#236/567 ●短編
★タイトル (dan ) 04/12/01 07:06 ( 60)
ワタシの好きな作家たち 談知
★内容
そりゃ一番好きな作家といえば、以前だと当然司馬遼太郎という
ことになっただろうが、今ならやはり中島らもかな。文章もさるこ
とながら、その生き方、その本人の魅力。これが大きい。好きにな
るのに、その文章だけということはないんじゃないか。本人の魅力、
あるいは本人の生き方。そんなものにひかれるのだろう。
その点、らもさんは、ワタシがこうありたい。少なくとも作家と
してはこうありたい、こうあるべきだ、というようなひとだった。
やはり、作家が普通のサラリーマンと同じようなことをしててはい
かんのではないか。サラリーマンができないようなことをしてない
と、作家の値打ちがないのではないか。サラリーマンと同じことす
るのなら、いっそサラリーマンになったらいいのだ。らもさんは破
滅型という感じでみられていたろうが、それこそ作家のあるべき姿
ではないのか。らもさんは、いわば作家の本道をいくひとだったと
思う。
もうかなり前に死んだ景山民夫も好きな作家だったな。独特の稚
気と機知があり、才能のあるひとだった。このひとは小火をだして、
一酸化炭素中毒で死んだのだった。らもさんの階段から落ちての死
といい、やはりどこか抜けてるところがあり、そこが魅力でもあり、
また才能のあるところでもあるのだろう。抜け目のないビジネスマ
ンみたいなひとだったらそんな死に方はしないだろうが、きっとあ
んな面白い小説エッセイは書けなかったに違いない。
今生きているひとだと、ロバート・ハリスなんかいいと思うね。
「エグザイルス」という自伝をだしている。若いとき海外を放浪し
て、オーストラリアに住み着き、本屋を経営して暮らす。あれこれ
恋愛もするし博打もする。いかにも作家という生き方だな。作家な
んて本来こうあるべきだろう。今の日本の作家がどれもこれも似た
ような作品しか生み出せないのは、あまりに動きがなさすぎるため
だろう。勤勉に作品を書いているのはいいが、ただそれだけという
のは頂けない。確かに体験によって書くのではなく、想像力で書く
のが本筋ではあるのだろうが、あまりに体験が貧弱だと想像力も細
ってくるのではないか。少なくともワタシは勤勉な働き蜂だけのひ
との書いた文章なんか読みたくないね。
あとだれがいるだろう。村上春樹なんかは当然気になっているひ
とではあるけれどね。このひとも普通のひとではないね。自分のこ
とを普通のひとみたいに書いているが、子細に読むと、やっぱり普
通のひとがすることはしてない。やっぱりどこはへんである。まあ
作家としてはそうあるべきだろう。
ワタシの好みとして、作家というものは普通でないことしてほし
いと思うわけだ。そしてそれを文章に書いてほしい。だから、中村
うさぎなどを買うわけだ。体をはって文章を書いていると思う。か
っての林真理子もそうだった。スパタ斎藤もそう。
それではお前はどうなんだ、という問いは当然でてくるだろう。
ワタシも結構へんな生き方していると思う。書くに値するかどうか
は別にして結構へんではある。
当たり前に生活して、当たり前のことを考えて、それで面白いも
の書けたら天才だろう。生活自体は当たり前であっても、考えるこ
とが当たり前では、絶対面白いものはでてこない。普通に暮らして
いて文章を書くという場合、少なくとも考えることが当たり前では
どうしようもない。そしてへんな考えを持てば、やはり生活もへん
になるものである。そういうものだろう。外面のへんさで作家を計
るのはおかしい。内面こそ重要だという考えは一見もっともらしい
が、やはりそれは間違いだと思う。内面はかならず外面に現れてく
るものである。
ワタシはへんな作家が好きである。というより作家なんてもとも
とへんなひとがなるものではないか。ひとの模範となる文化人とい
うようなものではないはずだ。しかし、そんなへんな作家がだんだ
ん少なくなってきているような感じである。皆さんご立派といいた
くなるような作家が多くなってきた。ワタシが小説を読まなくなっ
てきたのは、そういうことが大きいような気がするね。へんな作家
の登場を切望する。