#317/566 ●短編
★タイトル (yiu ) 07/06/27 18:54 (142)
お題>休みの後に shura
★内容
休みの後というのは往々にして憂鬱なものだと彼の多くの友人は口をそろえて言う
が、彼自身はそれに賛同したり意味ありげに頷いたりすることは決してなかった。彼に
とって休日というのは『心休まらぬ日』のことであり、穏やかすぎる平凡な日常のはけ
口を一斉に向けられた哀れな、しかし同情よりも憎しみの感情を傾けるに相応しい日の
ことで、それを彼は皮肉を込めて『美しき家族の日』と呼ぶ――というのも、彼の休日
を心休まらぬ日に仕立て上げているのは彼の家族、正確には彼の妹であったからであ
る。大学生の彼女は休みになると決まって友達と遊びに出かけるが、何事もなく家を出
たためしがなく、出かけたと思ったら間もなく飛んで帰ってきてはいろんな理由で騒ぎ
立て、彼を困らせた。両親はのんきなもので、いつも元気がいいと笑うばかり。まさ
に、美しき家族の日であった。
「兄さん、わたしのスカートを知らない?」
休日が来るたび律儀に、まるでそうすることが自分の義務だと思っているのでは、と
いう疑いをかけさせるほど勤勉に、彼の頭を悩ませてくれる彼女の今日最初の言葉は、
そんなものだった。
「黒いレースのついた、かわいいスカート。」
「おれが知るわけないだろう、お前のスカートなんて。」
「どうして知らないのよ?」
「どうして知ってると思うんだ? おれが妹のスカートに関心があるとでも思ってる
のか?」
「兄さん、わたしのスカートをはきたいの?」
「おれがいつそんなことを言った? 大体、どうして前の晩に用意しておかないん
だ。」
「前の晩に用意しておくですって! そんなの無意味よ。だって朝になったらそんな
服を着たいとは思わないんだもの。」
「きちんとした服を用意しておけばいいじゃないか。その時の気分で選ぶから、翌日
にはうんざりするんだ。」
「わたしの服はどれだって『きちんと』してるわ! それに、選ぶのだって真剣にや
ってたわよ。でも絶対に朝になったら着たくなくなってるから、朝起きてから服を決め
ることにしたの。」
彼女はそう言って家中を駆け回りながら、今日着ると決めた服を探すのだが、その間
にいくつも問題が持ち上がるのが常だった。
「兄さん、わたしのブーツを知らない? あれもないのよ。」
この言葉に彼は明らかに苛立った様子で腕を振り上げ、反論した。
「だからどうしておれがお前の服や靴のことを知ってると思うんだ? 母さんに訊け
よ。」
「あら、あのおでぶさんにはわたしの服も靴も小さすぎて入らないわよ。きっと目の
前にあったってそれが服や靴だって気づかないわ。せいぜい人形の衣装だって思うでし
ょうよ。」
「確かに彼女は太っちゃいるが人間サイズだぜ。巨人じゃないんだ、人間の服や靴く
らい判るさ。」
「でも小さすぎるわ。」
「おれにだって小さすぎるよ。いいから母さんに訊くか、自分で探せ。」
「手伝ってよ。」
「お前の言うことは突飛過ぎてて何を探しているのか判らないから不可能さ。」
「何を探しているか判らない、ですって? だからブーツを探しているって言ってる
じゃない! あとスカートもよ。」
「お前、この家にスカートとブーツがいくつあると思ってるんだ? お前と母さんが
毎週毎週二つか三つずつ増やしていくじゃないか。おれにはもう、お前の探しているも
のがどれか見当もつかんよ。」
「毎週ですって? そんなに買ってないわよ。」
「買ってるさ。お前は毎週泣きながら『デート』から帰ってくる。母さんはそれをな
だめるためにお前と買い物に行く。おれは運転手だ。うんざりだよ。」
「じゃあ今日は父さんに車の運転は頼むわ。」
「休日は父さんはフットボールの練習だろ。お前が泣いて帰ってくる頃にはまだ広場
でボールを蹴ってるさ。おかげでおれ自身はデートに行けない。」
「彼女とは平日でも会えるんだからいいじゃない。休みの日くらいは家族のために何
かしてよ。」
「だからこうして出かける約束もせずに家にいるんじゃないか。」
「役に立ってくれなきゃ意味がないじゃない。わたしのブーツとスカートを探して
。」
「おれには判らないって言ってるだろ。見ろよ、そこにもここにもブーツとスカート
が転がってる。黒いレースのついたスカートだったっけ? これにだって黒いレースが
ついてる。でもこれじゃないんだろう?」
「違うわ。全然違うわよ。宇宙みたいに真っ黒で星みたいなレースのついたかわいい
スカートよ。痩せた皇帝ペンギンか、わたしくらいしか似合わないかわいいスカート
。」
「おれは痩せた皇帝ペンギンなんて見たことがないし、太った皇帝ペンギンだって知
らないし、そもそもそんなものに興味もないから、そこらじゅうに落ちている服とどう
違うのかなんて判らん。だから母さんに訊けって。」
辟易しならが彼はそう妹を説得して、会話を打ち切ろうとする。そこでふと、母親の
姿をさっきから一向に見かけないことに気づいた。
