AWC 敗北の情景 [1] バベッティー


        
#1539/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (PKJ     )  89/ 4/23  12:26  ( 96)
敗北の情景  [1]               バベッティー
★内容

            第一編  息絶え絶えに、喜んで

  月日の流れゆくは早いもの、あれからもう六年、いや七年が経ったで
あろうか。あの頃私が六十四歳、あなたがそう−−二十二歳。裏庭に林
立する青竹の如く、はっ、はっ、と伸びて行き、おお、あなたも立派に
成長した様だ。心広き私ゆえ、出会い頭にいきなり殴りつける等という
事はせず、優しく微笑もて迎えた。それなのに、問答無用と言わんばか
り、すらりと抜いた太刀一閃、昔の恨みを今、今と言い放ったその瞬間、
私の右腕、確かに二の腕から切り落とされて、返り血で紅に染まったあ
なたの身体、わなわなと震えている。
  思えばこれも、全て私に問題が。七年前、罪を犯したその報いが、今、
やっと得られたのでございます。あの時の事、忘れられる筈もありませ
ぬ、妙に寝つかれない秋の夜長、ふと目を開き、何の気なしに見た窓硝
子、白く若い顔がひとつ、闇の中に浮かび、あっと思ったその時消えた。
戦戦恐恐、背中に冷や汗かきながら、兵古帯巻いて、わきざし取って、
つつと立って玄関出でて、辺り見回せばかすかな物音、やあ縁側だと勘
付いて、ぐるり回って縁側出れば、おお、黒い着物着た青年一人、あれ
があなただったのですね。
  あの頃わたし、ひどい不眠症でして、いや、今もですが、それゆえや
たら、神経が昂っておったのでございます。あなた突然、庭石の上にひ
ざまずき、旦那、赦しておくんなせえ、つい、つい出来心のままに、本
当です、赦しておくんなせえ、借金返せないのです、小判二枚、それだ
けでいいのです、どうか、見逃してくだせえ、いや、まだ何も盗っちゃ
あいません等と言い訳はじめた。けれどもその声私の耳には一向入らず、
ただただ安眠妨害の怒り、おのれ、我は眠れず苦しんでおるというのに、
何たる策略、不眠の苦しさ貴様知らぬか、ええい、思い知らせて呉れる、
とばかりにわきざし抜いて、あなたの目元狙ってぐさりとやった。悲鳴
あげながら狭き庭のたうち回るその姿は、さながら射倒された黒鱗の龍
蛇の様でございました。私そのうち、自らの行為の重大さに気づき、恥
ずかしながら、その場に卒倒してしまいました。消え行く意識の中、か
すかに聞いたあなたの逃走の足音、おぼろげながらも、右に左によろめ
きながら行く様、この耳で感じ取りました。
  ああ、あれからもうはや七年目、とうとう懲罰をいただく事が出来た。
ようやくこれで、今夜から枕を高くして寝られるというものでございま
す。ああ、しかし。右腕の出血かなりひどく、もう私、これまでかと存
じます。
  心は、いつも、義理一途。さわやかな初冬の風が、浅黒い老人の頬を
撫で、みるみるうちにその肉体を冷ややかにしてゆく。青年、やがて刀
を収めて歩き出し、眉間の古傷を指でなぞりつつ思う。あの男、生きて
おれば佳き師となったかもしれぬ。

            第二編  主よ、われこそあなたの寵児なり

  私は或る荒廃した高等学校の生徒であった。そこでは、理性が通用し
ない。そのため、次の様な事件が起ころうとも、何ら不思議はないので
ある。

  教室に入ってから気がついた。半紙がない。書道の授業である。買っ
ておくつもりが、すっかり忘れていた。これから買いに出ようにも、も
う時間がない。教師の足音が、廊下を伝わって響いてくる。ああ、いけ
ない。
  ふと前の席を見れば、高級半紙一束。この際誰のものでもよい。そっ
と腕を伸ばして数枚抜き取る。後で事情を説明すれば、所有者もわかっ
てくれるであろう、と、我ながら何という卑劣な考えだろう。
  何事もなかった様に教師を迎え、やがて授業に入る。黒板の手本は、
「世界平和」いい加減陳腐な言葉である。それでもやはり、手本は手
本。一枚二枚と書きしたためてゆくうち、時間は過ぎ、授業は終わった。
  さて帰ろうかと席を立った途端、
  「ちょっと待て」後ろから声を掛ける者がある。「盗んだな。あれは
俺のものだ。どういう考えであんな事をした!」
  振り返れば、同級生のSである。普段物静かな男なのに、案外激しい
口調だったので、私は少しどきりとした。けれども軽薄なふりをして、
  「いや、数枚拝借したまでさ。深い意味はないって。時間がなかった
んだよ。今度必ず返そう」
  「ふざけるな!」いよいよ憤怒の様相である。「俺はおまえなんかに
貸した覚えはない!」
  「いいじゃないか。ほんの二、三枚だ」
  「なんだと?  馬鹿野郎、おめえは前からだらしない奴だと思ってい
た!」声が大きくなり、周囲にだんだん人だかりが出来た。皆の居る前
で、ここまで言われては、もはやこちらも引き下がれない。
  「文句があるなら、きいてやろうじゃないか。明日の朝、早い時間に
教室へ来い。そこで勝負をつけてやらあ」ああ、馬鹿な事を言った。
  「よし」彼のその一言は、いかにも自信ありげであった。

  翌朝Sは、すでに教室へ来ていた。片隅の机に、どっしりと腰をおろ
し、こちらを静かに見据えていた。
  「外へ出ろ」私は言ってから後悔した。あやまればすむ事なのに。笑
いながら優しく謝罪すれば、簡単に和解出来ただろうに。
  しかし、彼は動かない。何も喋らず、ただ座っている。そうして見つ
めあっているうち、だんだん恐怖心が湧いてきて、体がわなわな震えは
じめた。これはいけない。
  もうどうでもよいという気持ちで、Sの目前に仁王立ちに立って、
  「外へ出ろというのが聞こえないか」右でうちのめした。拳は確かに
Sの頬に命中し、彼は座った姿勢のまま、後ろへ反り返った。さいさき
よいぞ。
  続けてもう一発、と出した右手を、さっと見事に振り払い、彼はその
まま立ち上がって、抵抗をはじめた。私が何とかしようと右の腿を横か
ら蹴りあげれば、彼はいよいよ怒り狂い、危ないと思った次の瞬間、目
頭が熱くなり、前が見えなくなった。更に一撃。それからあとは、さな
がら地獄であった。一発殴られては後ろへよろめき、一発蹴られては前
へつんのめった。蹴るなんて、卑怯じゃないか。何、自分がはじめに蹴
ったのである。
  やがて気が遠くなりかけたころ、私刑は終わった。
  右の頬を打たれたら−−  自分は、キリストの教えを死守した。否、
ただの阿呆である。




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