AWC 『母と子と精霊のために』 本多


        
#785/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (WYF     )  88/ 2/18   0: 8  ( 71)
『母と子と精霊のために』 本多
★内容

悲しげな太鼓の音で目を覚ました。バルコニーへの硝子の嵌込まれた扉は
開け放たれていた。レースのカーテンが風に揺れている。
初夏の陽が部屋中に満ち溢れていた。ナイトテーブルの時計はもうすぐ11時に
なることを示している。グラスに残っていたコーラを飲んだ。
温まっていて、砂糖水のように甘かった。くしゃくしゃになったパッケージから
捩れている煙草を1本取り出して銜えた。葉っぱが口の中に落ちて来る。
無造作に吐き出してから火を付けた。紫煙が光の中を登って行く。

2階のこの部屋からは、街路樹の梢が見えるだけだったが、通りを行く人々の
惹起するざわめきが、平常ではない空気を街に広げていた。

まだ、ベッドから出たくはなかった。
バスルームのドアが開いて、F.Aがベッドに近づいて来る。
「お目覚めね」「ご機嫌は如何?」
彼女は、もうすっかり身支度を整えている。麻のゆったりと裁断されたサマースーツを
着ている。少し開け気味の胸元から白い肌が輝いている。
ドアがノックされた。ボーイが朝食を運んで来た。F.Aが誂えたのだろう。
ボーイはベッドテーブルをセットすると出ていった。
F.Aは「いいタイミングだったわ」と言いながら私の頬にキスをした。

テーブルを、上半身起こした私の手元に引き寄せ、F.Aはベッドに腰を降ろし、
珈琲をカップに半分だけ注ぎ、温められたミルクで割って、砂糖を少しだけ入れる。
朝刊を傍らの椅子から取ると、私に手渡す。
新聞は開かれてはおらず、明け方に部屋に差し込まれたままだった。
いつもそうなのだが、F.Aは決して私よりも先に新聞を読もうとはしなかった。
しかし、F.Aは朝食を食べにダイニングに行った時に、朝刊を読んでいる筈だった

私は、煙草をF.Aの手によってテーブルの上に置きなおされた灰皿で消して、朝刊
眼を走らせる。F.Aは、トーストにバターを塗っている。こんな時F.Aは決し
自分からは話し掛けて来ない。給仕をしながら私が話し始めるのを待っている。

私は、カフェオレを飲みながら新聞を読む。F.Aは、自分にも珈琲を注ぎブラック
飲む。珈琲を飲みながら私を見ている。新聞を読み終えて、私はF.Aが私のために
誂えた2枚のトーストと鴨のパテ、無花果を食べる。

「さっき下の通りを、何かの行列が通ったようだったけれど」
「ええ、あれはデモ隊と警察の衝突で殺された青年の、葬列だったようよ」
F.Aは光のバルコニーに視線を投げた。が、しかしすぐに視線を私に戻して、
首を少し傾げて寂しげに微笑んだ。

私は珈琲を、今度はミルクで割らない珈琲が欲しいと合図した。
私は、ナイトテーブルの上の煙草を取って最後の煙草を銜えて火を着けた。
珈琲は、ナイトテーブルに置かれ、朝食のテーブルは足元に片付けられた。
F.Aは先程よりも近くベッドに腰をおろした。私はF.Aの首に手を廻して
引き寄せてキスをした。

私は、暫くF.Aを抱いていた。教会の鐘の音が聞こえて来た。
私は、ベッドを抜け出してバスローブを羽織りバスルームへ行き、
シャワーを浴び、髭を剃った。ベッドは適度に片付けられ洋服が揃えられていた。
靴は椅子の前に置かれていた。着替えを済ませて私達は午後の街へ出かけた。

目的の場所も、するべく予定もなかった。公園を腕を組んでゆっくりと散歩した。
木漏れ陽の中の池の見えるベンチに腰を降ろして、私達は子供達の歓声や犬と
散歩をしている老人を見ていた。


『産むだけの母から捨てられた少年は、強盗に入り若い母親と幼子を惨殺する。
 事件について少年は、母親が仕向けたと回想する。
 母親は浮気をして少年と父親を捨てて出て行った。
 少年は友達にそんなことは言えない。惨めな誤摩化しを続けた。
 父親が事故で死んだ時、母親は少年を引き取ることを拒否した。
 少年には、死刑の判決が下されている。』

今朝の新聞記事が頭の片隅に残っている。
「シュミラークル」「シュミレーション」と呟いた。
F.Aが「何?」と私に聞く。「いや、何でもない」
「・・・・さあ、カフェに行ってシャンパンでも飲もう」「少し喉が乾いた。」
F.Aが首肯いた。

                            本多 拝




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