#1577/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (XMF ) 89/ 5/28 8:12 ( 99)
「ヤドカリ日記」 コスモパンダ
★内容
「ヤドカリ日記」
作 コスモパンダ
「出てけ! この恩知らず! 二度と来るな」
ぐわしゃん、ぐわらぐわら、ぱりん、ぐわんぐわんぐらんぐらん………。
茶碗や湯飲み、やかんが開け放たれたドアを通り抜け、廊下に飛び出した。
よく言われる「喧嘩の時、女は投げる物を考えて投げる」というのは嘘だ。いざこ
とに及んで、それほど沈着冷静な女には逢ったことがない。華奢な品物が床に落ちる
と粉々に砕け散った。
俺は、キャンパス地のバッグを一つ、肩に担ぐと廊下を歩き出した。
幾つかドアが開き、興味本位の抜けた面が物珍しそうに、俺の顔を見つめていた。
頭にカールを付けたままのオバタリアン、パック中の脳味噌の無い若い女、ぼさぼ
さ頭の青びょうたんの浪人生、暇を持て余している歯の無い糞ばばあ。鼻水を垂らし
た小憎らしい餓鬼。
ここは化け物屋敷だったようだ。
俺はサングラスの奥から、ドアの前を通り過ぎる度に、一人一人そいつらの顔を覗
いては、にやっと歯を剥き出してやった。
ぱたん、ぱたんと、面白いようにドアは次々に閉じられた。
とんとんとんと、アパートの外の鉄製階段を下りる。
空を仰ぐと、青空が広がっていた。日はまだそんなに高くない。
裏通りを歩く。途中で、犬を連れた御隠居の龍吉さんに逢った。
「お出かけかね」
「ああ、暫く留守にするよ」
年老いた芝犬は、道に座り込むと、大きな欠伸をした。
「ふぉっふぉふぉ…………。真理とまたやったのかい」
「真理でなくとも、やってるさ。元気なもんさ」
「あっちの方じゃない。追い出し食らったんだろ? 派手な音がしてた」
俺が頭を撫でてやっても、芝犬は後ろ足で首を掻いて知らん振りだった。
「あんなオカメブスはもう沢山さ。戻るつもりはない」
「そうかい、顔と『なに』は正反対と言う。結構いい女だと思うがな」
「じゃあ、あんたにやるさ」
「ふぉっふぉっ。わしゃ、もう隠居してる。ふぉっふぉふぉ…………」
芝犬に引っ張られた歯の無い御隠居の高笑いが、路地に消えていった。
表通りに出る。パチンコ屋はもう開いていた。自動ドアを抜けて中に入る。
ちん・じゃらじゃら・ひゅいひゅいひゅいひゅい・じゃらじゃらじゃら……。
俺は、入口近くの台に座ろうとした。
「おいおい、ノブ。それゃないぜ。そこは、トウシロの台じゃないか。あんたにそん
な台で遊ばれたんじゃ。あがったりだ」
インテリだ。白いダボシャツに、黒の蝶ネクタイ。黒のズボンに、黒のエナメルの
靴。どっから見ても、トレンディじゃない。
「日本は民主国だ。行動の自由が保証されてるんじゃないのか」
「最低限の生活レベルを維持する権利は、俺にだってあるんだ。政府は弱者救済の生
活保証はしてくれない。だから、ノブ。俺の飯の種を取らないでくれよ。なあ、今日
んとこはこれで引き上げてくれ」
大学出のパチンコ屋店主は、俺のブルゾンのポケットに何かをねじ込んだ。それを
取り出してみると、くしゃくしゃに丸めた万札だった。
「悪いな。それだけしか出せなくて」
口を開こうとした俺の背中をポンポンと叩いて、奴は俺を店から追い出した。
にこやかに手を振るインテリに、俺は肩を竦めて見せた。
