#342/566 ●短編
★タイトル (AZA ) 09/03/05 18:50 (272)
終の館 〜 ある見立て殺人の顛末 永山
★内容
神条がいつものように咳払いを一つ挟み、推理を述べ始めた。
「一人目、春日さんの遺体は、サメの顎の化石に頭から突っ込んでいた。二人
目の川瀬さんは、未完の原稿を前に突っ伏していた。野塚さんは那須与一よろ
しく、扇に矢を当てるポーズを取らされていた。最後の犠牲者である主の冬木
氏は、癌で余命がわずかだと思い込まされていた。各人の名字の一文字目と、
死んだ状況を象徴する単語を組み合わせると、あるメッセージが浮かび上がる
と気付きました。ここで重要なのは、元々の名前、つまりは本名を参照するこ
とです」
名探偵と評判の男の言葉に、全員――この場にいるであろう犯人ですら疑わ
れぬためか――が、思い出そうとする様子を見せる。神条は続けた。
「川瀬さんは筆名で、本名は夏目次郎。何でも、作家稼業で夏目はいくら本名
でもやりづらいと感じて、筆名にしたのだとか。また、野塚さんは個人歯科医
院の先生だった訳ですが、入り婿だそうで。旧姓は秋山だと聞きました。これ
らを把握した上で、先程言ったように文字の組み合わせを行うと、順に、春雨、
夏みかん、秋なす、冬瓜となる」
「あっ。この四日間、食事で出された物ばかり!」
女子大生の西島が、高い声で自らの発見を叫ぶ。体型を気にしない食いしん
坊を自認するだけのことはある。尤も、誰も言い出さなければ、私が言うつも
りでいた。それが記述者としての、ワトソン役としての務めだ。
神条はしっかりと首肯し、軽い笑み浮かべた。
「その通り。しかも、春日さんが殺される直近の食事で春雨のサラダが、川瀬
さんが殺される直近の食事で夏みかんのゼリーが、というように、事件より先
に料理が供されている。犯人が料理を目の当たりにしてから、殺しのモチーフ
を思い付いたのか? いや、もしそうであるなら、サメの化石や扇、矢といっ
た道具立てに必要な物がこの屋敷にあったのは、犯人にとってあまりにも都合
がよすぎる。むしろ逆に、犯人は料理を皆に出すことで、犯行を密かに予告し
ていたと考えるのが自然です。その仮定に立つと、犯人の条件は、毎日の献立
を決める立場にあらねばならない。つまり、敷島さん、あなただけが該当する」
「――」
皆の注目を浴びたのは、食堂兼広間の隅に、控え目に立っていた執事だった。
ほんの一瞬だったが、首を竦め、全身をぶるっと震わせたように見えた。
しばし時間を取った神条だが、敷島が何も言わないのを見て取った。
「反論はありませんか?」
「神条様のお話が、途中のように思います。申し上げたいことはいくつかござ
いますが、全てを聞き終えてからにするのが、他の皆様にも分かりがよいかと」
「では続けさせてもらいますよ。そもそも、どうしてこのような奇妙な見立て
を思い付いたのか。何故、サメの化石や扇などを用いたのか。恐らくあなたは、
長年続いた日々の仕事の中で、小さな失敗を幾度かしでかしたんじゃないでし
ょうか。サメの化石の一部を欠けさせたり、値打ち物の扇を汚したり。川瀬さ
んが執筆にお使いだった机、もしくはその下に敷かれた絨毯にしても、非常に
高価な物なのかもしれない。それらに傷や汚れをつけたのではありませんか」
敷島の反応を窺うと、何もない。私は合いの手のように質問を差し込むこと
にした。
「なあ、神条。仮に推測が当たっているとして、どうしてそれが今度の奇妙な
犯行につながるんだい?」
「敷島さんはそういう降り積もった小さなミスを隠し、なかったことにするた
めに、死のモチーフに取り入れたのさ。殺人事件の道具立てに使われたサメの
化石や扇に、欠損があっても不思議じゃないだろう。絨毯に血溜まりができた
ら、最悪の場合、廃棄処分だ」
「そ、それだけの理由で、人を殺した……?」
今度は驚き、唖然としてみせる。
「いやいや。殺しの動機は他にあるはずだ。具体的に断定はできないが、四人
の内の一人ぐらいは、敷島さんのミスに気付いたため、殺された人もいるかも
しれない。掛かり付け医からの封書を握りつぶすことで、雇い主である冬木氏
に正しい病状を伝えず、悪化の一途を辿っているかのように思わせたのだって、
家の雑事全般を取り仕切る執事にのみ可能な行為じゃないかな。本来は冬木氏
を精神的に参らせ、自殺に追い込む狙いだったんだろう。それが実現する前に、
