#575/1159 ●連載
★タイトル (RAD ) 07/09/06 21:35 (299)
BookS!(18)■BookS■ 悠木 歩
★内容
■BookS■
「さあ、上がってちょうだい」
「あ、ああ」
促されながらも黎は少しの間、その言葉に従うのを躊躇っていた。
他に靴がないところを見ると、家族は皆外出中か、あるいは一人暮らしなの
だと思われる。迫水黎はいま、紫音の部屋の玄関に立っていた。
女性一人の部屋に入ることを、抵抗なく行えるほどに、黎は慣れていなかっ
た。明日香の部屋になら、何度か上がったこともある。しかし物心付くより前
から共に居る機会が多かった少女は、黎にとって妹にも近い存在であった。そ
こに躊躇いなどない。しかしそれでも、中学生となった辺りからは遠慮してい
た。
もしここにもう一人、リアードと言う銀髪の男の存在がなければ、いつまで
もそうしていたかも知れない。
「じゃあ、お邪魔します」
動揺を悟られたくない黎は、意を決し、平然を装って部屋に上がる。
「その辺、適当に座ってよ」
言われて黎は、部屋の中央近く、購入してまだ間もないと思われる真新しい
ソファへ腰を下ろす。
「何か飲む?」
「ん、ああ。何か、炭酸あるか?」
「ない。牛乳か烏龍茶か、あとミルクティ」
それならば初めからそう言えばいいのに、と黎は思う。
「はあっ」
小さく一つ、息を吐く。座ってしまったためであろうか。紫音が飲み物を用
意するまでの、わずかな時間が長く感じられ、眠気を覚えてしまう。
「そりぁ、疲れるわな」
独りごちる。
剣道部の練習に続き、宗一郎との稽古。それだけでも充分疲れを感じておか
しくない。更には紫音の襲撃を受け、疲労困憊も当然であろう。
他人の、しかも女性一人の部屋を訪ねた緊張感さえ忘れ、眠りに落ちる寸前、
それを堪えさせたのは自分を見つめる青い目の存在に気づいたからであった。
「なんだよ、何見てるんだ」
険のある口調を以って、銀髪の男に対する。男は黎と対面する位置に座し、
半笑いを浮かべた表情でこちらを見ていた。
「君を」
あるいはそこだけを切り取って見れば、まるで恋人に対するかのような言葉
が返る。しかし言葉を受ける黎は、それに頬を染める異性ではない。
「お前、俺をバカにしているのか?」
苛立ちも露に男を睨み付ける。
「フフフッ、主従は似て来るものなのか。その物言い、娘たちとそっくりだな」
「貴様!」
自分の力でどうにか出来る相手でないのも忘れ、頭に血が上る。殴り掛かる
までに至らなかったのは、力の差を考慮した上のことではなく、黎がそこまで
暴力的な性格ではなかっただけに過ぎない。
「そういきり立つな、少年よ。当然であろう。私は紫音を守らねばならないの
だから」
妙に落ち着いた態度が気に入らない。
黎は右の掌を目の上に充て、強く押す。あるいはこうやって相手の感情を昂
ぶらせ、自分のペースに嵌めてしまうのが男の目的なのかも知れない。
剣道の試合に於いて、いや剣道に限らずとも、相手のペースに乗っていいこ
となどない。どうにか黎は自分の感情を落ち着かせた。
「なるほど、多少の心得はあるようだ」
感心したように男は言う。それもまた黎を挑発しようとしてなのか、だがも
う気にはならない。
「何を話していたの?」
そこに紫音が戻って来た。手にしていたトレイにはストローを刺したグラス
が三つ。用意されたのは、ミルクティだった。
「いや、何でもないよ」
喉が渇いて仕方なかった。黎は置かれたグラスの中身を、一気に半分ほどま
で飲み干す。
「ところで久遠、お前、家族は?」
「ん、一人暮らしだけど」
その答えに得心する。
どうにも生活感に乏しい部屋だと思ったが、一人暮らしであるなら納得も行
く。
同時に憎らしくもあった銀髪の男の存在を、初めて感謝もする。彼の存在な
しで、紫音と部屋に二人きりの状況は、想像するのも恐ろしい。もっとも彼の
存在がなければ、いまここでこうしている状況も生まれなかったのだが。
紫音は二学期より緑風高校に通うと聞く。
最近始められたばかりと思われる一人暮らし。高校一年生で二学期からの編
入。何やら事情があるものと思われたが、黎がそれを詮索しなければならない
理由はない。
「で、説明してくれるんだよな」
まずはこの部屋を訪れることとなった原因、紫音の黎に対する襲撃の訳を問
う。
「あー、ちょっと待って。その前に、迫水先輩が本を持っている理由が知りた