「母さんはどこだ?」
「あの人、塗装屋の真似事でもしてるんじゃない? きっと白粉の代わりにペンキを
顔中に塗ってるわ。なんてかわいい人!」
「おれは母さんを探してくるから、お前はしばらく一人でスカートでもブーツでも探
してろ。母さんを見つけたら一緒に探してもらおう。」
「でももう時間がないわ。」
「じゃあその格好で行けよ。そのスカートだって女王ペンギンのドレスみたいにかわ
いいし、お前には似合ってるよ。靴はそのへんに転がってるやつを適当に履いていけ
。」
「女王ペンギンなんて聞いたことがないわ。どこに行けば会えるの?」
「痩せた皇帝ペンギンの隣にでも座ってるんじゃないか? いいから、時間がないな
ら諦めてさっさと行けよ。」
「こんな格好で行けないわよ。笑われるわ。兄さんの彼女だって、こんな女の子を見
たら噴き出すわよ。」
「なんで彼女がそこで出てくるんだ?」
「さっき電話がかかってたわ。でも、兄は忙しそうだからまたかけ直してくださるか
しらってお願いしたの。」
「何て奴だ! お前、もう出かけるんだ。いいな!」
彼はそう叫んで電話機の方へすっとんでいった。それから、かわいらしい靴を両手に
片足ずつ引っ掴んでとぼとぼと玄関に向う妹を無言で見送りながらダイヤルを回す。し
かし、電話はうんともすんとも言わなかった。よく見ると電話線が無残にも宙ぶらりん
になって所在なげに揺れている。妹が大騒ぎをしている間にはずみで抜けたのだろう。
周囲は強盗でもきて家捜ししていったのではと思えるほど荒れに荒れている。彼は舌打
ちをし、受話器を戻して掃除を始めた。
母親のことを思い出したのは、ようやく散らばった靴をもとの棚に戻し、衣服をブラ
ウス、ジーンズ、スカート、ワンピースといった種類別に分け終わった頃である。一人
でこれだけの服をたたむのも一仕事だと思い、母親に手伝ってもらおうと彼は忘れてい
た捜索を開始したが、しかし、それはあっけなく打ち切りとなった。母親が自ら彼の前
に姿を見せたのである。
「あら、あの子はもう出て行ったの?」
「『やっと』出て行ったよ。でもすぐに帰ってくるんじゃないかな。それまでにこれ
を片付けたいんだ、手伝ってくれるよね。」
「そうね。ええ、手伝うわ。」
のんびりと頷く彼女は、確かに白いペンキでも塗ったかのように白い顔をしていた。
だが、それがかわいらしくも見える。彼の妹が誰かを褒めた時は、それは間違いなく真
実なのだ。
「今日は何て言って帰ってくるのかしら。」
「服がおかしいって笑われた、とでも言うんじゃないかな。誰もそんなこと言うはず
ないのに。あいつの言う通り服はきちんとしたものばかり、あいつに似合わないものな
んて一つもないさ。」
そんなことを話しながら二人が服をすべて片付け終わる頃に、彼らのかわいい娘、あ
るいは妹が泣きながら扉を壊さんばかりの勢いで飛び込んできた。そして、
「変な格好だって笑われたわ! わたし、今日はもう友達と会いたくない。」
そう叫ぶと、大声で泣き喚くのである。この先は、いつも同じやりとりだった。
「そう。それじゃあ、あなたに合う服でも買いに行きましょうか。」
「兄さんも来るよね?」
「おれの他に誰が運転するっていうんだ?」
こうして、彼のうんざりする休日は過ぎていく。だから彼は、休日に過ごした時間の
どの瞬間よりも元気な姿で休み明けを迎えるのである。通いなれた広場に入り、彼はよ
うやく安らいだ表情で平凡な日常を満喫するのだ。
いつも彼女と約束しているベンチの方へ行くと、そちらから一人の男がものすごい勢
いで駆けてきて、風のように彼の傍を通り過ぎていく。彼はそれを怪訝そうに見送った
あと、ベンチから優雅な動作で腰を上げた女性に親しげに声をかけた。
「今、おれの隣をずいぶん急いで走っていった男がいたけど、君の知り合いかい?」
「いいえ、全然知らない人よ。」
彼女はにっこり笑って隣に立った彼の腕を取り、楽しそうに言った。
「彼は物忘れが激しいんですって。きっと奥さんの顔も忘れてしまったのね。」
その言葉に彼は「ふうん。」という気のない呟きを返した。
「ところで、昨日は電話をくれたんだって? 妹が勝手に出て勝手なことを言ったみ
たいだ。悪かったね。」
「忙しかったんですもの、仕方がないわ。休日は手が離せないって聞いていたのに、
電話をかけたわたしが悪いのよ。」
彼女は気を悪くした様子もなく微笑んだ。そして、「あなたが家にいるのが判ったか
ら、急ぐ必要もないと思ったし。」と言って鞄から鍵を一つ取り出してみせる。
「あなた、この前鍵を置いていったわ。あなたも忘れっぽいの?」
そう言って彼女は彼に鍵を手渡そうとして――あら、というように眉を上げた。
「どうしたの?」
「今の男の人が持っていた鍵、これとよく似ていたわ。」
それを聞いて彼は彼女のきれいな手の上にある変哲のない鉄片を受け取り、確かに自
分の家の鍵だということを認めると、先ほど男が去った方を振り向いて呟いた。
「父さん?」