#691/1159 ●連載
★タイトル (sab ) 09/03/26 10:10 (211)
She's Leaving Home 肉が食べられない ぴんちょ
★内容
その日の晩ご飯は豚肉のしょうが焼きだった。
皿の上の豚肉は端っこが脂身でびろびろしていて、
肉の繊維も見えるし、
差し込んだ脂身が引きつれていて、
今日の今日は無理だよなあ。
「おじいちゃん」
衛星放送のボクシングを見ながら黙々と食べているおじいちゃんに言う。
「これ、あげる」と皿ごと渡してしまう。
「なんで」とお母さん。
「だって今日食欲無いんだもの」
本当の事を言ってもよかったのだけれども、そんな事をしたら
人体の不思議展のきもさが家の中に入ってくるような気がして止めた。
小学校の頃いじめに合った時にも家では言わなかった。
味噌汁とご飯だけ食べた。
部屋に入ってから脳内と電脳空間で色々考えた。
まず脳内から。
前にテレビで「バカの壁」の養老タケシが、
学生時代に解剖していた時には
ノコギリも使ったし肉片が口に入ったりしてメシが食えなくなった
とか言っていたよなあ。
だから私が人体の不思議展を見て肉を食べられなくなっても普通でしょ。
そんな事お母さんに言えるわけないだろう。
前にテレビでコーヒー浣腸ダイエットというのをやっていて、
その時に出ていた医者が、
食物連鎖的に哺乳類を食べるのは共食いです。大腸がんの原因にもなる。
とか言っていたなあ。
そうお母さんに言うか。
ダメだな。共食いなんて。ハンニバル・レクターじゃないんだから。
前にテレビで外人さんご一行が相撲部屋を見学していてちゃんこ鍋を食べる時に、
この人はベジタリアンだから肉は入れないで下さいとか注文していたなあ。
ベジタリアンというのは自然な響きだよなあ。
そこで「ベジタリアン」でぐぐってみる。
ベジタリアンになる理由は自分の健康の為、地球環境を考えて、心の病気。
ペスクタリアンというのは肉は食べないが魚や乳製品は食べる。
ヴィーガンは肉、魚、乳製品、蜂蜜も食べない。すげー。
レオナルド・ダビンチもアインシュタインもカール・ルイスもヴィーガン。
なんだ、まだまだ私はどうって事ない方なんだなあ。
翌朝、テーブルにつくとおじいちゃんがテレビのニュースを見ながら
味噌汁をすすっていた。お父さんは出かけてもういない。
自分の味噌汁を見るといやに油が浮いている。
なんだこれ。「お母さん」と私は言った。「なんか油が浮いているんだけど」
「夕べの豚肉の残りを入れたのよ」
「えっ」味噌汁の表面を箸でつついてみる。
細切れになった肉片が浮いている。「なんでわざわざ肉入れんの?」
「出汁になるでしょ」
「だって出汁ってカツオとか昆布でしょう?」
「トン汁みたいでいいでしょ」
「お母さん」と私は言った。「私、ペスクタリアンになったんだよ」
「なに、それ」
「知らないの? ベジタリアンの一種だよ。肉は食べないんだよ」
「じゃ、何食べるの」
「魚とか。卵とか」
「なんか変なダイエットなんじゃないの?」
「違うよ。昔の日本人はみんなそうだったんだから。
それに頭にもいいんだよ。
アインシュタインもレオナルドダビンチもそうだったんだから」
「だったらお肉、避けといて」
と言われて味噌汁を見る。
今更肉を取り除いたところで脂は味噌汁全体に広がっている。
相撲部屋でちゃんこを食べた外人はどうしてこれが平気だったんだろう。
「今夜、とんかつだよ」とお母さんが言った。「シミットの」
「又肉?」
「だってみんなベジタリアンじゃないもの」
「肉は大腸がんの原因にもなるんだよ」
「だったらあんたキャベツだけにする?」
「いいよ。コロッケでも買ってきてよ。野菜コロッケ」と言うと私は席をたった。
