AWC BookS!(10)■接触■       悠木 歩


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#558/1159 ●連載
★タイトル (RAD     )  07/08/04  19:36  (257)
BookS!(10)■接触■       悠木 歩
★内容                                         07/08/05 00:38 修正 第2版
■接触■



「参った、もう、これまでにしよう」
 そう言って出たのは、宗一郎のほうからであった。
「参った、は、ないだろう。それは俺の台詞だ」
 面を外した黎は、大きく息を吐いた。
 一緒にゲームをしようと言う、理奈子の誘いを振り切って挑んだ、宗一郎と
の稽古である。お陰で少女からは尻へ三発の蹴りと、書き表すのも憚られる罵
りを受けることとなった。
 そして宗一郎と交えた竹刀。結果は六対一と、どうにか一本を取るのがやっ
とであった。やはりまだまだ、宗一郎には及ばないと痛感する黎であった。
「いやいや、実際お前は腕を上げている。フフッ、これで諸角、本間辺りが頑
張ってくれれば、次の大会、楽しみだぞ」
 宗一郎がタオルを投げてよこす。それを受け取り、黎は滝のような汗を拭っ
た。
「特に本間、だな。アイツ、もう少し本腰を入れてくれれば、まだまだ伸びる
のだが」
 黎ほどではなかったが、本間もまた各部活動が争奪戦に熱を上げた一年生で
あった。それが何故、特に勧誘活動を行わなかった剣道部へ入ったのか、未だ
以って謎である。
「なあ、黎よ」
 首の動きだけで、宗一郎はシャワーを浴びようと黎を誘う。家の浴室とは別
に、道場近くにシャワールームが設けられているのだ。二人は並んで歩き出す。
「お前、いい加減に初段を取れよ」
「んー、初段かあ」
 脱衣場にて脱ぎ捨てた借り物の道着は、ぐっしょりと汗に濡れていた。こん
な時、シャワーを使える環境が非常にあり難い。
「何、初段、二段辺りは、そう難しいものではない。形のほうだって、もう覚
えているだろう?」
「ああ、大体………覚えていると思う………それより、学科がなあ」
 剣道の昇段試験は実技、日本剣道形、学科試験の三種を合格しなければなら
い。初段を受けるに当たっては級位の習得が条件となるが、それは宗一郎の強
い勧めで既に取っていた。
「それだって、剣道をやっている者には常識程度だ。内容だって、おおよそ分
かっている。何なら教えるぞ」
「うん、まあ、何て言うかな………ほら、剣道って柔道と違い、帯の色が変わ
るとか、目に見える具体的な変化がないだろう? それでイマイチ、意欲が湧
かないつーか」
「ふむ、それは分からんでもないが、一年の諸角も有段者だ。無段のままでは、
上級生として恰好がつかんだろう」
「ああ、考えとくよ」
 蛇口を捻ると、冷たい水が勢いよく降り注ぐ。その冷たさに、熱を持った身
体は驚くが、それも一瞬のこと。蒸し暑い夜、慣れるに従い、冷たい水が心地
よく感じられる。
「一年と言えば、黎よ、お前、神蔵くんをどう思っている?」
「どう思っているって、何が?」
 黎は備え付けのシャンプーを泡立て、髪を洗っていた。
「いい子だぞ、彼女は」
「そりゃ分かっているさ………けどなあ、赤ん坊の頃からの付き合いだ。本当
に兄妹みたいな感覚でさあ、漫画やドラマとは違うよ。特にどう思っている、
と聞かれてもなあ」
「そうか………」
 天を仰ぎ見る形で、冷水を浴びる宗一郎。ちらりと見遣れば、黎よりも遥か
に引き締まった身体つきは、正にスポーツマンと呼べる代物であった。
「まあ、鈍いお前でもいろいろ耳にしていると思うが」
「鈍いって、何だよ」
「ははっ、まあ聞け。多少華やかさには欠けるが、男子の中で神蔵くんの人気
は相当なものだぞ」
「ふーん、そうなのか」
 そう答える黎だったが、明日香の人気をまるで知らないでいた訳でもない。
しかしあまりにも身近な者の人気に、現実感を持てないでいたのである。
「現にそうだな………本間が剣道部に入ったのも、神蔵くんが居たからだ」
「えっ、本当か!」
 これは初耳であった。
「見ていて分からんか? 本間の神蔵くんに対する態度は露骨であろうが」
 言われてみれば確かにそうかも知れない。ただ本間と言う男は、女子に対し
ては誰にでも優しい。どちらかと言えば、典型的な軟派タイプであった。
「ウチのクラスでも、神蔵くんの噂を聞かない日は珍しいくらいだ。それにほ
れ、前主将の前原さんも、神蔵くんに気があるようだ」
「そりゃ驚きだな」
 特に関心のないよう、装う黎ではあったが、心中穏やかでないものを感じた。
それが何であるのか、自分では分からない。
「ま、まあ、明日香が誰を選ぶかは、アイツの自由だしな」
「ほうほう、本当にそう思うか?」
 宗一郎は、あまり冗談を言うほうではない。いや、冗談を言ってもそれが相
手に伝わらない場合が多い。それがあからさまに黎をからかうように、言った
のだ。
「ああ、本当だ」
「ならば俺が神蔵くんに、アタックしてもいいのだな?」
「あっ、何だ。お前、あんなのが好みだったのか?」
 少なからずしていた狼狽を、悟られぬよう努めながら黎は言った。
「うむ、彼女は実に好ましい女性だと思っている。いままではお前の幼馴染み
だと思い、遠慮していたのだがな」
 何か意を得たとばかりに、宗一郎はにやりと笑った。親しい友であるとは言
え、少しばかり腹が立つ。だがそれを感情に出すのは何か悔しい。
「好きにするといいさ」
「ああ、いいかも知れん。そうだ! お前、理奈子を嫁に貰ってくれ」
「なんだぁ、藪から棒に。相手は小学生だろうが」
「なんの、あれも十年もすれば、いい女になってくれる………かな? まあ年
齢的には、お前と釣り合いが取れるだろう」
「お前、バカだろう?」
「幸いあれも、お前を好いているようだし。ふむ、お前の妹同様の神蔵くんを
俺が貰い、俺の妹をお前が貰う………いいな、それは」
 一人呟く宗一郎に黎は答えず、濡れた髪をタオルで拭くのであった。

