探したが、背
の高いガイジン(もっともここではこちらがガイジンなのだが)のあいだに隠れてしま
って姿が見えない。
 ジーパンに黄色とピンクのダウンジャケットは目立つはずだが、とあたりを見回して
いると、いつのまにか列の真ん中にまではいって、二人でたがいに耳打ちするようにし
て話している。
 船の動きものんびりしていれば、着岸してから乗船するまでもゆっくりしたものだっ
た。
 イタリア人と思われる五、六人のグループが、甲板に立ってこちらを見下ろしてる人
間に何か歓声を上げると、むこうもそれに応えて冗談を投げ返してきた。知り合いなの
か、単なる同邦人にすぎないのか分からないが、察するところ後の方らしい。とにかく
陽気な連中だった。
 船に乗り込んだころから、それまで薄曇りだった空が青く晴れ渡ってきた。 九月の
ドイツはもう暑くない。
 雨が降る日はうすら寒くさえ感じられた。
 前の晩に泊まったフランクフルトのホテルの窓から、夜になって道路が雨に濡れてい
るのが見えたので、今日の天気を危ぶんでいたが、ライン下りには絶好の日和となった
。
 今度の旅行は観光旅行ではなかった。
 西ドイツのヴュルツブルグで国際学会があり、それに参加してこないかと主任教授に
言われたとき、正直言ってあまり乗り気になれなかった。国立大学の助手の身分では、
海外の学会の出張費は大半が自分持ちで、そのうえ国家公務員の身分に縛られて、事前
に出した旅行計画書のとおりに旅行しないといけない建前になっている。不自由この上
ない旅行なのだ。
 もっとも建前は建前にすぎないから、誰も計画書のとおりに旅行する者はいないが、
それでも窮屈な旅行にはちがいない。
 その学会に行くはずだった講師が病気になっていけなくなったので、お鉢がこちらに
まわってきたのだ。
 一か月後にせまった学会のために、私は苦心惨憺してできるだけ格安の航空券を捜し
、ホテルの予約もしないまま西ドイツにやってきた。
 学会は退屈だった。
 自分の興味のある発表を三つほど聞くと、もう後はすることがなかった。
 結局最後の日はサボってフランクフルトまで帰ってきた。そしてふとライン下りをし
てみる気になったのだ。
                                (2)
 船内レストランの入り口の向かいにベンチが置いてあって、そこに座っている女性に
私は目がとまった。どうも日本人らしいのだが、サングラスをかけ、この季節には不似
合いなクリーム色のコートの襟を立てて、ぼんやりと流れていく景色を見ている。
 旅行者のようでもないが、しかし女ひとりがライン下りの観光船に乗っているのも解
せない。
「すみません、隣に座ってもいいですか」
 彼女は私の方をしばらく見ていたが、
「どうぞ」と、すげない口調で言った。
 私は黙って座った。
 すぐ近くを資材を何も積んでいない貨物船がのぼっていく。
 つづいて今度は、自家用車を満載にしたすこぶる細長い船が現れる。
「やっぱり、この辺りはドイツの工業地帯なのですね」
 私は何かを言わなければならない気になって、その船に乗っているトルコ人らしい労
働者の一団を見ながら話し掛けた。
「ええ、そうですわね」
 その口ぶりには明らかに迷惑げな気持ちがあった。
 こちらはかえって、見合いをしてその場で断られた者のような気軽さが手伝って、
「一人旅なのですか」と、なおもたたみかけて尋ねる。
 彼女は答えなかった。
「すみません、でも、私も一人なもので、それに四、五日日本語で話す人が誰もいなか
ったので、つい懐かしくなって話しかけてしまいました」
 彼女の方を見ると、ちょっとほほが笑ったようにみえた。
「おかしいですね、日本にいたら一週間ぐらいほとんど誰とも口をきかないですごすこ
ともあるのに、外国へきたら、無性に誰かと日本語で話したくなるなんて」
「そうですの?私はもう一月近くこちらへ来ていますけど、それに話す人なんて誰もい
ませんが、なんとも感じませんけど」
 女は初めて私の顔を見ながらそう言った。今度は言葉とは違って、突き放すような口