「もうご飯いらない」。
「アキコちゃん。何か食べなきゃ」と言う母を無視して家を出た。
昼になったらもうくらくらしていた。
即行で売店に行ってフィッシュバーガーとチョコチップメロンパンと
CCレモンを買ってきて、教室でミチコとケイコと食べる。
私達の右奥にはエイジ一派がいた。
なんとなくDQNオーラが漂っている。
でもエイジとはリア友なんだよなあ。
左奥の阿部君をチラッと見た。やっぱ阿部君は他人に感じる。
「それってハムとかのってんの?」ピザパンを食べているケイコに聞いた。
「のっているよー」
「私、もう肉食べないんだ」フィッシュバーガーをほおばりながら言う。
「なんで」
「だって共食いじゃん」
「はあ」
「人間も動物も哺乳類だから共食いなんだって。体に悪いんだって」
「こんぐらい平気でしょ」とケイコは平気でぱくつく。
「私は一かけらも食べないよ。ベジタリアンになるから」
「だったらもうマックとか行けないよ」お握りを食べながらミチコが言った。
「フィレオ食べるからいいよ」
「フィレオは魚でも油がショートニングだもの」
「ショートニング?」
「そうだよ、あたしバイトしていたけど、
マックの油はショートニングっていう牛の脂だもん」
「えー。なんで?」
「からっとあがるからだよ。肉屋のコロッケが美味しいのも牛の脂だからだよ。
そのフィッシュバーガーだってショートニングかも知れないよ」
私は最後の一口を飲み込んだところだった。
「絶対肉食べないなんて無理だよ」ミチコが言った。「カップ麺とかレトルトとか
みーんなチキンエキスとかポークエキスとか入ってんだもの」
「えー。嘘」
「ほんとうだよ」とミチコが言った。
ミチコの言葉を確認しようと、学校の帰りに家の近所の百均でチェックした。
商品を一個ずつ手にとって箱の裏の成分表を見て行く。
まずはレトルト食品。
マーボー豆腐とかカレーとかの成分をチェックすると豚脂とかポークエキスとか
書いてある。
ドライカレーの素みたいなのにもみんなチキンエキス、ポークエキスが入っている。
冷凍食品はシーフードグラタンでもエビピラフでも
高菜ピラフとか和風のまでポークエキスが入っている。
カレーはレトルトでもルーでも牛脂豚脂混合油とか入っている。
カップ麺関係も、シーフードヌードルもダメ、和風のカップ麺もダメ。
ダメでないのは「マルちゃん赤いきつね」と「日清どん兵衛天ぷらそば」だけだった。
基本的にインスタント食品は全滅なんだろうか。
カールルイスは何を食べているんだろう。
カールルイスはインスタント食品なんて食べないか。
お腹が減ってきた。
お菓子だったら、と思ってお菓子コーナーに行ってみる。
ビスケットとかクッキーとかバームクーヘンっぽいものには
みんなショートニングが入っている。
これってミチコの言っていた牛の脂かなあ。
クッキーに牛の脂なんて入れるのだろうか。
チョコは平気だった。ポテチも平気。
とりあえずエアロチョコとポテチを持っていく。
今日、ケイコが食べていたみたいなピザトースト食べたいなあ。
どうせダメだろうと思ったがピザソースを見てみた。
カゴメピザソース。
成分:トマト、たまねぎ、砂糖、醸造酢、大豆油、食塩、
香辛料、にんにく、コーンスターチ。
入っていない。これだったら食べられる。
買い占めようかなあ。
なんとなくあたりを見回す。お金が無いから一本にしておこう。
家に帰ると誰もいなかった。
ピザトーストを二枚作るとオーブントースターに入れた。
焼きあがるまでにポテチとチョコを食べる。
ピザトーストが焼きあがるとそれもぺろっと食べた。
宅配ピザとかどうなんだろう、とふと思う。
部屋に行くとPCを入れてぐぐってみた。
