#1850/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (YWE ) 89/10/ 4 10:25 ( 26)
ディア・フレンズ
★内容
彼女のオムレツの作り方には、ちょっと変わったところがあった。まず、大
きな使い込んだフライパンに、無塩バターをひとかたまり溶かす。
「だって、ミルクって絞りたては甘いのよ。ミルクから作るものがしょっぱい
なんておかしいわ」と、僕の顎のあたりを見ながら彼女は言った。彼女の家は、
北海道で何十頭も牛を飼っている大きな牧場だった。山の上にあって、見おろ
すと遠くに街の灯が光っている、そんな場所だったと言う。
人の顎のあたりを見ながら話すのが彼女の癖で、顎を見れば、その人間が何
を考えているかたいていわかる、と彼女は主張する。
割って黄身がピンと立つような新鮮な卵を二個ボウルでとく。ミルクをちょ
っと足してかき回す。その頃には、もうフライパンのバターから、かすかに湯
気が立っているはずだ。
卵を全部フライパンに注ぎ、コショウを軽くふる。秋の雲のようなかたまり
がいくつか出来たら、手早くかき回して均一にする。上まで焼けてこないうち
に、フライ返しで半分に折る。手首のスナップをきかせてひっくり返す。これ
が彼女はとても上手だった。以上、おわり。
つまり、塩をかけないのだ。塩は、必ず皿にもってからかける。
そんなオムレツの朝食を、何回僕たちは食べただろう。ある時、なんで焼い
「十一歳の時、お父さんが女の人と家出したの。牧場の牛が病気で死んで、土
地も家も全部売ったわ。引っ越す最後の日に、お母さんがオムレツを作ってく
らぽたぽた涙がフライパンの中に落ちていたわ。しょっぱいオムレツだった。
だから、オムレツには、フライパンの中にいるときだけは、塩を入れたくない
ぼくは、よく分かる、と顎をなぜながら言った。それから少しして、彼女は、
電車の窓から「じゃあ」と言って走り去った。その後彼女には、会っていない。
突然涙があふれてきた。その光景が、彼女の言った北海道の山の上の牧場のよ
無数の光の点は、地上に舞い降りた銀河のように見えた。
久しぶりに流した涙は、干し草のような味がした。