「さあ、どんどん食えよ、黎」
 まだ小学生である、短い髪の少女が食卓に並んだ品を指し示し言う。黎より
遥かに歳下の理奈子だが、その物言いはまるで姐御であった。
 先刻、ゲームを断った際見せた不機嫌さは微塵も残されていない。物事に固
執しない、さっぱりとした性格なのである。
 食卓に並んでいたのは、天ぷらだった。種類も多いが、数そのものも多い。
元々この家では、家族以外の者が食事の席を共にする場合が多いと聞く。その
ため量を多く用意するのが、習慣化しているのだろう。
「黎はしょう油で食べるのが好きだったな」
 小さな手が、黎の前に小皿と醤油を置く。
 通常、天つゆか塩で食べる天ぷらであったが、黎は醤油を好んで使う。サツ
マイモや南瓜など甘い具材の天ぷらには、醤油がよく合うと思っている。少女
はそれを覚えていた。
「これ、理奈子、言葉遣いに気をつけなさい。迫水さんに失礼でしょう」
 注意を促したのは、宗一郎と理奈子の母親であった。長い髪をアップに纏め
た、物腰の柔らかい人である。理奈子がその血を引いているとは、少々信じ難
い。
「すまんな、黎。無骨な妹で」
「いや、よく気のつく、いい子じゃないか」
 世辞混じりではあったが、実際そう思う。明日香とはまるで正反対の性格で
はあるが、理奈子は理奈子なりによく気を遣ってくれる。
「どうぞ、迫水さん。たくさん食べて下さいね」
 高校生の息子を持つとは思えない、白く瑞々しい手が山盛りの飯と茄子の味
噌汁を置く。
「はい、頂きます」
 若い胃袋はもう限界近くに達しようとしていた。黎はまず初めに、ぷりぷり
とした海老へと箸を伸ばした。