ピザーラだけ「メニュー別アレルギー情報」というのがあって、これによると
「もち明太ピザ」だけ豚も牛も鶏も使っていない。
つーことはプレーンピザにしてトッピングをお好みにすれば
もっと色々食べられるのかなあ。
それからお菓子メーカーのホームページを見たけど
明治製菓も森永製菓もアレルギー情報は公開していない。
ショートニングでサイト内検索をしても「食用加工油脂」としか出てこない。
夕方お母さんとおじいちゃんと帰ってきた。
おじいちゃんは動脈硬化症で
心臓とか太腿の動脈に何十センチにも渡って金属のスプリングが挿入してある。
どうやってスプリングを血管の中に入れたのだろう。
とにかく鎌倉の方の「神の手」とかいう医者にかかっていて
月に一回お母さんが連れて行くのだ。
という訳で今夜はシミットで買ってきた惣菜が夕ご飯だった。
ご飯もレトルトを電子レンジで暖める。
お母さんがキャベツを刻みだした。
それからお鍋で湯を沸かす。
「味噌汁の具ってなーに」と私が言った。
「お豆腐とわかめ」
「ふーん」と私。「出汁ってどこにあるの?」
「冷蔵庫に入っているでしょ。ドアの内側」
私は冷蔵庫をあさる。和風だしの素。一応成分を調べる。
「なに見てんの?」
「別に」
「揚げ物とかお皿にもりつけてちょうだいよ」
と言われて、皿に一口カツとポテトサラダをもりつける。
私の分は勿論コロッケ。コロッケ。
コロッケの油ってショートニングだってミチコが言っていたよなあ。
「ちょっと部屋に行ってくる」と言うと私は部屋に飛んで行った。
PCでシミット氷川台をぐぐると電話番号を調べて携帯で電話する。
「はい、シミット氷川台店です」
「あのすみません。揚げ物のことで知りたいことがあるんですけど」
「はい。惣菜コーナーに変わります、少々お待ち下さい」。しばらく保留音。
「はい、惣菜コーナーです」とおばさん風の声。
「あの、揚げ物の油について知りたいんですけど」
「はあ、どういったことでしょうかねえ」
「あのー、コロッケとか揚げる時にショートニングは使っているんでしょうか」
「ショートニング?」
「あの、牛の脂で出来た油で。そのー、家の人がアレルギーなんで知りたいんです」
「ちょっと待って下さいね」。しばらく保留音。「もしもし」
「はい」
「キャノーラっていう油だそうですけど」
携帯を切ってから「キャノーラ」でぐぐってみた。
キャノーラは植物性の油だった。
という訳でその晩はちゃんとご飯が食べられた。
そんな日々がしばらく続いた。
時々家族からの文句を言われた。
「たまにはロールキャベツみたいなこってりしたものが食べたい」とお母さんが言っ
た。
「食べればいいじゃない」
「だってあんた用にロールキャベツ無しのロールキャベツも
作らないとならないじゃない。お鍋二つで」
「から揚げとかステーキとか食べればいいじゃない。混ざるものじゃなくて」
「ビーフシチューとかそういうのを食べたいのよ」
「じゃあ作ればいいじゃない。そういう日はご飯だけでいいよ。塩かけて食べるから」
「あんたのせいで干からびちゃうよ。おじいちゃんだって
骨粗しょう症の気があるんだから」
「魚の方がいいんだよ」
とは言ったものの、自分でもタンパク質が足りていないなあと思えたので、
マツキヨでプロティンを購入してきた。
カールルイスもアインシュタインもこんな生活していたんだろうか。
時々自分って頭がおかしくなったのかなあと思うこともある。
練馬の駅前にお酒のディスカウントショップがあって、
軽自動車の焼き鳥屋が焼き鳥を焼いているのだけれども、
そのにおいをかぐと、人間が焼けるとああいうにおいがするのかなあ
とか思う時に、私ってメンヘラ、とか思う。