#413/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HHF ) 87/10/19 17:41 (120)
FORWARD ! ■ 榊 ■
★内容
====================================
Forward!
■ 榊 ■
====================================
「はぁ,はぁ,はぁ.」
息が切れ,呼吸の調子が早くなってきた.
足と手に力を込め,大きな岩を登りきる.
一息ついて上を見てみるが,頂上はまだ遥か.
近くの岩山だと思っていたが,舗装していない分,かえって辛かったのかも知れない.
でも,いまさら愚痴を言ってもしょうがない.
息を整え,次の岩に手をかける.
もう一つ,登りきろう.
開けっ放しの窓から,心地よい風の吹く5月の初め.
部屋の窓から,夕日が赤々と部屋を照らしていた.
久しぶりに早く家に帰ると,読む本もなく特に眠くもなく,机に座りその空を見上げた.赤々とした建物が目にはいる.
一つ大きな風が窓から入ってき,体を通り抜けた.
涼しい,心地よい風だった.
その時,その瞬間,何かが抜け出て行った.
いや正確に判断すると,風と共に入ってきたのかも知れない.
だがともかく,その時は何かが抜けて行った様な気がした.
その時,不意に自分の昔を思い出したのだ.
先ず,小学生時代.
特に外で遊ばなかった自分.
うっすらとしか覚えていない様な友達.
何かあるか,ないかの曖昧な記憶には,なにか霧がかかったようで,他に思い出せない.そして,中学.
ここでの記憶は,勉強が億劫な物だったという事だけ.
ただ,退屈な授業を聞き,テストを受ける.
とくにクラブにも通わず,なんとなく日々を過ごしてきた.
そして,高校.
今,2年まで過ごしている.
高校時代は,いったい何をやったのだろう.
特に不良をやっていたわけではないが,だがかえって,淡々とした高校生活.
不意に胸が締め付けられた.
その時感じた,寂寥感.空っぽな心の寂しさ.
何もなかった,今までの17年間.
空っぽだった,何もない時代.
言葉にできない寂しさと共に,喉から何か熱いものがこみ上げてきた.
太陽が,目に焼き付くようだった.
その時,後ろのドアが急に開いた.
「おにいちゃん,食事よ!」
妹だった.
振り返って何か言おうしたが,喉に何かが詰まっていて,何も言えなかった.
妹はしばらく黙っていたが,僕の顔を見ると尋ねてきた.
「おにいちゃん....泣いてるの?」
「え?」
目に手を当ててみる.
うっすらと,冷たい滴が手に伝わった.
過去を振り返ってみた自分は,何かしようと考えた.
それが,山登りだった.
現実に対する逃避だったのかも知れないが,何か自分の力を出し切ることがしたかった.最初は,立山やアルプスの方に行こうとしたが,生まれて初めての登山でいきなりは心配だった.
それに家の人に知られたくもなかった.
丁度,近くに格好の岩山がある.
中腹辺りまで,公園や住宅があるが,その上は森と岩だ.
いま,その山を登っていた.
特にスポーツをやっていなかったせいか,すぐに息が切れる.
休み休みやっていたが,段々体が慣れていき,ペースは遅くなって行ったが休むことは少なくなっていく.
一つの木を,一つの岩を,今までの過去を乗り越えるように登って行った.
友達,先生,両親,学校,クラス,クラブ.
その度に気が楽になっていく.
その度に体が軽くなっていく様な気がした.
全ての過去を振り切った後で思ったのは....未来
明日の事,明後日の事,一年後,10年後.
どんな所に就職するのか,家庭はつくるのか,幸せか,幸せにできるか.
自問自答を繰り返す.
一歩,一歩,噛みしめて登る.
突然,回りが明るくなった.
下を向いていた顔を上げる.
すぐ向こうに,頂上が見えた.
そこまでは,岩しかない.
はやる気持ちを抑え,再度,一歩,一歩,登り出す.
あと三歩....あと二歩....あと一歩.......
「やった! 頂上だ!」
最後は思わず叫んでしまった.
何かが吹き飛んだ.
声と共に,風に乗せ,飛んで行ってしまった.
流れる汗を風が撫でて行く.
何かを成し遂げたという満足感が,体全体に広がって行く.
両手を高く上げ,笑顔で伸びをすると,その場に座り込んだ.
「やったぞ,やったぞ.」
心で呟くように言った.
その頂上から,町を見おろす.
なんて広いんだ.
そして,なんて明るいんだ.
町が,子供が,森が,空が,全てが新しく心に刻まれる.
当り前の,ごく自然の事が妙に感動する.
過去を振り切り,未来を見つめた自分は,もう一度立ち上がり,体いっぱいに冷たい風を受けた.
また今,暇な高校生活を送っている.
何も変わっていない.
依然と同じ生活を繰り返す日々.
でも,何か心は変わったような気がする.
山を登って何かが解った.そんな気持ちが心に残っている.
はっきり言葉にできないが,心に何かを感じていた.
Forward!
何でもやってみなくちゃ解らない.
今,新しい一歩を踏みしめる.
FIN
★後書★
「ちょっと長すぎるよー」という批評が多く,比較的最近に書いた短編を一つ置いてみることにしました.
どないなもんでしょう?