 時計は午後九時を回る。
「じゃ、また明日な」
 親しい友に、仰々しい挨拶は不要である。簡単な別れの言葉を述べ、黎は椚
家を後にした。
 結局夕食の後、一時間ばかり理奈子と格闘系のゲームをすることになった。
反射神経を必要とするゲームで、黎も決して不得手ではない。いや、寧ろ得意
とするほうであった。しかし対戦成績は三勝四敗と、惜しくも少女に負けてし
まった。手加減はしないで、である。「どうもお前ら兄妹には分が悪いな」と、
ただ苦笑するばかりであった。
 人間の記憶力など、実に適当なものである。充実した一日に、昨日の恐怖は
記憶の彼方へと押しやられつつあった。
 宗一郎の家から黎の家まで、そう遠くはない。小、中学校と学区の違いで互
いに別の学校に通っていた。しかしそれは、それぞれの家の間に学区の境界線
があっただけの話。バスも走っていたが、歩いても十五分ほどの距離。黎は夜
風に当たりながら、歩くことを選んだ。
 家までの距離、その半分を過ぎた辺り。畑の中を貫いた道に出る。外灯は一
応、あるにはあったが、間隔が長い。結果、その中間では暗い道を歩かなけれ
ばならなかった。
 仮にも男子、ましてや剣道の腕前もそれなりのスポーツマンである。ただ暗
いだけの道に恐怖は感じない。いや、恐怖するのは恥ずかしいことと考えてい
た。
 しかし人気のないと思われていた道に見出した影、瞬間ではあったが、わず
かに恐怖感を覚える。
 外灯と外灯の間、丁度畑の道のど真ん中にその影は在った。まだ距離がある
ため、風貌はおろか、恰好も、性別さえ判然としない。明かりの乏しい場所で、
それらが分かるようになったのは、鼻を突き合わすほどに接近してのことであ
った。
 束ねられた長い髪に、一瞬その人物が女であると判断した黎だったが、誤り
に気づくまでさほどの時間は要さない。それは長身の男であった。黎より、頭
一つは高い。
 髪の色は白銀。わずかな光源の元、比較は難しいが、リルルカと名乗った少
女にも似た色であった。身長の高さ、髪の色から見て外国人であるようだ。日
本に住まい、文化に傾倒したクチであろうか。紺色の、剣道着にも似た着物を
纏っている。色は判別できなかったが、切れ長の目で黎のほうを見つめていた。
(なんだよ、この外人さん。気味が悪いな)
 外国人に知り合いはない。見つめられている理由に心当たりはないが、関わ
りたくもない。なるべく目を合わさぬよう、黎は足早に男の横を通り抜ける。
「待て、少年よ」
 背後から、流暢な日本語で呼び止められた。
 思わず振り返ってしまうと、突き刺すような鋭い視線が黎を捉えていた。
 突如、悪寒が背中を駆け抜けて行く。何処か覚えのある緊張感に支配される。
「こいつ………まさか」
 相手に届かないよう発した声は震えていた。
 昨日と同じなのである。
 昨日、赤銅色の鎧を纏った男と対峙したときの感覚。いまの感覚とそれとが、
非常に酷似しているのだ。
「しまった」
 小さく舌を打つ。
 本を家に置いたままであることを、思い出したのだ。
 もし本当に目の前の男が、昨日の連中と同種の者であったなら。あの少女た
ちの助けなしに、逃げ遂せる可能性は低い。緊迫しながらも、知らず知らずに
身構える黎であった。
 互いに無言のまま見つめ合う。
 一分にも満たない間であったが、黎にはそれが永久に終わらない時間にも思
えた。やがて、男のほうから口を開く。
「いや、すまぬ………何か勘違いをしたようだ。少年よ、許したまえ」
 妙に古風な言葉遣いでそう言うと、男はこちらに背を向けて歩き去る。黎の
感じた危機は、杞憂に過ぎなかったようだ。
「なんだよ………春はとっくに、終わっているって」
 強い脱力感を覚えた黎は、大きく息を吐くのだった。