いわ」
「何だよ、それじゃあ話が違う。俺は久遠がちゃんと説明する、って言うから
ここに来たんだ」
「分かっている。ちゃんと説明するわよ。ただその前に、どうしても知りたい
の」
「しょうがねぇなあ」
面倒と思いながらも、黎は本を手にすることになった経緯を語った。鳴瀬大
学の研究室を訪れ、たまたま本を目にしたこと。そこへ突然現れた女と男に襲
われ、逃げたこと。追い詰められたとき、本の中に輝く文字を見出した話。そ
してそれを読み上げ、現れた二人の少女の話と。
「………と、まあこんなところだ」
「なるほどねぇ」
黎が話す間、真剣な面持ちで耳を傾けていた紫音は小さく頷き、ストローを
啜る。
「だからこの本は、俺のものじゃないんだ。早いところ、慶太兄ぃに返さなき
ゃ」
「死ぬぞ、少年」
そう言ったのは、銀髪の男であった。
「えっ?」
「間違いなく、ね」
紫音も同調する。
「何だよ、今度は脅かしか?」
「そうじゃなくて、いい? その女が何者だかは知らないけれど、本を狙った
存在であるのは確かよね」
「ああ、らしいな」
「あのね、まず一つ教えておくけれど、本からブックスを呼び出せるのは、こ
の世に一人しか存在しないの」
「ブックス?」
「私のリアード、あなたのあの二人の女の子みたいな、本に封じられた存在。
そしてそれを呼び出す私やあなたはリーダー」
「はあ、なるほど」
「いい? 話を戻すわよ。襲って来たってことは、その女の目的はその本のブ
ックスを自分のものにして使いたいのか、自分にとってライバルになるブック
スの存在を消したいのかのかの、どちらかだと思う」
「ライバルって、どう言うことだよ」
「あーっ、もう! 順序を追って話すから、黙って聞きなさい」
「はい………」
紫音の剣幕に、黎は肩を竦める。
「さっきも言ったみたいに、一人のブックスに対しリーダーは一人しか存在し
ない。だから相手がその本を欲しているならあなたを味方に取り込むか、存在
を消したいならあなたを殺すのが一番、手っ取り早いのよ」
「そ、そんな………冗談じゃない!」
黎は事の重大さを改めて知らされることとなった。紫音の言う通りであれば、
訳の分からないまま巻き込まれた戦いから、逃れる術はないのだ。
「もう一つ教えてあげる。あなたはまだ読めていないみたいだけど、本の一番
最初には、こう書かれているはずよ」
勿体を付けた物言い。それから紫音は、ミルクティをまた一口啜るのだった。
「………………て」
返って来た言葉は、聞き取れなかった。それ以前に、そもそもこちらの言葉
が相手に伝わったのかも怪しい。
部屋はけたたましい騒音に支配されていた。否、一つ一つを取って見れば、
騒音ではない。
クラッシック音楽にオペラ、ポップスにロック、最近の流行歌に民謡と六種
類の音楽が同時に流されている。更には四つのモニター上にはアメリカの古い
映画、日本の連続ドラマ、韓国の教育番組、そしてニュースが映し出されてい
た。
それほど広くない室内に、計十種にも及ぶ音声が響き渡っているのだ。その
一つ一つを聞き分けることなど、不可能にも思われる。しかし鈴木清太郎の身
体を乗っ取った魔術師、グァはそれをやってのける。
その昔、厩戸皇子・聖徳太子は十人の話を同時に聞き分けたと伝えられる。
だがグァはこれに加え、目の前に四冊の書を広げていた。英文の医学書、フラ
ンスのファッション誌、そして日本語の小説と新聞。
鈴木と一体化したグァが最初に欲したものは『情報』であった。
永く本に封じられていたグァには、いまの世の中についての情報が欠けてい
た。それを補うためと称し、ありとあらゆる情報を要求したのである。
魔術師とは如何なるものであるのか、その力はいかばかりのものか、磯部は
知らない。しかし情報を貪るその姿は、充分驚愕に値するものであった。
磯部は与えられた本に記された、見知らぬ古代文字の解読に苦心していたこ
とを思い起こす。五千年も前に封じられたと言うグァから見れば、それ以降に
生まれた現代の言葉や文字は、磯部にとっての古代文字に等しい。だがグァは
複数の言語を、瞬きをする程度の時間で理解し、情報を吸収しているのだ。
「暫し待て」
再度の言葉は、辛うじて聞き取れた。
鈴木の身体を持つグァが、人差し指をわずかに動かす。と、室内全ての機器
の電源がオフとなる。
「何用かな? 探求者よ」
先刻までの音の洪水に、耳がおかしくなっていたのかも知れない。グァの声