調ではなかった。
「男はかえってだめですよ、外国へ来るとすぐホームシックになったりするんですから
。その点女の人は海外へ出ると生き生きするみたいですね。やっぱり日本でよりも大事
にされるからでしょうかね」
 また彼女は口もとでかすかに笑っただけで、何も答えなかった。
「こちらへは観光ですか」
たぶんこれも無視されると思っていたら
「ええ、まあ」という返事が返ってきた。
 それ以上は話しは進展しそうになかったから、私は甲板に行ってみようかな、と言っ
て席を立った。
 甲板に出る階段を上がりながらもう一度彼女の方を見たら、コートの襟をかきあわせ
るようにしてぼんやり目を対岸の方に向けていた。とても観光客にはみえなかった。た
ぶん夫がこちらで住んでいて、いっしょに付いて来ているのだろうと思った。それにし
てもライン下りの観光船に乗りながら、まるでつまらぬ忍びの旅行をしているような様
子はどうしたことだろう。
 甲板にはあちこちに無造作にデッキチェアが置いてあり、座っている人もいれば、舷
側のてすりにもたれて立っている人もいる。さっきのイタリア人たちは集まって、ギタ
ーに合わせて歌を歌っている。
 丘の中腹に古い城が見える。ガイドブックをみればそれが何という城か分かるのだが
、デッキチェアに深々ともたれて薄日の差す空を見ていると、そんなことはどうでもよ
い気がしてくる。
 このあたりは中世の城がつぎつぎと現れる。
 バハラッハから日本人のツアー観光客が大勢乗り込んできた。かれらは我先にと甲板
へ上がってきて、忙しくあちら側へ行ったりこちら側へ来たり、ガイドブックを見ては
あれが何とか、もう少し行けば右側にローレライが見えるはずとか話していた。
 気が付くとビンゲンの乗り場にいた二人の女性が、舳先近くのデッキチェアに座って
いた。二人はさも旅馴れているといったようすでくつろいでいた。
 やがて、あれよ、あれよ、という歓声のような声にそちらを見る。ローレライが見え
てきたようだった。
 ここまで来た限りは、自分もかの有名なローレライを見なければと立ち上がる。
 そのとき船内に音楽が流れ始めた。聞きなれたメロデイーがかえってこの場にそぐわ
なく感じられるから不思議だ。日本人グループの中から「なじかは知らねど心わびて・
・・」と歌声が起こった。
 ローレライ自体は何の変哲もない岩場だった。岩にペンキでLORELEYと書いて
あるのも興ざめだった。
「実際に見てしまえば、何ということもありませんわね」
 すぐ横で声がするので振り返ったら、さっきレストランの前で話しかけた女性が立っ
ていた。
「ああ、あなたも来ていたのですか」
「ええ、せめてローレライくらいはしっかり見ておこうかと思って。でもがっかりしま
したわ」
「そうですね、あんなざらざらな岩肌じゃ、妖精なんか座っていられそうにないですね
」
「ええ、一日座ったら、妖精の衣が鈎裂きだらけになってしまいそう」
「ほんとうに船乗りたちは、妖精の歌を聞いたのでしょうかね。そして波間に引き込ま
れてしまったのでしょうか」
「たぶん聞いたのでしょう」
「どうしてそう思うのです」
「昔から人間は声に騙されてきたでしょう。他人の声にもだけど、自分の声にも」
 はあ、とあいまいに答えて彼女の方を見ると、いつのまにか彼女はサングラスをはず
していた。思っていたより年が行っていた。三十歳は過ぎていよう。やややせぎすだが
、端正な鼻と切れ長の目だった。
「女の一人旅で、おかしいと思っているのでしょう」
「ええ、まあ」
「昼食、まだなんでしょう。よかったらレストランでいっしょにいかが」
「そうですね。でもどちらまで行くつもりですか」
「決めてないの。終着地はどこなのかしら」
「デュッセルドルフです」
「そう。気が向いたところで降りるわ」
「いいですね、気ままな旅行で」
 そうね、と気のない返事をして彼女は歩きだした。




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