 楽しい時間ではあったが、いつまでも続けている訳にはいかない。互いの連
絡先を教え合うと、神蔵明日香は紫音の部屋を後にした。
 夜の一人歩きは危険だ。ましてや若い女性であれば、なおのこと。途中まで
送ろうと言う紫音の申し出は、笑顔で拒まれた。
「だってそんなことをしたら、今度は紫音さんが帰り、一人歩きになりますよ。
同い年なのに」
 彼女の言うことは尤もであった。もう少し、一緒の時間を持ちたいと思う紫
音だったが、ここは諦めることにする。彼女とはまた、いつでも会えるのだか
ら。
「リアード、居るんでしょ?」
 廊下に響いていた足音が消えると、紫音は窓のほうへと声を掛けた。
 ゆっくりと窓が開き、薄いカーテンが風に揺らめく。
「客人が在ったようなのでな、暫く遠慮させて貰った」
 カーテンと共に長い銀髪も揺らめく。長身の男、リアードは穏やかな声で紫
音に応じた。
「ごめん、気を遣わせちゃって」
「いや、良い友が出来たらしいな。私も嬉しく思っていた」
「ん」
 再びドアへ目を遣る紫音。その視線は既に消えた少女の影を追っていた。
「ああ、それで何か分かったの?」
「いや、何も」
 バルコニーで雪駄を脱ぎ、リアードは室内へ入った。そしてそのまま、ソフ
ァ近くの床に正座する。一連の動作は滑らかで、物音一つ立てない。その様は、
まるで幽霊のようでもあった。
「あるいは、この街には居ないのかも知れん」
 リアードは静かに目を閉じる。
「でも、昨日、戦いがあったのは、間違いないんでしょう?」
「恐らく」
「恐らく?」
「うむ、ここより北西の方角より、その気配を感じたのだ。しかしそれは、極
めて微弱なものであった」
「結界が張られていた、ってことね」
 紫音はリアードの隣り、ソファへと腰を下ろす。
「正しくは空間と時間を移動、正常な時間よりわずかにずらしたのだろう」
「でもそれって、ここから随分、離れた場所なんでしょう。何でそれが、この
街に居ると思う訳?」
「根拠はない。だが………」
 リアードはゆっくりと目を開き、脇に座った少女へ視線を送った。
「既に戦いが始まった以上、遅かれ早かれ我らも巻き込まれる。それが運命な
のだ………しからば本を持つ者が、我らの近く、この街に居る可能性は低くな
いはず」
「なるほどね」
 紫音は立ち上がり、静かな足取りで歩き始めた。
「でも、巻き込まれると言いながら、あなた、楽しそう」
「別に………いや、そうかも知れん。私は戦うため、存在する者。戦いあって
こその、私なのだ」
「その点、私の前に呼び出された時はよかったのよね。何せ、日本は戦国乱世
だったんですもの」
「いや、それは否定しよう」
 銀髪の男は、顔を上げた。天を仰ぎ見、何かを思い出しているようだった。
「相手は人であった。如何に数が在ろうと、私に勝てる道理はない。一方的な
勝利ほど、虚しいものはないのだよ」
「そんなものなのかしら。ねえ、それより」
 一旦、キッチンへ向かった紫音が何やら手にし、リアードの元へ戻って来た。
手にしていたのは、一枚の皿であった。その上には、俵型のクリームコロッケ
が二つ、載っていた。
「これ、食べてみて。ほんっとうに美味しいから」
「いや、折角だが私には、ものを食べる必要がない」
「知っているけど、でも、ほら、ねっ」
「………ならば一つ」
 紫音の強い勧めに押され、リアードは皿へ手を伸ばす。彼には馴染みのない
食べ物を摘み、口に運ぶ。
「ほう、なるほど。これは美味である!」
 思わず零れる、感嘆の言葉。それを聞いた紫音は、まるで自分の手柄である
かのよう、嬉しそうに笑う。
「でしょう? あの子の料理の腕前は、超一流………ううん、特級なんだから」
 言いながら、皿に残った最後の一つを、自分の口に運ぶ紫音であった。

                          【To be continues.】

───Next story ■磯部慶太■───





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