が、酷く遠くに感じられた。
「いろいろ訊きたいことがあって。いいでしょうか?」
「うむ、構わんよ」
グァの返事を受けて、磯部は部屋の隅に置かれた、応接用のソファに腰掛け
た。続いてグァも磯部の対面へ腰を下ろす。
「よかったら、飲んでください」
磯部は持参した二本の缶入りの乳飲料のうち一本を、グァの前に置く。
「いただこう。儂自身は飲むことも食べることも不要であるが、この男の身体
はそう行かんのでな」
グァが缶を開けるのを見届け、磯部も自分の分を開け、口へと運ぶ。
「して、訊きたいこととは?」
「はあ、まあいろいろありますが………何故、私を協力者として選んだのかと」
「おや、儂如きでは不服かな?」
「いえ、決して。ただあなたほどの力があれば、別に私なんかと協力しなくた
って、幾らでもやりようがあるんじゃないかと思って」
中身はグァである鈴木清太郎は、明日にでもこれまでの会社を退職し、バル
スーム社の社員となる予定であった。そのための、真嶋の動きは早い。グァが
鈴木と一体化した直後には男の身元を調査させていた。正しくは磯部が夢で鈴
木清太郎の名を知ったことを聞き、すぐに手配していたのだった。
幸い、鈴木は一人暮らしであった。妻子はない。両親は健在であったが、親
子関係は上手く行っておらず、ここ数年帰郷した様子もない。現在勤務してい
る会社に於いても、さほど重要なポストには就いておらず、退社するのに問題
もなさそうだ。
「なるほど、確かに、な」
元の姿のときには、窺い知れなかった笑みを浮かべるグァ。それが彼本来の
表情なのか、あるいは鈴木のものなのかは分からない。
「口幅ったいが、確かに儂一人でも充分やっていけるであろう。だが、他人の
助けがあって、邪魔にはなるまい」
「それだけですか?」
「そう、他にも理由はある………一言で言うなら、お主に興味があるのだ」
「そんな、私は人に興味を持たれるような、大した人間じゃない」
「封じられていた、儂の声を聞いたではないか」
「えっ」
「儂とて、封じられたまま永いときを、手を拱いていた訳ではない。それこそ
数え切れぬほどに、封印を解こうと試みた。幾度となく、本の外へと呼び掛け
もした。しかしお主以外に、我が声の届く者はなかったのだ」
「どうして私だけが、その声を聞けたのだろう」
「さて、それは儂にも分からぬ。だから興味がある。何故、リーダーではない
お主だったか………これも封印のためか、それとも忘れてしまったのか。儂に
は遠く古い記憶がない。故に推測するのだが、元々の儂は、お主のような者だ
ったのかも知れぬと」
「あなたが、私のような………?」
「推測よ、確証などない」
そう言って笑うグァを、磯部は恐ろしく感じる。
磯部は心の奥で、グァを恐怖している。確かに鈴木の身体を乗っ取った、そ
の光景はグァを恐怖の対象として見るに充分なものであった。ただ磯部は自分
が恐怖する理由は、もっと別なところにある気がするのだった。
「いい? 表紙のすぐ次、最初のページよ」
「いや、ちょっと待った」
語り出そうとする紫音を、黎は掌で制す。
紫音の言葉を確認するため、黎は己の本を開いていた。
「白紙だ。最初のページは何も書かれていない。真っ白だ」
「違うわ」
「違わないよ、ほら。俺と久遠の本では違うんじゃないか?」
黎は白紙のページを、紫音に向けて見せる。
「そう、白紙ね。でもやっぱり、私の本と一緒」
「何言ってんだ、お前は?」
「あーっもう、ホント、面倒ね」
紫音は半ばヒステリックな声を上げた。
「白紙よ、白紙なの。でもね、他のページと同じように、ちゃんと文字は書か
れているの」
「おい、言っていることが、支離滅裂だぞ」
「あのねぇ………後のページは、読むことでブックスが召還される。多分、そ
の辺の違いだと思うけれど、その白紙部分にも文字は書かれているの。ただそ
れは例えリーダーであっても、初めから見ることが出来ない。ある程度、本が
読めるようになって、初めて見えるのよ」
「ナンだいそりゃ。手が込んでいると言うか、めんど臭いと言うか」
「これも推測。ある程度本が読めなければ、ブックスは力を発揮出来ないの。
つまりいまのあなた程度で、ブックスを呼んでも、それは他のブックスに後れ
を取るだけ。さっきのリアードとあなたの女の子たちの戦いみたいにね」
「はあ、何となく了解」
「宜しい。つまりそこに書かれているのは、戦いを促すような文章よ。いい?
