#405/1158 ●連載
★タイトル (AZA ) 05/04/22 23:20 (203)
対決の場 29 永山
★内容
遠山に肩へ手を添えられ、仕方なげに座りかけていた麻宮が、再び膝を真っ
直ぐにした。
「行方不明ってこと? どうしてそんな」
「落ち着いてほしい。君は彼と連絡を取れるんじゃないのか?」
「面城君が、アトリエにいればの話よ。携帯電話がある訳でもないのに、今こ
の状況で、どうやって連絡が取れるってのよ。馬鹿なこと言わないで」
興奮気味の口調に遠山は、彼女を優しい物腰で宥めてもう一度座らせた。リ
ラックスさせるつもりで、足を崩すようにとも言うと、麻宮は意外とあっさり
聞き入れたので、少し安堵できた。ただし、視線が斜め下を向いているのが気
になる。唇もきつく結ばれ、事情聴取は上の空、脳裏を占めるのは面城の今の
居場所についてのみ……といった風情を一挙に醸し出した。
遠山は拳を握り、テーブルをどんと叩いた。そして、横暴な仕種から豹変し
て、わざと馬鹿丁寧に言う。
「麻宮さん。お疲れでしょうが、ことは重大です。何人もの方が死んでいます。
我々の不手際は幾度でも謝罪しますが、これ以上の犠牲者を出さないためには、
麻宮さんの証言が必要になってくる、そう考えています。何としてでも協力し
てほしい。いいですね?」
これで断られた日には、麻宮レミも共犯と見なさざるを得ない。そんな覚悟
を持って、遠山は言葉をぶつけた。ぶつけたあと、真剣な眼差しで相手をじっ
と見つめる。未成年だった昔日、何とはなしに夢想したシチュエーション――
好きな異性と見つめ合う――が、こんな形で現実のものになるとは、皮肉にも
ほどがある。
果たして麻宮は、遠山から視線を逸らすと、長いため息をついた。
「もちろん協力してもいいけれど。でも、最初にはっきりさせてちょうだい。
あなた達は、面城君を疑っているの?」
「疑ってもいるし、案じてもいる」
砕けた語調に戻って、遠山は私見を述べた。本心では、疑う気持ちの方が圧
倒的に強いのだが、麻宮の積極的な協力を得られそうな今、彼女の思いに反す
る言動はなるたけ控えた方がよい。
「つまり、殺人鬼ヂエが面城薫氏を連れ去り、監禁している可能性もあると思
っているんだ。しかし、島にはあの地下のアトリエの他に、人知れず使える場
所がある?」
自らの行動が伊盛を死なせたという衝撃から、まだ完全に回復し切れていな
かった遠山だが、アトリエ全体の捜索はした。面城薫の姿はなかったが、監禁
場所として使われた痕跡も、はっきりした形では見つからなかった。半日程度
の監禁では、証拠を跡形もなく始末するのは、造作もないことかもしれない。
何にしろ、今後、アトリエを監禁場所に使えはしない。
「施設という意味なら、ないわ。野外にテントを張っても目立つでしょうから、
やっぱり林の中か、あとは海辺」
「海辺にどうやって」
「私に聞かないでよ。岸壁に洞窟ぐらいあるんじゃない?」
あったとしても、出入りする手段がないのではないか。そんな疑問が浮かん
だ遠山だが、明るくなったら調べに行こうと心に留め置く。無論、林も。
「周りの小島に渡ることは不可能だろうか」
近野が口を挟んだ。
「渡っても、恐らく上陸できないわ。ボートを係留する場所すらないはずよ」
「じゃあ除外できる。あとはどこがあるか……」
「考えたくないことなんだけど、海に沈めるっていうのはあり得ないの? 面
城君はすでに殺されて……」
考えたくないと断った割に、きっぱりとした口ぶりで言い切る麻宮。気の強
さが顔を覗かせたようだ。
「九分九厘、それはないな」
近野が断言した。これには遠山も目を剥く。遠山自身、面城こそがヂエ(少
なくとも島内での殺人の犯人)である可能性が高いと考えているのだから、そ
の面城が殺され、海に沈められたなどということはないと見なしている。だが、
近野ほどに自信を持って言い切れるかとなると、無理だった。
「理由を聞かせてくれますか」
上司に対して気を利かせたのか、嶺澤が尋ねる役を勝って出た。近野は自嘲
気味な笑みを作り、深呼吸をした。
「簡単な理屈ですよ。俺が殺されていないからだ」
「な」
絶句する嶺澤。遠山も言葉が出ない。麻宮は首を傾げるばかりだった。
「ヂエはパズルによる予告通りに殺人を決行している。この近野創真もターゲ
ットに挙げていたよな」
「あ、ああ」