今度の被害者の誰か――春日さん辺りに、ミスを気付かれたんじゃないかな。
そしてそのことで金を脅し取られでもしていたのかもしれない。完璧を謳われ
る執事にとっては、極小さなミスでも傷になりかねない」
「そろそろ、よろしいでしょうか」
敷島が遠慮がちな声で遮り、しかし押しの強い態度で前に進み出た。
「終わりまで待つと、きりがないように思えましたので、失礼を承知で――」
「かまわない。反論をどうぞ」
「では……『講釈師、見てきたようなことを言い』とはよく言ったものですね」
ようやく、反論の口火を切った敷島。威厳と従順さを併せ持つ執事像は消し
飛び、邪悪な微笑が覗き始めている。
「ご指摘の古い傷や汚れですが、お調べになれば確かに判別できますでしょう。
それらのいくつかについて、原因が私の不手際によるものと認めます。仮に、
他の使用人の仕業だとしても、統括する者としての責任があります。ですが、
職務上の小さな失敗は、殺人の証拠にはなりますまい。有力な物的証拠が出た
とも、私は聞き及んでおりません。そのような物が見付かっていれば、時間を
浪費して推理を述べずとも、私を逮捕しているはず。現実は、そうなってはい
ないではありませんか」
「ありますよ、証拠」
名探偵のさらりとした物言いに、犯人だと指摘された敷島のみならず、冬木
夫人ら残る一同全員が、暫時ぽかんとした。
「お伺いしましょう」
敷島は抑えた口調で言った。神条は対照的に、声を若干、張った。
「この事件の特徴の一つに、犯人が指紋を拭き取ろうとしていない点が挙げら
れる。凶器に使われた大理石の置物に、これまでに触れた人達の指紋が残って
いることや、川瀬さんのノートパソコンにあった川瀬さん自身の指紋が、全然
乱れていないこと等から、それは推測できます。当然、犯人は手袋を填めてい
たのでしょう。敷島さんが執事の職務中、たいていは手袋をしているように」
「その程度のことが証拠ですか。手袋なんて、誰にでも――」
「あ、いや、ここでの反論は待ってください。続きがあります」
苦笑混じりでストップを掛けた神条。敷島は仕事柄から来る癖なのか、非礼
を詫びるかの如く、頭を垂れた。
「犯人が手袋をして犯行に及んだのは、まず確実です。凶器や現場にある物を
拭う必要がなく、犯行を素早く遂げられる。だが、一つだけ例外があった。第
三の事件でのモチーフ、矢です。あの矢だけは、きれいに拭ってあった。何
故か?」
神条の視線が、警部に向く。神条のこれまでの実績を買ってくれている警部
は、ずっと静聴していたが、目で問われると黙ってばかりもいられない。腕組
みを解き、口を開いた。
「うーん、矢の先端で、手袋の指先を裂いてしまった、とかか? それで指紋
の付いた恐れが生じたので……」
「あの矢は工芸品で、言うなれば玩具。先端は勿論、どこも鋭角を持っておら
ず、乳幼児に害を与えぬよう、むしろ丸くなっていた」
「じゃあ、他の鋭利な物で手袋が破けて……」
「だとすれば、その『他の物』も丁寧に拭ってあってしかるべき。しかし、そ
のような物は発見されていない。犯人が持ち去った可能性もゼロとはしないが、
元々、不必要な物を現場に持ち込む意味がない」
「……分からない。一体何なんだ」
「分からなくて不思議じゃない。恐らく、私と敷島さんだけが知る事実に関係
することなのだから」
聴衆がざわめく。探偵はまた苦笑いを作った。
「秘密めいたたいそうな出来事ではなく、単に、第二の事件のあと、邸内を調
査しているとき、私があの矢に触れた、というだけなんですがね」
「……どうして神条さんが触ったなら、矢を拭かなくちゃならないの?」
冬木夫人――今となっては未亡人だが――が疑問を呈する。
「問題の矢は、誰もが手に取れるようになっていたはずですわ。事実、何名か
が触っていました」
「私はこちらへ到着した当初、右手の人差し指に絆創膏を貼っていたのを覚え
ておいでですか?」
神条は数日前、自宅でバーベキューをした際に、うっかり、火傷をしてしま
ったのだ。
「絆創膏を外したのは、矢に触れたあと、第三の事件が発覚する前でした。こ
こで犯人の行動を推し量ってみましょうか。もし、私の指紋を拭わずに、矢を
第三の事件現場に置いたとしたら、何がまずいのか。犯行時間が狭められるの
です。殺害とモチーフ作りの二段階に分けて作業を行ったと特定され、さらに、
そのように犯行がなされたとなれば、アリバイがないのはたった一人に絞り込
まれてしまう。敷島さん、あなた一人にね」
