AWC 「なりきり」消費論 携帯小説を書くのは何故か ぴんちょ


        
#349/566 ●短編
★タイトル (sab     )  09/03/23  19:10  ( 31)
「なりきり」消費論 携帯小説を書くのは何故か ぴんちょ
★内容
昔の大人は例えば小学生あたりでフォン・カラヤンのクラシックを聴かされて、
「カラヤンの様に指揮したい」と夢想して割り箸を振っていたそうですね。
これが欲望の始まりである。欲望とは自己を別様に望む事である。
カラヤンになりたい。「なりきり」の始まりである。
やがて彼の「なりきり」の対象はビートルズになり
ツェッペリンになりミュージックライフを読み
ロッキンFを読みグレコのエレキギターを買って
どんどん「なりきり」を極めていく事で消費に貢献するのである。
そしてついにディープパープルが登場する。
これはほとんどコピーされる為にでっちあげられたバンドである。
「ハイウェイスター」や「スモーク・オン・ザ・ウォーター」をコピーするために
どれだけ楽器が売れたか。
その非常に極まった状態がチャットモンチーと言っても過言ではない。
下手であればあるほど「私でも演奏できるかも知れない」と「なりきり」欲望する。
そして楽器を買う。
CDを売るよりも楽器を売った方が儲かるのである。
100万人の読者を作るよりも10万人の作者を作った方が儲かるのである。
だから「恋空」でよかったのだ。下手でよかったのだ。
こんなに多くの作者がこうやって私の様に書いているではないか。
昔は自己実現が難しかった。カラヤンを聴いて猛烈に
「カラヤンになりたい」と欲望しても絶対に不可能だった。
今は1週間でチャットモンチーになれる。(楽器を買う金があれば)。
10分で「恋空」を書き出せるのである。
これこそ現代の自己実現のありようである。
これを物語消費(大塚)、データベース消費(東)に対抗して
「なりきり」消費とと名付けたい。
ところでカラヤンは自己実現できたのであろうか。
あにはからんやカラヤンは「カラヤン」になったのである。
カラヤンはカラヤンを演じているだけです。
カラヤンの指揮する様子を見れば分かる。酔ってますなあ。自己陶酔。
資本主義においては如何なる自己実現も不可能なんですね。





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