近野に視線を合わされ、遠山は頷いた。戸惑いの中、反論する。
「確かにそうだが、予告通りとは言い難いだろ? 姿、八坂、角、若柴刑事、
そして伊盛の五人は、予告されなかった」
「予告されていたのさ。遅きに失したが、やっと気付いた。83752が示し
ていたんだ」
「83752は、君の名前を指し示すためのキーワードだけじゃなかったとい
うことか」
「ああ。数字が五つで、犠牲者も五人。対応させてみれば、ぴんと来るだろう。
部屋番号さ」
あ!と叫んでいた。遠山はぽかんと開けてしまった口を慌てて閉じ、手の甲
で拭った。傍らでは嶺澤が感服したように、
「そうか……部屋番号とは気付かなかった。すっかり、見逃すというか、見落
としていました」
と呟いている。そして身震いをしたかと思うと、彼は自身を指差して、さら
に言葉を連ねた。
「もしかすると、5に当てはめられるのは、若柴さんではなく……」
「そうだったかもしれないな」
皆まで言わせず、あっさり肯定してやったのは遠山。警察官が怖気を振るっ
たり、後込みしていては、物笑いの種だ。ヂエの思う壷だろう。
「今はそんなことを気にするなっ。弔い合戦だ。いいな、嶺澤?」
「は、はい!」
普段は丁寧な言葉遣いをし、いざというときに呼び捨てにすると、効果を期
待できるもんだなと、遠山は妙に感心した。
感心したのは、近野に対しても同じである。
「それにしても、よく気付くもんだ。さすがだよ」
「馬鹿を言うな」
吐き捨てるように応じた近野。顔には、自嘲気味の笑みが張り付いている。
「五人全員がやられたあとで気が付いたって、毛ほども役に立ちやしない。俺
が殺される番がちょうど回ってくるのは、罰かもしれないな」
「近野! おまえこそ馬鹿を言うな。いいか、暗号をまた解いたことで、手が
かりが増えたんだよ。前進には違いない」
遠山は、近野から同意を得られないのを気にしつつも、麻宮へ向き直った。
「部屋割りを決めるのは誰だい?」
「……もしかして、部屋割りを決めた人が犯人と言い出すつもり?」
察しよく先回りした麻宮の表情が一層険しくなった。警戒心が面にはっきり
と出ている。遠山は事実、彼女の言ったままのことを考えていただけに、何と
返事しようか迷った。
しばしの静寂ができた。その隙間を埋めるかのように、近野が冷静な口調で
意見を述べる。
「遠山。そいつは単純すぎる。可能性がないとは言はないが、ヂエの犯行が無
差別殺人であるとすれば、部屋番号と泊まる人間の組み合わせなんてどうでも
いいだろ? 意味がない」
「しかし、部屋が埋まるかどうか分からない訳だろ。83752というナンバ
ーを予告しておいて、五部屋の内、一部屋でも空室だったらお話にならないよ。
違うか?」
「そのときは、別のパズルを使えばいいだけさ」
「別の? あんなややこしいパズルが、即興でできる物なのか?」
信じがたい。そんな思いから、疑る目つきになった遠山。だが、近野は横を
向いたまま、「才能があればできる」と明快な答をよこした。
「パズルの才能がな。だが、そんな才能が大してなくても、予め作っておくこ
とだってできるんだ。時間を掛ければ、凡人にも作れるパズルさ」
「おいおい、待ってくれよ。予め作るって、全ての数字の組み合わせが答にな
るようなパズルをってことか?」
「ああ。時間さえあれば充分に可能だよ。それに、おまえは固定観念に囚われ
ているな。他の答になるパズルが、クロスナンバーパズルと同じ形式でなけれ
ばならないという理由はどこにもないんだ。別のパズル、たとえば虫食い山の
問題なんかだと、比較的簡単に作れるだろう」
「……言われてみれば、そんな気がしてきたよ」
認めた遠山だったが、なお、部屋割りを決めたのが誰なのかが気になった。
一応、聞いておきたい。
「部屋を決めるのに法則は二つあるわ」
麻宮が口を開いた。言うことをまとめるかのように間を取り、やがて喋り出
す。
「まず、一つ目。空いた部屋へ、申し込みの順番に、入っていただくこと。二
つ目は、余裕があるようなら、お客様の部屋と部屋は、なるべく離す。静かに
過ごしていただくためにね。尤も、この二つ目の則は、滅多に適用されないけ
れど。常に満室とは行かないにしても、ほぼ埋まるんだから。空くのはせいぜ
い一、二室よ」
「なるほどね。面城薫の個展は評判を呼んでいる訳だ」
近野が多少の嫌味を込めたらしい物言いをしたが、麻宮は気にした素振りも