最近、俺はこの界隈ではパチンコをしたことがなかった。
腹がぐーっと鳴った。俺はブルゾンの中の万札を握り締めた。
しかし、結局俺の貧乏症は、商店街の裏の安い大衆食堂に、俺を連れて行った。
「ノブさん。浮かない顔してるじゃないかい。女に逃げられたのかい」
「女を振ったんだ」
「おや、そうかい。じゃあ、あたしなんざ、どう? まだまだピチピチしてるよ」
ぶくぶくに膨れた食堂のおばはんが、片目をつむってウインクした。
食欲がいっぺんに後退していった。
「おやっ? もう出てくのかい。何か食べてきなよ」
俺は、汚いのれんをくぐって再び路地に出た。
「あらーっ、ノブさん。どうしたの、こんな所で……」
「お前に関係ないだろ」
「おやまあ、愛想なしね。ねえ、奢ったげるから、今夜どう?」
俺は、相手の頭から足の先まで、じーと眺めた。
茶色の髪の毛で、スッピンだった。真っ赤なワンピースに黒のレースのカーディガ
ンを羽織っている。黒のストッキングに、白いパンプス。
胸は薄いが、ウエストが蜂のように括れて腰は張っている。抱き心地はいいかも知
れない。まだ若いのに、厚化粧のせいで、肌が荒れていた。典型的な夜の女だ。
「どういう風の吹き回しだ、明美」
「へっへっへっ。あいつが、しょっぴかれたの。当分出て来ないんだ。『取立て』で、
やり過ぎたのよ。馬鹿な奴。あー、せいせいした。だ・か・ら・」
女なんて、どいつもこいつも、似たようなもんだ……。
俺が、でかい三百グラムのサーロインを難無く平らげるのを、明美は目を丸くして
見ていた。頬杖をついて見ているその姿は、可愛い子猫ちゃんと言ってもいい。
レストランを出た。腰に手を回すと、明美は身体を擦り寄せ、鼻を鳴らした。
まだまだ、楽しいことをやるには、日が高い。俺は、明美の尻をポンと叩いたが、
明美は潤んだ瞳で俺を見上げていた。
「おい、ノブ!」
ドスの効いた声が俺を呼び止めた。明美の身体が一瞬で固くなるのが分かった。
「あっ、あんた!」
後ろを振り返った明美が、甲高い声を上げた。
「明美、どういうことだ。お前という奴は……」
明美は腰に回した俺の手を振りほどき、そいつに向かって走った。
「あんた、違うんだよ。ノブさんが、しつこくってさ。あたし、何とか逃げようとし
てたんだ。良かったよ。あんたが帰ってきてくれ……あっ!」
物凄い形相の浩二が、言い寄る明美の頬を平手で殴った。明美は路上にぶっ飛んだ。
「この泥棒野郎! 人のバシタ取るな!」
あとは言うまでもない。俺と浩二は、路地の板塀を数メートル、塵箱を一つ、立て
看板幾つかを、仲良く壊しあった。
「お前も懲りない奴だな。いい加減、ここに来るの、止めたらどうだ? ええっ?」
仲良しの警官が俺に話し掛けたが、口の中を切っていたので、返事もできない。
「あんたーっ。良かった。大丈夫かい。心配したんよぅ。本当に馬鹿なんだからぁ。
あたしの言ったこと、本気にして出てくんだもん」
迎えにきた真理が、俺に抱きついた。
道行く間中、真理はペラペラとくだらないことを口走っていた。
食堂のおばはんが、のれんから顔を出し、ほうきで掃くインテリがニヤッとした。
庭木の手入れをしていた龍吉さんは、絆創膏だらけの俺を見て吹き出した。
アパートでは、化け物達が勢ぞろいで俺を迎えていた。
足を止めて空を振り仰ぐと、夕焼けで真っ赤だった。
どうやら、今夜は屋根の下で眠れそうだと、俺は胸を撫で下ろした。