書かれている内容はこうよ。『本を手に入れし者、其方は幸運である。望むも
の、欲するもの、この世のあらゆるものを、その手に出来る機会を得たのだか
ら。集めよ。纏めよ。本を一つにせよ。さすれば望みは叶えられよう』」
「何だか、よく分からないな」
「まっ、正直言えば、私もそうよ。本を一つに、って言うのは言葉通り本を集
めろって意味にも取れるけど………」
「そうか! 他のブックスやリーダーを倒して、自分の本だけを残せって意味
とも取れるな」
「そう。どっちの意味に取っても、戦いを促す結果になるけどね」
「もしあの女がその文に従っているのなら、俺は邪魔な存在って訳か」
黎は顎に手を当て、考え込む。いよいよ以って、訳の分からない戦いから逃
れる術がなくなって来た。
「仮に本を返したとしても、相手があなたを諦めるとは限らない。寧ろ今後の
憂いをなくすためにも、封印を解ける、ブックスを呼び出せるあなたを消して
しまおうと考えるかもね。それに………」
「それに?」
「本を返せば、今度はその磯部って人が狙われる。あなたがリーダーである以
上、磯部って人はブックスを呼び出すことさえ出来ず、殺されてしまうでしょ
うね」
「………」
それは考えもしなかったことであった。
確かに言われて見れば、返したとしてもあの女が本を諦めるはずはない。当
然返した後も、新に所有者となった人物が襲われることとなろう。自分のこと
ばかりで、磯部に危機が及ぶのを考えられなかった己が恥ずかしい。
「さてと、ここでまた質問です」
紫音は右手を高々と挙げた。まるで教室内で教師に質問をするが如く。
「あなたは序文の内容を知った。これからどうするの? やっぱり何かを手に
入れるため戦う?」
「………」
単に序文とやらの中身を聞いただけでは、本気になどしなかったであろう。
曖昧過ぎるし、何よりそんな旨い話などそうそう信用出来るものではない。し
かしブックスなる不可思議な存在を知った後となれば、少々違って来る。
「大丈夫よ、あなたが何を答えても、ここでは絶対私もリアードも手は出さな
い。ちゃんと家に帰れるよう、保証するから」
「待てよ、久遠はどうなんだよ」
「えっ、私?」
呆気に取られたような顔で、紫音は自分を指さした。黎からの質問は、まる
で予測していなかったことなのだろうか。
「そうだよ。やっぱりお前もその、望むものとやらのため、戦うのか?」
「バカね、だったらあなたに説明なんてしてないわよ。ううん、あの公園で有
利なうちに、決着をつけてたわ」
「まあ、確かにな」
「私は、降り掛かる火の粉を払うだけ。喜んで戦ったりなんかしないわ」
「俺もだよ。大体、胡散臭いだろうが、その話。古今東西、その手の話には、
必ず裏があるもんだ」
「そうそう、大事な人が不幸になるとか、魂を持って行かれちゃうとかね」
昔話を例えに挙げながら、紫音は微笑んだ。あるいは黎が敵対する意思がな
いのを知って安堵したためか、とても穏やかな笑顔に見えた。
改めて見れば、本間の言葉ではないが久遠紫音は中々に美形であった。もし
彼女がテレビタレントやグラビアアイドルであったとしても、不思議ではない
と黎は感じた。
途端、顔が熱くなる。手を伸ばせば届くほどの距離が、酷く気恥ずかしい。
傍らで無言のまま座る銀髪の男に深く感謝の心を抱いてしまう。
「あら、暑い? 冷房、強くしようか」
「あ、あっ、い、いいよ。それよりその、ナンだ。こ、今後もほら、その、共
闘と言うか、協力してもらえれば、ありがたいな、つうか………」
困惑した黎は、自分でも何を言っているのか分からなくなってしまう。
「そうね、そう出来れば私も助かるかな。リアードによれば、あなたのブック
スは特殊な存在だそうだから、あなたさえリーダーとして鍛えられれば、かな
りの戦力になると思う。あっ、だけど………」
「だけど、何だ?」
「表向きは、あんまり親しくしないように注意しなきゃ」
「そりゃまた、どうして?」
「だって………明日香に恨まれるもの」
そう言って、紫音はくすくすと笑うのだった。
【To be continues.】
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