「……」
「現場に置いたあと、私に素手で触らせることができれば……とも考えたかも
しれません。しかし、私は邸内の調査後、絆創膏を取ってしまった。今さら触
らせても、指紋の痕跡が異なるのは、目に見えている。こうなっては仕方がな
い、矢を拭うしかなくなった。結果、アリバイによる絞り込みを防いだはいい
が、私には唯一、指紋が拭われていた不自然さが引っ掛かった。やるのなら、
最初からあらゆる指紋を拭き取るべきだったのです」
「――お見事です」
執事は言った。
解決を迎え、平穏を取り戻した邸宅。その一室で、私と神条は帰り支度を進
めていた。つい先程、警部が礼を述べて、辞して行ったところだ。
そこへノックがあったものだから、言い忘れのあった警部が引き返してきた
のだと、信じて疑わなかった。
「警部、どうかしたかね?」
「あのう、警部さんじゃなくて、私です。内密の話がありまして」
ドアの向こうより聞こえた声は、名枯山長二朗のものだった。この冬木邸を
訪ねて初めて知り合った一人で、引退した大学教授だという。自己紹介で名刺
を渡され、すぐには「ながれやまおさじろう」と読めなかったことを思い出す。
「おお、名枯山さんでしたか。内密の話とは、はてさて、いかなるご用ですか」
神条が応じ、私が招き入れる。名枯山は猫背気味の姿勢で、ゆっくりと入っ
て来た。年齢相応にくたびれた肌に深い皺を刻んでいるが、頭脳の方は決して
衰えていない。事件の間も、なかなか鋭い見解を示した。
椅子に収まると、名枯山は一息ついてから喋り出した。
「神条さん、あなたの推理は、犯人が言った通り、見事なものであったと思い
ます」
「どうも。まさか、賞賛だけが目的で、こちらに来たのではありますまい。私
はこれでも忙しい身でして、なるべく早く帰りたいのですが」
「では、単刀直入に。といっても、私はあなたほどは饒舌でないので、多少、
長引くやもしれません。尤も、あなたにいくつか質問するだけですので、帰り
がいつになるかは、そちら次第、返答いかんでしょう」
「なるほど。始めてください」
片手を返し、促す神条。私はというと、二人の会話が気になりつつも、荷物
を鞄に詰め込んでいった。専念するつもりだったが、名枯山が、
「あなたの解決した事件を、そちらの方――」
と、こちらを指差したようだったので、結局、手を止めた。
「――が小説化したご本なら、ほぼ全てを拝読しております」
「ありがとうございます」
愛読者だったのか。でも、サインを頼みに来た訳でもなさそうだ。
「その中に、今度の事件と大変似通った話があったように記憶しておるのです。
名前にそれぞれ東南西北白緑中の文字が含まれた七人が順に殺害されていく、
という」
「『幸運は初心者だけに舞い降りる』ですね」
フォローしたのは私。今までの神条の探偵活動において、中期の事件だ。
「名前の一文字が殺害順を暗示した、見立て殺人という意味でなら、確かに似
ているでしょうね」
神条が言った。相手の真意がまだ掴めず、探りを入れる風な物腰になってい
る。
「神条さんほどの名探偵なら、今度の事件は、もっと早期に、ぴんと来ていた
のではないか?なんて思ったのです。似通った前例を体験しておられるのだか
ら、なおさら」
「仰りたいことが分かりませんが、被害者の数を比較すれば、今度は早く気付
いたことになるのではありませんか」
「さあ、どうなんでしょう。いずれの事件も、犯人の計画が完了したあと、解
決されているという観点からでは、同じとも」
若い西洋人のように、両手を広げ肩を竦める名枯山。
「腑に落ちないのは、ええっと、『幸運は初心者だけに舞い降りる』事件では、
七人目が殺されて、初めて犯人に辿り着ける構図になっていた。対して今回は、
三人目の時点で犯人が分かったはず。いや、断定こそできずとも、二人目の時
点で目星を付け、次の行動を取るであろう犯人を現行犯逮捕することすら、で
きたかもしれない。この差違なのですよ」
「……私が衰えた、と」
自嘲する神条に、名枯山は背筋を伸ばし、大きく首を振った。
「とんでもない。言いたいのは、そのようなことではない。もしや、神条探偵
は故意に事件の継続を見逃したのではないか、と感じたため、こうして真意を
確かめに伺ったまで」
私と神条は思わず目を合わせていた。
この元教授、直感で見抜いたようだ。
名枯山の話は続く。
「最初は、確たる証拠がないため、やむを得ず、三件目の犯行を待ったのかと