なく、続けた。
「この二つの法則で、支配人の布引と私とが決めているわ。正確には、布引が
受け付けて仮の部屋決めをし、私が確認を取る形ね」
「なるほど。朝一番に、布引さんに話を聞きたいんだが」
「どうぞご自由に。事件があって、お客様も実質ゼロになってしまって、その
上電話も停まったんじゃあ、宿の仕事はがくんと減るわ。彼女達も暇を持て余
すことでしょうね」
自分達の楽園が惨劇の場となり、捨て鉢な口ぶりの麻宮。非難めいた言い方
をされても、返す言葉がない。
改めて気落ちし、俯いた遠山に、麻宮は存外優しげに囁いた。
「ねえ、遠山君。あなたも少し休むべきよ。たとえ眠れなくても、横になって
いれば、体力も精神力も少しは回復するわ」
「分かってる。けど」
「鋭気を養って、捲土重来、ヂエを捕まえる。それこそがあなたの務めでしょ
う。いい? これは後退じゃないのよ。雌伏のときよ」
面城の心配をしての発言だろう、そうに違いない。遠山は思った。だが、励
ましはありがたかった。
真摯な眼差しで話していた麻宮は、刺々しかった目つき顔つきをふっと緩め、
「私もいい加減、眠りたいわ」
と苦笑混じりに付け足した。
これまで、徹夜の経験がない訳ではない。いくら現場経験の乏しい“エリー
ト”でも、二日三日はわずかな仮眠を挟めば動けるつもりだった。
しかし、現状のような酷い事態は想定していなかった。限られた島内で立て
続けに殺人が発生。しかも仲間の一人をやられ、遠山自身の行動が伊盛を死に
至らしめた。その上、外部からの応援を期待できない不安……。
麻宮の言葉を素直に受け入れ、深い眠りに就きたい誘惑に駆られた。だが、
それは許されない。嶺澤が万全の体調であれば、交代で仮眠を取る道も選べよ
うが、動けるのは遠山一人なのだ。それに恐らく、眠ろうとしても寝付けない
であろう。
ただ、起きて事件について考えようとすると、手詰まり感から息苦しくなり、
頭痛すら覚えた。誤った判断をしかねない。そういう自覚はある。ならば、思
考する必要のない、あるいは必要の程度が低い、見張りに立つことにした。
夜が明けるまでまだ時間がある。ヂエはさらなる行動を起こすのではないか。
それはいかなるものか。
近野のパズル解読が適切だったとして、ヂエが次に狙うと予告しているのは
当の近野だ。遠山は、彼の警護に専念すると決めた。意向を当人に伝えると、
「そいつはありがたいが、この部屋は鍵がないから、少々不安だな。嶺澤刑事
はまだ満足に動けないんだろ?」
と尋ねられた。その不安はよく理解できたので、遠山一人でも警護しやすい
よう、部屋を移すことを麻宮に頼んだ。奥の日本間から、玄関になるべく近い
洋間に変更できないかという申し出を、彼女は快諾してくれた。
ただ、鍵は掛かるが、窓側の警備に手が回らない。そこで、室内の箪笥を動
かし、ぴたりと寄せ、さらに鏡台と長机を持ち込んで手前に置くことで、バリ
ケードを築く。近野には、「まるで真夜中の引っ越しだな」と言われたが、遠
山にはそれなりの成算があった。
ヂエはいかなる殺害方法を選ぶのか、分からない。が、若柴刑事の銃を奪っ
たと思われるため、狙撃の可能性は大いにある。バリケードがあれば、侵入し
ての狙撃は無論のこと、部屋の外からの狙撃も困難になるに違いない。
遠山は扉の前に陣取り、敵を待ちかまえた。
「五時過ぎか……」
腕時計で確かめる。あと一時間程度が勝負だろう。遠山にとって不運にも、
天候の崩れがここに来て顕著になり、激しい雨が振り出した。何より、雲が厚
い。空が白み、明るくなるのは相当に遅れそうだ。
窓ガラスや屋根を打つ雨粒が喧しい。単調にならず、まるで音楽を奏でるか
のように、変化に富んでいた。
雨音は気配を消す手助けになる。ヂエにとってプラスだ。だが、バリケード
を崩す音まで聞こえぬことはあるまい。
(それにしても、殺す順番を予告するとは、大胆な……)
改めて思う。
(ヂエは自己顕示欲の高そうな奴だから、予告通りに遂行できないことは、こ
の上ない屈辱に違いない。つまり、途中、一人でも殺し損なえば、次に進めな
い。にも拘わらず、予告をしてきたのは、自信の表れか。
だが、それを逆手に取ることも可能だ。この先、新たな予告が暗号の形で届
いても、無意味にしてやる。絶対に近野を殺させやしない)
誓い、自らを鼓舞した。
――続く