AWC 毀れゆくものの形 一− 1     直江屋緑字斎


        
#777/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (QJJ     )  88/ 2/16  16:24  ( 57)
毀れゆくものの形 一− 1     直江屋緑字斎
★内容

         一

 二重窓になっていたのだが、それでも外側のガラス戸には結露が
凍(し)みつき、奇妙な模様が織られていた。その模様を見るたび、
少年は、外気の折々の温度の違いによって、模様を作る葉の形がさ
まざまに変化するのではないかと思った。アラベスクを紡ぎ出す葉
肉の厚さが異なるばかりでなく、気温の質の違いが広葉樹の葉と針
葉樹の葉との相違を生じさせるのではないかとも考えていた。けれ
ども、大人の前で「寒さが酷いと、松の葉のように尖(とが)るん
だね」と言ったときに妙な顔をされたことを思い出し、嫌な気がし
た。
 少年は建て付けの悪い内側のガラス戸を音たてて引き開けてから、
その棘々(とげとげ)しい葉叢(はむら)に指を押しあててみた。
ひんやりとした心地よい感触が訪れたが、それも束の間、白い指に
きりきりと劈(つんざ)くような痛みが貫いてきた。その痛みが痺
(しび)れとなり針のように硬く尖ってくると、ふいに指とガラス
との間で硬さが溶け、痛みを柔かく包み込むように、濡れたガラス
の表面が指先にじかに感じられた。そして、冷気からもたらされる
痛みは呆気なく遠のいてしまった。
 少年は窓ガラスに貼りついている指に力を罩(こ)め、霜ででき
た膜に円を描こうとした。その膜が指の動きに圧されて水になり、
徐々に氷の模様を侵してゆくのが、指の先でよく分かった。けれど
その円の大きさも、直径で五センチほどになると、広がりをとどめ
てしまった。
 窓の外ではしきりに粉雪が降っていた。このような夜は寒さがこ
とのほか厳しく、冷気が人々の足下から重い衝撃を伴って心臓に辿
(たど)り着くと言われている。風に吹かれて跡切れることのない
雪は、少年のいる部屋の明かりを曖昧(あいまい)な輪郭で受けと
めて、ちょうどその部分が闇から抉(えぐ)られ、白い紡錘形が宙
吊りにされているように見えた。吹き下ろす風のためにしばしば渦
を巻きながら、光の投影された雪の空間は、別世界への入口を思わ
せるようなあやふやな輝きを帯びていた。
 少年は自分で窓に穿(うが)った小さな穴からその光景を見つめ
ていた。彼は、片目をその穴にあてがい、望遠鏡を覗く恰好で雪の
吹き乱れるさまを眺めているのではなかった。氷の浮彫細工(レリ
ーフ)にできた滴のような穴から身を離し、その位置から両目の焦
点を結んでいた。
 腺病質で、普段から青白い顔をしている少年の頬に、珍しく血の
色が浮かび始めていた。青みのかかった眸(ひとみ)が次第に細め
られ、瞼(まぶた)の奥の白い光が強まっていくように思われた。
ガラスの窓に開いた小さな穴の向こうに、何か気をとられるような
ものを発見でもしたのだろうか。彫りの深い少年の容貌がわずかに
歪み、この年頃の子供に似つかわしくもない笑みが、その歪みの中
からこぼれるように見えた。細い唇の間から赤い舌が覗いた。頬の
色がいっそう紅潮して見えた。握りしめた拳の細い指がふるえるよ
うに開かれ、爪の先から反り返った。細められていた目が大きく瞠
(みひら)かれ、眼球が飛び出さんばかりに膨れ上がり、白目の部
分が真赤に充血していた。得体の知れない呻(うめ)きが、そのと
き少年の喉許を奔(はし)ったようであった。
 立ち竦(すく)む少年は、隙間なく降り続く厚い雪の壁の、その
向こうに広がる漆黒の闇の底から、禁断の赤い火がゆらゆら立ち昇
るのを見ていた。雪の彼方に埋もれている一点の炎、夜の底で翳
(かげ)りを帯びて燃え盛ろうとする血の色をした火焔(ほむら)
を、うっとりと見つめていたのだ。






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