も考えた。しかし、だとするとやり方がまずい。罠を張って当然の状況で、し
なかったことになる」
「川瀬さんが殺されてから、実際はさほど間を空けずに、野塚さんも殺されま
したからね。力及ばず、残念でなりません」
「その言い分は、ぎりぎり認められる余地があるかもしれません。ですが、最
後の死は間違いなく防げた。神条さんが最前お話になった推理をし、指紋を根
拠に確信を持ったのであれば」
「仮に」
神条は私に目配せしてから、そのように切り出した。
「仮に、名枯山さんの想像が当たっているとして、私がそんな真似をした理由
は、何なんでしょう?」
「そこです。それを伺いたかった」
手を打つ名枯山。見た目以上に若々しい振る舞いだ。
「私も考えてみた。たとえば、川瀬さんが殺されるのを見て見ぬふりをしたの
であれば、動機がなくもない。作家同士、ライバル関係が恨みに転じること、
なきにしもあらずでしょう」
「なるほど」
私は笑みを交えて応じた。
「ですが、私は川瀬さんに恨みどころか、ここへ来るまで面識すらなかった。
せいぜい、パーティでお見かけした程度でしたよ。そもそも、川瀬さんが殺害
されたのは二番目で、あなたの説に照らすなら、まだ私や神条は犯人の見当が
付いていない」
「ええ。だから、分からなくて、聞きに来たのですよ」
「御説が的を射ていたとして、我々が素直に話すと? あるいは、話したあと
に、無事に帰れると?」
再び、神条にバトンタッチ。それにしても、余裕のある態度はいいが、饒舌
に過ぎるようだ。
「それも含めて分からんのです。犯罪の匂いがしなくもないが、果たして私に
直接手を掛けるほどのことかどうか……」
名枯山は膝上に両肘をつき、組んだ両手の甲に顎を載せた。
「老い先短い身ですし、真相を知って墓に入るのも、たいして恐くない。どち
らかと言えば、分からないままでいる方が辛いかもしれん」
「――いいでしょう。お話しします。分からないのも無理はない。あなたの知
らない情報を、我々は掴んでいたのです。まず、野塚は別の殺人事件の犯人な
のです」
「何と」
「正確には、犯人であることは間違いないが、証拠がなく、また、取り調べる
だけの材料もない。歯の治療にかこつけて、薬を巧妙に仕込み、患者を始末し
ていた」
「毒なら、そこから辿れるのではないですかな」
「毒ではなく、麻酔、睡眠薬の類なのです。被害者は居眠り運転による事故死
で処理されてしまう」
「ああ、なるほど……」
「殺人犯を野放しにし、指をくわえているよりは、今度の事件で敷島に始末し
てもらおうと考えた。それだけのことです」
「冬木氏は?」
「同類ですよ」
吐き捨てた神条。
「考え方によっては、こちらの方が悪質とも言える。冬木は俳優として絶頂に
あった時期、タレントの卵やファンの少女と肉体関係を持っている。その中に
は合意のなかったケースもあれば、未成年を相手にしたケースもあった。適当
な嘘を並び立てて、挙げ句に捨てた回数は枚挙にいとまがない。芸能事務所等
の力で、表沙汰にはならなかったが、自殺した少女が二人います」
「それで、冬木氏が殺されるのを待った、と」
名枯山の確認に、神条は無言で首肯した。
「もしかすると、敷島さんは冬木の悪行を知り、天罰を下す狙いで、この家で
の職務に就いたのでは……」
「さあ。そこまではいかに名探偵であっても、知り得ぬ領域です」
私達は、元教授をそのまま帰した。
彼が自発的に、引き替えにと言って、大きな秘密を打ち明けたためだ。それ
について記すことはしないが、私達の告白に充分比肩する内容であった。
「本当に大丈夫かね?」
一抹の不安を覚えた私は、率直に声にした。
「死の間際になって、全てをぶちまけるなんて真似を、しないとは限らないん
じゃないか」
「そりゃあそうだが、心配してもきりがない。こちらだって、いつでもぶちま
けられる。ま、名枯山さんの秘密は、公になれば一族係累に悪影響が及ぶから
ね。大丈夫だと思うよ」
「名探偵の君が判断するのなら、確かなんだろう。ただ、手の内全部を明かさ
なかったのは、何故だい?」
「さしたる理由はない」
ジッパーをきちっと閉め、ボストンバッグの形を整える神条。
「強いて挙げれば、さっき話したのと違い、完全に私的な理由だから、かな。
やっぱり、公になれば反感を買うだけじゃ済むまいしねえ。一〇〇パーセント
確実に敷島に死刑判決が下るよう、犠牲者が四人になるのを待った、なんて」
――終